ぼんやりしていたある日、何かピコン!と頭の中でランプが点いたような発見がありました。それは、ネネちゃんと散々やっていたスーパーマリオブラザーズのファミコン。一人でやる時、マリオ×3だと強気になってどんどん前へ進むのだけど、マリオ×1になった時点でゲームオーバーになりたくないので、びっくりする程慎重になる始末。その緊張状態にいるのが、今の現状なのかなと。せめてマリオ×2になってくれたら、もう少し精神的な余裕が生まれるんだよな。敵にぶつかった時の、テレッテテレ~レレ♪の音を聴いて、後ろに控えているルイージ(息子)も笑ってくれたなら。1UPキノコを探すことは忘れないでいよう。
息子が何気なくテーブルに置いた学校の広報誌。パラパラとめくると、そこには5年生の秋にクラスのみんなと行くはずだった富士山の活動写真が掲載されていました。それを見て、コロナの感染で行けなかった彼は気づいただろうかとまたこちらの方が凹んでしまって。きっと息子の方がもう過去のこととして捉え、前を向いている。しっかりしなくては。父と歩いたバージンロード。その先に元夫が待っていてくれたのだけど、その手から離れることに。それでは、歩いてきた道を戻ったのかと言われれば、そうじゃなくて、光が降り注ぐ教会の窓を破って突き進もうとしたんだよね。気持ちの面で(そりゃそうだ)。その時握ったのは息子の手、そのぬくもりを忘れないでいようと思います。そして、その手を離す時がくる。自由に飛んでほしい、その願いは届いているだろうか。
「Sちんを幸せにするのは、簡単なことなんだよ。」20代の頃、姉に言われた言葉が何気ない時に蘇ってきました。ネネちゃんは、複雑な私を知った上で、根っこにある単純さもまた分かってくれていたんだなと。それは幼少の頃からで、その大きさに改めて気づきました。「Sちんさ、一日に何回手を洗っているの?何気に潔癖症だよね。」「え?!アライグマに負けないぐらい。」そう話すと、一緒に笑ってくれて。繊細さも単純さも丸ごと分かってくれる人に出会えたらいいね、それがいつも姉の願いでした。それが分かっていたからこそ、自分の辛さを話せないこともあって。私のことで悩んでほしくなかった、なぜなら姉には心から笑っていてほしいから。その気持ちは、子供の頃からずっと変わらなくて。息子と今年中に行きたいと思っている大阪。ネネちゃんが実家を離れ、初めて飛び立った場所でした。子供の頃に、日航機墜落事故を見て、彼女の中で何かが芽生えたのを感じました。そして、目標にしたCA。その夢は叶わなかったけど、グラウンドスタッフとして関空で働く姉の姿を見て、泣きそうになりました。彼女の夢の一端を見せてもらえたこと、それが嬉しかった。南海電車に乗り、難波駅まで送ってくれた彼女。また実家で頑張ってしまう妹と別れても大丈夫だろうか、そんな姉の気持ちを感じ、思うように言葉が出てきませんでした。難波駅と名古屋駅を繋いでくれた近鉄電車。なんばの喧騒、関空の大きさ、南海電車から見えた通天閣、そして姉の女子寮の匂い。大阪に着いた時、一気にいろんなものが駆け巡りそうで、その瞬間を幸せと呼ぶのかなと思いました。彼女と過ごした沢山のあたたかい時間が、そこには詰まっています。ネネちゃんが挫けそうな時、そのひとときの喜びをやっぱり伝えたいです。もう一度拾いに行かなくては。
その後、カナダに留学し、名古屋に戻り、義理の兄と結婚。そんな中で、マブダチK君のお母さんや、小料理屋のママ、血の繋がらない親戚のおばさん、私のオーストラリアのホストママなど、姉も接触する機会があり伝えてくれました。「Sちんはずっと無理をしてまっすぐでいようとしているんじゃないかって、本当は曲がっちゃっても良かったんだよって思ったこともあったの。でも、Sには沢山のお母さんがいて、だから今のSちんがいるんだね。私がいない間も、Sに愛情を注いでくれる人がいっぱいいた。曲がる必要なんてなかったんだなって、ようやく分かったよ。」答え合わせができて安心してくれた姉、これでほっとして嫁に行けると笑ってくれました。
子育てが終わって、もう一度姉妹で向き合った時、何を話すだろう。歩いてきた道の濃さや困難さ、美しさや白黒に見えた時期。それでも、あなたは私のマリオだった、そう伝えたい。4年先に生まれてきてくれたネネちゃんの最期を、見送ると決めている。その時まで、1UPキノコを集めて駆け抜けることにしよう。私の最期は、姉との思い出が駆け巡るだろう。生きることってやっぱり儚くて尊い。