息子が疲れた~と帰ってきた夕方、急に伝えてきました。「昨日机に置いた封筒あったでしょ。あれね、先生に返さないといけないんだって。」「え~!今日紙のゴミ出しの日で、捨てちゃったよ。なんで昨日の段階で言わないの?もしかして聞いていなかった?」「・・・うん。」「みんなが出しているのを見て慌てたんだね。」そう言うと、本気で凹んでいるのが分かったのでなんとかしなければと頭をフル回転。時計を見るとまだ5時前だったので、学校に繋がると思い、急いで電話をかけました。すると、こちらの大混乱とは時間の流れ方が違うのか、随分ゆっくり話す男の先生が出てくれて、そのトーンに落ち着き、担任の先生に代わってもらうことに。どうやら、残金の入っていた封筒に受領したという判子を押して、戻さなければいけなかったよう。「R君、聞き逃してしまったのかもしれませんね。ふふっ。こちらとしては、保護者の方にきちんと受け取ってもらったことが分かればいいので、このお電話でそれが分かったので大丈夫ですよ~。」と随分明るく言って頂けたので、嬉しさと共にどっと力が抜けてしまい、お忙しい時間にすみませんでしたとお礼を伝え、笑って電話を切りました。一連のやりとりを近くで聞いていた息子は、こっそり隠れていて。「あのね、大事な書類があることもあるから、先生の話は聞いていてね。中学校に入って口数も減ったし、新しい事ばかりで疲れているのも分かる。それでも、気を付けてくれていたら助かるよ。」そう話すと、小さく頷いてくれました。しっかりしているようで、たまにものすごく抜けていることを知っているので、中学校生活がまだまだ私自身落ち着かないはずだと少し笑えてきて。誰かを傷つけた訳ではなく、内輪で済む凡ミスで良かったね。週7日のたった1日の紙の日が、ピンポイントで今日だったことも笑える。珍事件はこれからも続く。
今日はパソコンが何度もフリーズしてしまい、気持ちは流れるのに、アウトプットがなかなかできないもどかしさと戦っています。それも含めて、自分の素直な感情なのかなと。息子の件が解決し、ほっとしていると、なぜか高校時代の出来事が思い出されました。1年生の時、休み時間になって後ろの方で大きな音がしたので振り返ると、女友達二人が本気の喧嘩をしていて、一人が相手の筆記用具を窓の外に投げてしまい、みんなが大慌て。私と彼女達は、そこまで親しくはなかったのだけど、二人の仲は知っていて、余程何かがあったのだろうと思いました。みんなで宥め、誰かが外まで筆記用具を拾いに行ってくれて。それでも彼女達の気持ちは引き裂かれ、関係はそれっきりに。そしてそのまま卒業、社会人になり、私が関東に来た後、高校の時に喧嘩をした一人の彼女が旦那さんの仕事で横浜にいることが分かり、久しぶりの再会が待っていました。先に席で待っていると、私の顔を見た途端泣いてくれて。知らない土地で、一人で頑張っていたことが分かり、こちらも泣きそうになりました。そして、ずっと気になっていたので仲直りできたか聞いてみると教えてくれて。「あの喧嘩の前にね、二人で好きなアーティストのコンサートに行こうってそれぞれチケットを買っていたの。あんなことがあったけど、別々でコンサートに行っても隣同士の席だし、そこで仲直りできたらいいなって。そうしたら、待っていても来なかった。」「それは悲しかったね。」そう伝えると、また泣かせてしまいました。その時、本当に友人関係は終わったのだと痛感したと、苦しかった胸の内を話してくれて。本当は優しい彼女、そしてもう一人もそう。ただ、何かすれ違いがあり、どうにもならないスピードでその亀裂が広がってしまったのだろうと。ひとしきりどんな思いでいたのかを話し、一息ついた後少し吹っ切れた表情を見せてくれました。「久しぶりの再会なのに、こんな話をしちゃってごめんね。聞いてくれてありがとう。Sちゃんの方が先に来て、関東で頑張っているのに。」人の本質ってこういう時に出るのかなと思う。「ううん。今日会えて嬉しかったよ。〇〇が頑張っているのが分かって、私もまた頑張ろうって思った。そういえば、M(元航空会社の整備士)も出張で横浜まで会いに来てくれたことがあったの。また機会があれば、今度三人でプチ同窓会しよう!」そう話すと本気で喜んでくれました。そして、本当に実現した三人での飲み会。横浜の夜景を見ながら、高1の小さな同窓会が待っていました。その時間を楽しんでいる彼女、心が少しでも晴れてくれていたらいいな。高校時代の友情に乾杯!重なったグラスの音に、三人とも胸がいっぱいでした。なんて透き通った夜。
最近になり、息子が私の大学時代は何をやっていたのか聞いてきたので、伝えました。「大学1年の時に、マウンテンバイク部に入っていて、春休みに部のメンバーと九州に行ったの。大分の別府港から何日もかけて熊本の阿蘇山に行って、マウンテンバイクで登ったよ。」「すげー!」子供に語れるような大学の思い出があって良かったなと思う。その後、家庭崩壊したんだ、どれだけ大事なひとときだったかを思い知る。高校の友達とはすっかり疎遠に。卵巣を摘出する前のお正月、下腹部の激痛が酷すぎて年賀状どころではないと思い、彼女とのやりとりもそれっきりになってしまいました。一通りのことを話したら、また泣かせてしまいそうで。いつか横浜駅で、思いっきり笑えるその日まで、再会を楽しみに歩を進めようと思います。クローゼットの奥に入っているアルバムは、きっと自分の学生時代が詰まっている。いろんな思いになるのは分かっているので、まだ開けられなくて。辛かったよ、とっても。でもそれだけじゃないものが沢山あって、いつか勇気が出せた時、大切な記録物を手に取ろうと思います。何年後?その時までここに、出会った方達の笑顔を綴り続けることにする。