待っていた春

春休みに入り、ようやくほっとできるかと思いきや、想像していたよりも息子が友達と遊びに行かないので、パソコンに向かう時間がなかなか取れず、苦戦していました。それでもね、私の心の中には、沢山の出来事や感情が溢れそうな程詰め込まれていて。卒業式の日、外は土砂降りでちょっと滅入ってしまいそうな気持ちの中、連れて行きたいと思いぬいぐるみに声をかけました。「つば九郎、行くよ。Rが今日卒業式なんだ。一緒に見守ってほしい。」そう言って握りしめると泣きそうになり、そして勇気がもらえたのか微笑みたくなりました。ヤクルトファンの心の中に、ずっといてくれる。そんな思いでバッグに入れ、体育館で行われた卒業式の後、みんなでわいわい写真撮影をしていた中で、幼なじみのD君のお母さんと合流し旧担任の先生との撮影の順番待ちをしていました。そして、息子に伝えることに。「今日ね、仲間を連れてきた!」そう言ってつば九郎のぬいぐるみをこっそり取り出すと、彼はにっこり笑顔になり、D君もお母さんも一緒に笑ってくれました。「うちのお兄ちゃんね、DeNAのファンなんだけど、つば九郎のことは好きで、寂しいね。」お母さんがしみじみそう話してくれるので、なんだかじーんとして。みんなのつば九郎なんだな、そう思いました。そして、息子と一緒に帰宅するとすぐにバッグからつば九郎を取り出してひと言。「ちょっと濡れちゃってる!」「ああ、ごめん。雨の中一緒に卒業式に行ってくれたんだよ。」そう話すと、その日の夜、そっと手に取り大事そうに自分の部屋へ連れて行き、一緒に寝ていました。お母さんも心強かったよ、笑顔でいっぱいにしよう。

その三日後、春らしい陽気の日、息子が念願だった日帰りスキーに、プログラマーのMさんにも声をかけ、バスに乗り行ってきました。見事な晴れの中、人生初の彼にどう教えようか、頭はフル回転。説明よりも実践あるのみだと思い、やらせてみたものの、坂で急には止まれず転びまくり、上手くいかないのでぐずってしまい困惑。やっぱりスクールに入れた方が良かったかな、でもそれはそれで緊張してどっと疲れるから、私が教えた方が吸収しやすいんじゃないかと様子を見ながらずっと考えていました。一度休憩を挟みたくても、すでにゲレンデのど真ん中。戻ることもできず、とにかく下まで頑張って、リフトに乗るのを目標にしようと若干のスパルタが待っていて。息子の性格は誰よりも知っている、どれだけ泣き叫んでも、途中で諦めることはしなかった。だから、お母さんも諦めないでいる、大変な時もあるけど一緒に乗り越えようって約束したから。ママは時々とても厳しい時がある、でも絶対にボクから離れない、それも感じてくれていました。板は長いし、自分が進みたい方向に行ってくれないし、転ぶし、疲れたし、もう投げ出したい、止めてしまいたい、いろんな気持ちがぐちゃぐちゃっと絡まり、ゴーグルの下は泣いていたんじゃないかと思う。でもね、ここで投げ出したら絶対に後悔する、それが息子の強さであることも知っていました。Mさんは近くでフォローしながら見守ってくれていて、ようやくリフトまで行き、三人で乗るとその景色と快適さに、息子の絡まった糸が解けていくのが分かって。そして、Mさんが伝えてくれました。「今日は雪遊びに来たんだよ。僕やマミーが滑れなくても気にしなくていいんだよ。」その言葉は、息子の栄養ドリンクに。焦っていた気持ちが、ゆっくり落ち着いていくのが分かりました。そして、降りたリフト。「膝を使いながら体重移動をして、お母さんの後をゆっくりついておいで。」そう伝えると、明らかに表情が変わり、本当に同じスピードでついてくるので驚きました。自分の力で、本気で何かを掴んだんだなと。先程のぐずりはなんだったんだと拍子抜けするぐらいスムーズについてきて、Mさんも慌てて動画を撮ってくれて、あっさりリフト乗り場へ。見違える程、息子の表情は自信に満ち溢れていました。「Rは、新しい事だと入り口が不安でいっぱいになるの。その気持ちも分かる。でもね、そこを突破した時強みが出るよ。中学校生活も大丈夫だ。今回の経験が、絶対にどこかで発揮されるよ。」そう話すと嬉しそうに頷いてくれました。「めちゃくちゃ気持ち良かった!スキー楽しい!!」運動能力があることは知っていたけど、こちらの想像を越えてきたなと笑ってしまって。そして、そんな親子を見て、Mさんが感動してくれているのが分かりました。二人が越えてきたもの、そうやって絆を深めてきたこと、間近で見せてもらえて本当によく分かったと。この親子なら大丈夫と太鼓判を押された、忘れられない息子のスキーデビューになりました。

私が最後に行ったのは、大学生の頃?もう24年も前のこと、よく体が覚えてくれていたな。それは、高校1年の時同じクラスメイトで、マブダチK君の友達でもあった男子二人に誘われ、三人で行ったのが確かその当時のラストスキー。二人はボーダーで、一人の男子と二人席のリフトに乗り、後ろに運転手をしてくれた友達が一人で乗り、降りるタイミングでずっこけて、私がリフトを止めてしまいました。もう恥ずかしいやらなんやらでちらっと後ろにいた友達の方を向くと、笑いを堪えて視線を逸らし、思いっきり他人のふりをされて。そして、涼しげに降りてくると伝えてきました。「リフトを止めるな!」その言葉を聞き、三人で大爆笑。「いや~ちょっとバランス崩しちゃったんだよ。」と言っても、なんのフォローもなし。そんな友達関係があの頃の私にとって、とても大切なものだったのだと改めて思いました。言いたいことを言った、わがままも言えた、疲れた時に疲れたと言えた、それをしょうがねえなと受け止めてもらえたこと、本当はとっても大きな経験だったんだ。息子とMさんとバスで降りたのは新横浜駅でした。そこは、アメリカ育ちの元彼と遠距離恋愛をしていた時に、利用をしていた駅で。その当時の私は、沢山言葉を飲み込み、新幹線の中でもよく泣いていたなと。それから月日は流れ、息子と本気で向き合えるようになった、それだけは母親として合格点をあげてもいいのかもしれないな。振り向いたらあっさりコツを掴んでいる息子がいて、滑れるんか~い!と笑い転げた春のゲレンデ。そんな日がまた綴じられ、年を重ね、ふとどこかのタイミングで思い出すのだろう。寂しさや喜びや感謝や、それはもう沢山の感情がこみ上げ、歩いてきた道をまた噛み締める、生きていくってそんなことの繰り返しなのかなと思った優しい一日。中学校の入学式まであと少し、次のステージが始まる。