限界を作らない

週末、私がシェアオフィスに行く時は、エレベーターホールまで見送ってくれる息子。1階まで降りた私に「バイバーイ」と大きく手を振ってくれるそんな時間が大好きでした。今日は、母宅に泊まりに行っていて、そんな声が聞こえない。ずっと一緒にいると参ってしまうこともあるのに、いざいなくなるとちょっと寂しい。いつもどこかでお互いを支え合っていたのだと痛感した優しい午後でした。見送られることの喜びを教えてくれたのは、他でもない息子。大切にしなくては。

なんとなく閉塞感のあるここ最近、明るい笑顔で迎えてくれたのはラガーマンのTさん。散々私の弱音を聞いてくれた後、同じトーンで伝えてくれました。「保育園の娘も休園になり、奥さんが自宅で仕事をしようとパソコンを開いたら、USBメモリを引っこ抜かれてしまい、大変だったみたいです。もうカオスのようだって。親も子も大変ですよね。」ああ、わかってくれてありがとう。誰が悪い訳でもなく、オールジャパンなことは頭では分かっていても、現実はなかなか厳しく、どっと疲れた後にこうやって話してくれる人の存在がどれだけ有り難いことか。Tさん、私はあなたのSNSの投稿で励まされましたよ、“自分に何かできないだろうか”、この気持ちが人の心をそっと支えてくれること、知っています。

同じ空間の中で、日曜日も働いているITエンジニアの方。最近は挨拶しかしていないのですが、一瞬交わされるアイコンタクトに、お互いがそっと微笑むそんな時間にエネルギーをもらっています。随分前、このサイトの話をした時に伝えてくれました。「本の世界にいたあなたがどんな文章を書くのか、それは読んでみたくなりますね。このペースで、これだけの分量と内容を書き続けることはなかなかできないです。続けてくださいね。微力ながら応援しています。」孤独じゃないと思わせてくれた人がまたここにもいたことが、弱っている時は強さを思い出させてくれます。

大学4年の9.11の時、何気なく母と観ていたテレビで、世界貿易センターに飛行機が突っ込んだという映像が飛び込んできました。事故なのかよく分からないままテレビ画面にくぎ付けになると、もう一機がさらに突っ込んでいく光景を目にして、言葉を失いました。これは事故じゃない。うまく説明ができない気持ちがぐるぐると巡っていた時、違う大学に通う理系の男友達がライブをやるから友達を誘ってこないかと連絡をくれて。女友達を誘い、一番前に座ると、サックスを抱えた彼が、ソロで何やら短時間だけ演奏してくれていたよう。私の中で飛行機の映像が何度も何度も流れ、演奏はトンネルの向こう側で流れているような塞いだ感じがした時間。隣にいた友達が私の肩を叩き、伝えてくれました。「今のソロ、ハッピーバースデーの曲だったよ。Sちゃんに向けて演奏してくれたんだよね。もうすぐ誕生日なの、知ってくれていたんだね~。」ああ、ごめんね。聞き逃してしまったよ。ライブが終わり、どこかまだ上の空だった私は、友達を車で送り、一人で名古屋港にドライブへ。夜の港を見ながら演奏してくれた彼にメールをしました。『バースデーソング、ありがとう。気持ちが嬉しかったです。』すると、返信が。『ライブに来てくれて嬉しかったよ。お誕生日おめでとうな。』自分の大学のキャンパスも案内してくれた彼。気を抜くこと、立ち止まることを教えようとしてくれたこと、気づいていました。名古屋港を見ながら、私も何か得意なことを見つけるかって、ふっと力が抜けたことを覚えています。そんな彼は、大学の卒業式で、父のマンション下で一緒に待ってくれた人。バリトンサックスを見る度に、大学時代の淡い思い出が蘇る。なんでもやれそうな気がした学生時代。不安感と隣り合わせでも、可能性をいつもどこかで信じていた若かりし頃の1コマ。読み切りタイプだけど、続いているよ。