弾ける年にしよう

新年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。毎年変わらずここにいられること、それを当たり前だと思わず、このサイトに関わってくださる全ての方へ感謝の気持ちを込めて、一年の始まりの記事を書かせて頂こうと思っています。毎年、一緒に年を重ねてくれてありがとう。

去年、一番面白かったことってなんだろうとふと振り返ってみると、それは息子が学校から持って帰ってきた一枚の名刺でした。どうやら英語の時間に、自分の名前を英語で書き、好きなことを書いて友達と交換するというものだったよう。息子の筆箱から出てきた一枚の名刺を発見し、大爆笑。『そうごう害虫部だいひょう○○』と書かれてあり、野球のバットを構える絵まで付いていて、息子と同じ野球チームの友達だと分かりました。「そうごう害虫部って何?」と私。「知らな~い。○○君がくれたんだよ。」「どんなことを調査するんだろうね。しかも代表になってるし。」とツッコミどころが満載の友達に、久しぶりに笑わせてもらい楽しい時間が流れました。それから、本当に色々なことがあり、息子にやんわり伝えることに。「Rがパパの顔色を見て生活していて、そういうのあまり良くないと思うんだ。だから、お母さんと二人で住んで週末パパに会う形にしようと思うの。おばあちゃんも遊びに来てくれるから大丈夫だよ。今日ね、一件おうちを見にいこうと思っているから一緒に行こう。」そう伝えると、黙って聞き、微かに頷いてくれました。どうしようもなく胸が痛くて。それでも、前向きな一歩だと信じて上を向く。その後、母も一緒に三人で見に行ったものの、思っていたよりも息子が通う小学校が遠くて断念。彼の気持ちを最大限大切にすると決めているから、タイミングを待とう。それから、気分転換にお昼ご飯を食べ、母と遊びに行ってくれたので先に帰宅しました。とても楽しそうに送り届けてもらい、拝みたくなりました。こんな風に助けてもらう日がくるなんて。心の中に寄せてあるどろどろが、少しずつ浄化されていく予感。夜になり、息子を寝かしつける時に伝えました。「Rのことはお母さんがどんなことがあっても守るから、何も心配しなくていい。」そう言って頭をなでると、ほっとした気持ちが流れ込んできて。一緒に乗り越えよう、絶対にその手を離さないから。

両親が私に教えてくれたもの、それは何だったのだろうと改めて考えてみました。夫婦は他人なんだなと思うことが山ほどあって、それでもぎりぎりのところで思いやりの気持ちを忘れていないような気がして、そんな人間臭いこの人達が好きだなと。だから私も、夫に対して精一杯の気持ちを最後に届けることができたらと思っています。LoveからLikeへ、LikeからHateにならない為にも選んだ道、出会えて良かったと思える距離のところまで離れたら、お互いがまた歩き出せる気がしました。彼の人生を応援したい、今は心からそう思っています。
お正月になると必ず思い出す祖父との思い出。おじいちゃんが好きだった日本。お正月は、平和になった日本の象徴のようなひとときだったのかも。「家族がいてくれなかったら、捕虜になってあそこまで頑張れなかった。極寒のシベリアの地でもうダメだって何度も思ったんだ。その度に、待っていてくれる家族がいると思うとまだ頑張れるって思えてな。そんなことの繰り返しだった。生きた心地なんてしなかったよ、本当に気力だけだった。帰してもらえるなんて思っていなくて、絶望の淵にいた。それでも、本当にもしかしたらっていう小さな希望を持って、重たい道具を抱えながら鉄道を作っていたんだ。」祖父が繋いでくれた奇跡。その小さな希望が、ひ孫にまで繋がった。おせち料理を前にすると、日本の豊かさに微笑んだ祖父。その生き様を、こうして忘れることなく記していこうと思っています。

まだまだ課題山積。それでも、地に足をついて一つずつ越えていこうと願っていて。この経験がまた誰かを助けることになるかもしれないなんて、そんな強がりも込みで、“今”を大切にしたいと思います。いくつのハードルを越えることになるのかな。その先に、すごく喉が渇いた後の炭酸をめちゃくちゃ美味しいと思える日を楽しみに、あと1つと思っていたらまだ10個もハードルがあった!と笑い飛ばせるように、この一年頑張ります。

2022年、みなさんにとってあたたかく優しい一年になりますように。いつもここにいます。更新していない日も応援しているから、自分のために笑ってください。次の公開は木曜日~。