願い続けた夢

13年前の北京オリンピック。4位に終わった侍JAPANが、成田空港に降り立ち、待っていたファンの数も少なく、まばらな拍手で迎えられて無念な表情を見せた星野監督の顔が、ずっと脳裏に残っていました。そして、稲葉監督はその当時稲葉選手だった訳で、JAPANのユニフォームを着て、目を真っ赤にし、悔しさを滲ませる姿も目に焼き付いていて。その監督が率いる日本代表が、金メダルを取ってくれた瞬間、13年という月日を感じ、色んな思いが一気に駆け巡りました。

息子とせわしなくどの試合も観ていると、必ず反応してくれる選手がいました。「あ、山田~!」小3男子に呼び捨てにされる気分ってどうですか?と山田哲人選手(ヤクルト)に聞いてみたいなと思いつつ、いい場面で打ってくれるので毎回感激してしまいました。そして、息子がぽつり。「ラッキーセブンってあるの?」「オリンピックの試合だからないよ。だからつば九郎も出てこないの。そもそも、ヤクルトの試合じゃなくて世界大会だからね。日本人の強い選手が集まっているんだよ。」「な~んだ。つば九郎出てこないんだ。」出て来てくれたら、それはそれで面白いなと思いながら、大盛り上がり。決勝戦も、リビングに息子がいて落ち着かない状況だったので、最終回を残し、寝かしつけにいきました。そして、2-0で勝っている中、栗林投手(広島)が最終回のマウンドへ。あと、アウト3つ。ランナーが一人出てしまった時、甲斐捕手(ソフトバンク)が駆け寄っていく姿が映し出され、キャッチャーというポジションの格好良さを目の当たりにしました。女房役、ピッチャーが投げた球をどんな時も受け止めてくれるキャッチャーがいて、ピンチの時に目の前で走ってきてくれる、そんな大きな存在にぐっときました。安心して投げてこい、守りの投球じゃなくて攻めのピッチングをしよう、大きな懐にめがけて投げる信頼関係があるからこそ、大舞台でも本来の投球を忘れずにいられるんだなと、観ていて沢山の熱い気持ちが流れ込んできました。苦しい時、正面からキャッチャーマスクを外して走り、ピッチャーにひと呼吸置かせてくれる存在、大きいな。そして、内野ゴロに打ち取り、ゲームセット。歓喜の瞬間に稲葉監督の堪えられない涙を見た時、私も泣きそうになりました。とんでもない重圧と、選手やコーチ達、もっと沢山の方達への感謝が溢れ出したんだろうなと。コロナ禍で、1年オリンピックが延期になったからこそ招集できた田中将大投手(楽天)。北京オリンピックを一緒に戦った選手が一人いてくれたこと、それは稲葉監督にとって大きなことだったのではないかと思いました。“オリンピックの借りはオリンピックで返す”、あの時の悔しさを知っているからこそ。

その後、喜びが爆発した胴上げがあり、対戦相手のアメリカ人選手と一人一人の握手があり、スポーツの美しさに感動しました。そして、表彰式へ。3位のドミニカ共和国の選手も登場し、コロナ対策として、メダルを選手同士がかけ合う姿に、感極まりそうになりました。これまで、共に戦ってきた仲間におめでとうやおつかれさまや俺達頑張ったよねって届け合う気持ちをシェアしてもらっているようで、このひとときを今度野球がまたオリンピックで復活するまで大切に取っておこうと思いました。表彰台の上での肘タッチ、いいな。応援していたファンの皆さん、同じ気持ちだったんだろうな。大野投手(中日)は、金メダルを空に向け、数日前に亡くなった中日の木下雄介選手へ。言葉にならない瞬間とはこういうこと。仲間と約束した金メダル、大野投手の気持ちはあまりにも尊いもの。堪らないよ、堪らないね。
横浜スタジアムにいた藤川球児さんが、テレビを通し伝えてくれました。この試合を観ていた野球をやっている子供達も沢山いたんじゃないかと思います、次世代に繋がってくれれば。今だけでなく、野球界の未来を見据えてくれる彼もまた格好いい。最終回前に、寝かせるんじゃなかった!!

私は、北京オリンピックからの13年、どんな時を過ごしたのだろう。28歳の時に見た4位という結果から沢山のことを学びました。悔しい気持ちって、とんでもなく人を成長させてくれるんだろうなと。選手として味わった悔し涙から、監督として溢れ出した嬉し涙の稲葉監督を見た時、自分も少しだけ何かを超えられそうな気がしました。ぐじぐじ悩んでいた30代、何かを得られたかと問われると、すぐには思いつかない。それでも、そばにはいつも野球があり、弱気な自分を励まし続けてくれた選手達の姿があり、泥臭く生きていこうと思いました。ユニフォームって、汚れた分だけ格好よく見えるよね。ヘッドスライディングは、自分の為というより、仲間の為に突っ込んだ証だから。涙と汗と泥にまみれた試合で、沢山のものをもらっていることに気づくんだ。

まだ愛知にいた頃、姉の旦那さんに言われたことが蘇ってきました。「僕ね、イチローと稲葉さんが通っていたバッティングセンターで練習したこともあるんだよ。」いいな~と思い、ドライブついでにそのあたりを通過。野球少年の憧れだった人達が魅せてくれたもの。稲葉監督に金メダルをかけたいと思うのはみんなきっと同じ。そんなことを思っていたら後日、表彰式後の記念撮影前、菊池選手(広島)が稲葉監督の胸に自分の金メダルをかけている姿を見ることができ胸がいっぱいになりました。人を惹きつけるのは、“この人の為に”、そう思わせてくれる何かがあるから。13年分の感動をありがとう。