言葉の重さ

良く晴れた月曜日の朝、息子とバイバイする地点まで見送ると、ぽつりと伝えてきました。「学校行きたくないな。どうして学校に行かなきゃだめなの?」彼の質問は年々鋭さを増していく。「月曜日は気持ちが重たいの分かるよ。でも、学べること沢山あるし、週末を楽しみに頑張っておいで。」そう言って笑顔でハイタッチをすると、ぼんやり納得してくれました。ボク、休校中ママと一緒にお勉強ができていたから、それでいいんだけどな。そんな心の声が聞こえてきたものの、そこは気づかないふりをして大きく後押し。「そういえば明日は半日だったね!午後はまた動物図鑑を見ようか!」そう言うと、一瞬息子が軽くなるのを感じました。何か一つ、嬉しい材料があるだけで気持ちも変わってくるよね。「いってらっしゃい!」ふんわり押したよ、辛くなったら思い出して。お友達も沢山いて、授業も理解して、行ったら行ったで楽しいのに、寒暖差で息子の自律神経は乱れ、憂鬱な自分が顔を出したよう。その感情を吐き出してくれてありがとう。大きなこと。出せる人には出していこう。そうやってバランスの取り方を覚えていったら、きっと楽になるから。金曜日、一週間が早かったと毎週のように言われ、小さくガッツポーズ。「それはね、毎日が充実しているからなんだよ。大変だけど楽しいから、早く感じられるんだと思う。」「うん。ボク、英語の曜日、金曜日を一番最初に覚えたの。好きだから。」「ハッピーフライデーだね!」そう言って二人で盛り上がる週末。サイダーで乾杯。

気圧変動で、メンタルが落ち込んでいた夜、なぜか急に中学3年の陸上部の頃が蘇ってきました。監督が日曜日は休めと言っても、毎週のように自主練を重ねたことにより、両足は鉛のように重く固くなるように。それでも、欠かさずチームに合流し、男女入り混じってトラックを走っていると、あまりの痛さにどんどん遅れて行き、ついには周回遅れに。なんだか自分が情けなくなり、俯きがちに走っていると、後ろから来た3年の男子が私を抜かす時に肩をポンポンと二回叩いてくれて、泣きそうになりました。普段、バレーボール部の彼はとても無口で決して多くを語らないことを知っていたので、肩を叩いてくれた時、いろんな気持ちが流れ込んできて。「気持ちはそばにいる。みんな仲間だ。」そう伝えてくれたのではないかと思うと、走り去った背中が涙でぼんやりして、ぐっときました。苦しい道の途中に支えてくれる人の存在は、こんなにも有難いことなんだなと。その後、両足肉離れを起こして補欠にも選ばれなかった私を、みんなが労ってくれて、陸上部は解散。背中を叩いてくれた彼はワンランク上の進学校に行き、自衛隊に入ったことを風の噂で聞きました。それから数か月後、合わなくてやめたという話も聞き、本人にしか分からない苦悩があったのだと思うと色々考えさせられて。すると、少し経った頃、偶然お互いが自転車ですれ違いご挨拶。いつも真っ直ぐだった姿勢はやや俯き、辛い決断だったことが分かりました。「俺さ、自衛隊に入隊したんだけど、やめたんだ。母さんはすごく期待してくれていたから、なんだか悪いことしたなって思って、自宅に居づらくてさ。」「そうだったんだね。入ってみないと分からないことあるよね。ゆっくり休んで自分の道をまた探せばいいって思う。」陸上部の時に助けてもらっておいて、もう少し気の利いたことは言えないのかと自分で思いました。それでも、今何を言っても、辛くさせてしまう気がして、それ以上は何も言えなくて。笑って別れてくれた彼の笑顔は切なく、あれからいい人生を送ってくれていたらいいなと願わずにはいられなくて。ポンポンと肩を叩いてくれた優しさ、今でも覚えているよ。私もそんな人になりたいと思わせてくれた一瞬の出来事、ぬくもりをありがとう。

マブダチK君と再会した時、彼の思いがけない葛藤を話してくれました。「うちさ、自営業をずっとやってきて、姉貴達は女の子だったから、俺は18代目の待望の男の子だったんだよ。だから、俺も家を継ぐものだと思って高校に行ってさ。でも、おとんが自分の代で終わらせるって言い始めて、一度言い出すと聞かないタチだから俺もちょっと複雑でさ。大学中退したし、やっぱり家を継ごうかと思っても絶対に譲らなかったんだよ。実際、段々売れなくなったしな。たださ、俺が18代目だということを子どもの頃から聞いていて、本当にこのままでいいのかなって、会社員になって悪いことしたかなってどこかで思っているんだよ。」「おじさんもおばさんも沢山考えて、そんな時代じゃないって思ったところもあったように思うんだ。K君には自分が選んだ道を進んでほしいという親心もあったと思っているよ。」そう伝えた時の彼の目は鋭く、なんだか自分の言葉が薄っぺらく感じました。彼が伝えてほしかったのはそういった言葉ではなかったんだろうなと。負の遺産になってしまうかもしれないものを息子に背負わせたくないと思っている気持ちは、高校の時におばさんから感じていました。それでも、彼は負もひっくるめてこれまで培ってきた長年の歴史を、俺は引き継がなくて本当にいいのだろうかと悩んでいました。なんだか、人の想いを大切にするK君らしくて。そういった気持ちを持ってくれたことが、ご両親もご先祖様もみんな嬉しいと思うよ。それだけで十分。この言葉の方が、彼に深く届いただろうか。
「前に飼っていた犬いたでしょ。私が遊びに行く度に吠えられた“くま”。名前ってひらがなだったの?ずっと気になっていたんだよ。さすがにもう元気じゃないよね?」「ひらがなだよ。元気に死んでいった!」そう言ってゲラゲラ笑うので、一緒に笑ってしまいました。その表現もK君らしく、実際本当に元気に死んでいったのではないかと思えてきて。彼の言葉は、マイナスをプラスに好転させる力がある。元気に三途の川を渡れたら、そこからまた別の人生が待っているのかな。渡った先で、彼は待っていてくれるのかもしれない。「おっせいな。いい死に際だったか?ここからまた行くぞ。」そう言って、違う生き物になるのかも。どこに終わりがあるのだろう。