息子が学校から帰ってきた日、伝えてきました。「ボクのつば九郎の手袋が見つからない。」と。おかしいねと言って、二人で自宅の捜索開始。それでも見つからないので、意外なことを言ってきて。「Siriに聞いてみる!」??令和の小学生面白過ぎるやろ!「それで分かったら逆にこわいよ。」と言ってもお構いなし。本当に聞いた後、再度伝えてきて。「聞いたら、手袋屋さんが出てきた!」そりゃそうなるわとわいわい。これだけ見つからなかったら、学校のどこかにあるよと話し、本当に大切にしていることが分かりました。見つかるといいね。
その翌日、ネネちゃんと姉妹カフェへ。いつもの場所で待ち合わせをし、佐賀でのお礼を伝えました。「最後まで一人でお願いしてしまいごめんね。レンタカーなど本当にありがとう。」「いいのいいの。無事に帰れた?Sちんを佐賀駅まで送った後、ガソリンスタンドがなかなか見つからなくってさ~。ようやく見つけて、火葬場に向かう途中、すごい細い道で対向車が来たら終わった!と思うルートで慌てた!」といかにも彼女らしい話し方で一緒に笑ってしまいました。「で、Sちんの心境はどう?」これが、ネネちゃんの一番聞きたいと思ってくれていたことなんだよね。「あの後、特急に乗ってどうしても博多駅の外に出たくて向かったの。そこで少しだけぼーっとしてた。その後、新幹線に乗って、おじいちゃんとの旅をゆっくり思い出すいい時間だったよ。私ね、先回りしていろんなことを考える時があってね。だから、佐賀のおじいちゃんやおばあちゃんの気持ち、名古屋のおじいちゃんやおばあちゃんの気持ちを沢山感じて、両親の仲を何とかしたいと思ってしまっていた時もあったの。でも4人が亡くなって、ミッションコンプリートだなって思った。私の役目、終わったんだなって。」「そうか。ミッションコンプリート、いいね!」そう言って笑ってくれました。「佐賀駅でね、イカの豆しばと、博多駅であまおうの豆しばも見つけて、Rが喜んでた!」「羽田空港では時間もなくて、ANAの飛行機だけしか見つからなかったから、Sちんどうしたかなって思っていたんだけど、R君のおみやげあって良かったね!」と一緒に喜んでくれました。そして、伝えてくれて。「あの後、最後に実家に行って初七日のご飯を頂いたのだけど、仏壇を見たら、随分前にSちんと撮ったプリクラが飾られていたよ。」その話を聞いて、また泣きそうになって。それは、姉が関空で働いていた頃、大阪へ遊びに行った時に撮ったものでした。離れていても姉妹だよって形に残したくて、それぞれの場所で戦うためにお守りとして撮った大切なプリクラでした。きっと、私がどこかのタイミングで祖母に手紙と共に送り、それをずっと仏壇に飾っていてくれたんだなと。人の想いは時を越える。
そして、ネネちゃんが意外にも小学生や中学の時、父や母とも何度か佐賀に行っていたといくつかのエピソードを話してくれて、急に思い出しました。幼少の頃、姉と二人で行った時や、父と二人で行ったドライブ、そして大学時代のことは蘇ってくるのに、なぜその間は抜け落ちていたのか。それは、私が小学生の時に4人で佐賀へ行った時のことが原因だろうと。相変わらず母といざこざがあった後、父は腹が立ったのか姉と私を車に乗せ、ショッピングセンターへ行くことになりました。置いていかれたと思った母は、タクシーに乗り、追いかけてきた模様。こちらを見付けた母は、私だけを引っ張り出し、二人になった後ものすごい形相で怒鳴りつけてきました。なぜ私だけ置いていくんだ、タクシー代がどれだけかかったと思っているのだと。それまで見ていた佐賀の緑の多い景色は自分の中で一変し、ダークグレーに。私が悪いのか?そんなことを考えることさえ悲しくなってしまい、思考は停止しました。名古屋でこんなことは沢山あった、でも安らげていた佐賀でこんな思いをするのは、まだ小さな子供だった私にとって、耐えられないものだったのだろうと。だから、母と行った時のことがごっそりメモリから消去されていた、それが前に進むために必要な手段だったのだと改めて思いました。祖母の葬儀は、透き通るような青い空と綺麗な田園風景が広がっていて。色を塗り替えにも行けたんだな、それはネネちゃんがいてくれたからこそ。そんな姉が聞いてきました。「博多に寄れたのならラーメン食べてきた?」と。息子と全く同じ質問だったので笑ってしまって。「行きたかったけど、そんな時間はなかった~。でもね、博多の空気は吸ってきたよ。」と笑顔で伝えると微笑んでくれました。いい帰りの旅だったんだねと。あっという間に3時間は過ぎ、お互いにエールを送り合ってお別れ。
そして、慌てて息子をお迎えに行くと、いつもの公園で合流し満面の笑みで伝えてきました。「ママ、つば九郎の手袋見つかった!やっぱりボクのロッカーに入ってた!あって良かった~。」ととっても嬉しそう。良かったね!と二人で一緒に安堵して帰宅。その夜、息子を寝かせた後、つば九郎を支えてくれた社員スタッフの方の訃報を知りました。言葉にならなくて。コロナ禍の時、ヤクルト飲料が好きな息子に、ヤクルトスワローズという球団があるよと話すと、最初は半信半疑でした。その後テレビを点けると丁度試合をやっていて、マスコットキャラクターであるつば九郎の存在を知ると、かわいい~と喜び、それ以来すっかりスワローズファンの一員に。初めて二人で観に行った試合では、選手よりもつば九郎の写真ばかり撮っていて、フェンスまで駆け寄ってカメラを構えるそんな姿に私まで元気をもらいました。最初のクルーのユニフォームは『2896』、沢山の思い出は数知れず、息子と私の胸の中に大切にしまっておこうと思います。翌朝、彼に伝えるとやはりショックを受けて。そして、学校に送り届ける途中、つば九郎の話をしているとふいに息子が空を見上げました。つば九郎ってつばめだから飛べるよねと。神宮の空にこれからもいてくれるよと話し、二人で少しだけ笑顔になれた気がしました。えみふるな毎日を過ごしてほしい、それがつば九郎の願いでもあったので、忘れないでいたいと思います。
沢山の方達にスマイルを届け、つば九郎を支えてくれた社員スタッフの方、心よりご冥福をお祈りいたします。