笑い話に変わるとき -長編-

大学に戻り、司書講習を受けていた頃の話は、本当に色々な思いがあって、分割して伝えさせてください。
今回は気持ちが溢れて、1000字をはるかに超えました。

受講していたのは7月中旬から9月中旬頃。姉が実家にいて、義兄と婚約した時期に、事件が発生。
朝から姉が気持ち悪いと連発し、トイレで嘔吐。「お姉ちゃん、もしかしてフライングして妊娠しちゃった?お大事にね。」なんて、冷やかし半分心配半分で、車で大学へ。

講義の合間の昼ご飯は、個室に籠り、一人でテキストに向かいながら、適当に詰めたお弁当を食べていたら、なんだか気分が悪くなり、半分残して午後の教室に向かいました。3限目の途中、急な吐き気に襲われ、荷物を置いたままバッグだけ持って教室を抜け、外の空気を吸ってしゃがみ込んでいたら、庭師さんが軽トラックで通りかかり、「学内の保健センターに連れて行こうか。」と声をかけてくれて。大丈夫ですとお礼を言った後、自力で保健センターに着いた途端、トイレに駆け込み、酷い状態に。

何事かと看護師さんが駆けつけてくれて、当分トイレにいさせてもらいました。その後、大学に姉が電話をかけ、どうやらあの後祖父も母も吐いてしまい、食中毒らしいということが判明。「お姉さんが言うには、皆落ち着いてきたみたいだから、あと少しだけ頑張って。」というリアルな実況まで交えて、慰めてくれました。時期的に司書課程の学生だとは分かってくれていて、明日の試験どうしようと半泣きしながら、吐き気と戦っていたので、なんだか有難かった。

その後、大学事務室の方が私の荷物を持ってきてくださり、看護師さんが近隣の病院に連れて行ってくれることに。皆さんにお礼を言いながら、何とか乗り込んだ車は、なんとベンツ!!ここで吐いたら、司書の給料で弁償だななんて思っていたら、看護師さんがビニール袋を渡してくれました。用意がいい!それはそうだよね。

姉がさらに、父に電話をかけてくれていたようで、看護師さんが運んでくれる病院先を教えてくれていました。「なんでお父さんは無事だったの?」と車の中で聞かれ、「父だけ一緒に住んでいないんです。」と答えると、なるほどね~と笑われて。別居が初めて役に立った瞬間でした。
父には一番頼りたくなかったのに!と思いながらも姉の優しさに感謝することにし、どうやら父はたまたま大学そばの銀行の支店に異動になっていて、そこからタクシーで駆けつけてくれたよう。

急患扱いで病院内のベッドに寝かされると、若い男性の医師に、「え~っと、○○さん、初めましてだね!」と言われ、そんな挨拶いりませんから!!と気持ちの悪い中で笑えてきたやりとり。心の声ですけど。それから点滴を打ってもらったら少し楽になり、父がその間に大学に停めてあった車を病院に持ってきてくれて、自宅まで運んでくれました。
「なんで大学に通っているんだ?」はっ、仕事を辞めたのバレた!大学在学中、色々あって取れなかった資格を取りに行っているんだよ!!これも、心の声・・・。とりあえずお礼を言ってお別れ。

夜、まだ気持ちが悪く、講義を途中で抜け出したので、試験内容もよく分からなく、早起きして気力だけで勉強しました。それから、ふらふらの状態で大学に着くと、そこで仲良くなった友達二人が、「Sちゃん、昨日は講義の途中にいなくなったから心配したよ~。ノートまとめてきたから、今すぐこれを覚えて。」と手書きの用紙を渡してくれて、涙で前が曇りながら、必死に頭に入れました。出会ったのは、ほんの数週間前。そんな友達二人は、自分の試験で精一杯のはずでした。それなのに、途中で講義を抜け出した私の為に、時間を割いて準備をしてくれていたノート。
自分が大変な時に、優しさを向けてくれた友達。絶対にここで落とすわけにはいかないと、深呼吸をして臨んだ試験は、手応えがありました。

試験後、全エネルギーを使って自宅に戻ると、「私達は自宅で吐いたからまだ良かったけど、Sは大学にいたから本当に心配だったよ。」と姉が笑いながら言ってくれて、母は、冷蔵庫の保存方法が悪かったと謝ってくれて、祖父は皆無事で良かったと安堵してくれて、父にお礼のメールを送ると「試験頑張れよ。」と返信してくれました。

必死になって勉強をしている学生さんを見ると、友達二人が向けてくれた優しさと我が家の珍事件を思い出して、胸がいっぱいになります。

司書の資格は、がけっぷちから沢山の人達に支えられながら掴んだもの。笑い話なんだけど、忘れる訳にはいかない、あまりにも尊い記憶。
それが、司書として生かされていく。これからもずっと。