小さなことから始める

以前、耳鼻科に行った時、優しいご年配の男性医師に、乾燥で鼻も辛いことがあるから、できるだけ水分を取ってね~と言われたことがありました。「1日1Lは飲んでる?」「いやあ、多分800mLぐらいです。」と言うとふふっと笑われて。なんだろうな、この感じ。ボケたつもりはなかったのだけど、キャラで笑われたのか?!

そんな時期を通り越し、自分の入院前に沢山の資料を前にして、麻酔の説明だけは動揺しそうで読めませんでした。そして入院当日、パジャマに着替え、麻酔科の先生の所へ説明があるからと、その冊子を持ち、手術室隣のお部屋へ。緊張しながら中へ入ると、随分明るい女性の先生が、丁寧に説明をしてくれて、固まっていた気持ちは和らいでいきました。「元々胃が弱いので、麻酔後に吐く自信があるんです~。」「分かりました!こちらでも気を付けておきますね。他に気になることとかありますか?持病について、副鼻腔炎とありますね。私もなんです~。」「意外と辛いですよね。息子の風邪が移って、ずっと風邪だと思っていたらまさかの副鼻腔炎で、それ以来繰り返すようになってしまって。」「分かる~。これはなってみないと分からないですね。今寒いから、余計に気を付けないと。」「そうなんです。湯たんぽ持参できました!」と、麻酔科の説明以外のことで大盛り上がり。初めての開腹手術、全身麻酔なんて経験したこともなく、そしてがんかそうではないかで大幅に手術時間が変わってくるという状況に、先生も安心してもらおうと沢山気を紛らわしてくれていることを感じていました。ビニールカーテン越しに沢山笑ったよ。冊子の説明よりも、先生の笑顔が何倍も励みになった。医師に丸ごと体を預けるということ、その重さと、温もりを感じた優しい時間でした。

この間は、シェアオフィスでランチから戻ると、パソコンの更新時間に思いのほかかかりそうだったので、時間がもったいないと思い、話せる側の席にいた不動産関係のHさんに声をかけました。「今、お仕事中ですか?まさかの更新でパソコンが使えないんです。」「ああ、大丈夫っすよ。結構かかる時はかかりますよね。どうぞ。」と椅子を勧められ、すっかり会話を楽しんでしまいました。こちらのことを色々と聞いてくれるので、ラグビーだけでなく野球も好きということを分かってもらい、二人でワイワイ。父が野球好きで、変な英才教育を受けて、なぜか私だけ野球観戦に連行され、こうなりました!と話すと笑ってくれて。お姉ちゃんは?と聞かれ、そういえば私だけだったと話すとさらに大笑い。父と姉、昔っから相性が良くなかったなと今さらそんなことを思い出しました。まともに口を利かない、それが日常だった訳で。岐阜にいた頃、一度だけ父が姉に本気の激怒をしたことがあり、姉も反発。その後、姉が自分の部屋でこっそり泣いているのを知っていました。どんな言葉をかけていいのか分からず、そっとしておく方がいい気がして。二人の溝がどうしようもなく大きくなってしまった出来事です。その後、姉が中学3年の2月に、父の栄転が決まり、名古屋に戻ることに。私は元々いた小学校へ戻ったものの、姉は受験を控え、今さら転校もこの時期にきついだろうとみんなの判断で、名古屋から岐阜に1か月半ほど通学を決めました。朝早くに出て、電車を乗り継ぎ、へとへとになって岐阜の中学校へ到着。毎日の遅刻も担任の先生は分かってくれて、そんな姉を労ってくれたそう。さらに、クラスのみんなが休み時間になると、集まってきてくれて、そんな時間で頑張れると話してくれました。

そして、卒業式。男女問わず、何人もの仲間が、名古屋行きの電車に乗り込む姉を、入場券を買って見送ってくれました。その中には、転校してきたばかりの時、まともに口を利いてくれなかった女友達もいたとか。駅のホームぎりぎりまでみんなが走り、泣きながら手を振って見送ってくれた時、通学大変だったけど最後までこの中学にいられて良かったと、目を真っ赤にして帰宅した姉が話してくれました。県をまたいでの高校受験も、安全を取り、少しランクを落として志望校に呆気なく合格。我が家、みんな大変だったけど、一番頑張ったのは姉なのかも。

時は流れ、姉が二十歳ぐらいの時、学生バイトで働いていたホテルのレストランに、両親を招待。接客中だったので、あまり話せなかったんだけど、二人が揃って来てくれて本当に嬉しかったと後から教えてくれました。父が働く銀行から、ランチの時間帯にどこかで母と待ち合わせをして仕事の合間に来てくれたんだとか。「店長がね、娘の働く姿を見に来るなんて、いいご両親だなって。お父さん、なんだか銀行員の顔だった。お母さんと来てくれて感激したよ。二人とも親らしいことの方が少ないけど、いい所もあるなって、そういった部分をもっと見つけていけたらと思った。」姉のわだかまりが少し解れた時。なかなか固い氷が彼女の心にあることを知っているけど、それでも、芯が温かい人だから、そっと見届けるよ。父と姉の歴史も色々あるんだな。
大阪に仕事を決め、両親が引っ越しの手伝いに行き、別れた後、大泣きして私のところに電話をかけてきたこと、一生忘れない。ここまで育ててくれてありがとう、そんな感謝で溢れていたから。