本気の大作戦

母に頼まれごとがあり、息子のお迎えの後せわしなく帰ってきた夕方。宿題プリントと算数ドリルのやりきれなかった箇所をやってくるという内容でそれなりの量があったので、本人に伝えました。「4時におばあちゃんちで待ち合わせなの。できるところまでやって、後は明日の土曜日に回そう。」「え~、やっちゃいたい。」と半分ぐずぐずしながらお決まりのパターン。猛烈に頭は痛いわ、気持ちは沈むわの最悪のコンディションの中、息子の宿題を見ながらどんどん時間は押していき、結局30分遅れで母宅に到着しました。さてさて、どんな夜になることやら。

そして、「もう来ないかと思ったわよ。」と若干母に文句を言われ、スルーしながら仏壇の前に座り、祖父母の遺影を見ながら手を合わせると、落ち着きました。おじいちゃん、おばあちゃん、私達家族のことを見守っていてね。私も頑張るから。Rが健やかに育っていくことを見届けてください。心の中で伝えると、涙が溢れそうでした。その後、持ってきたパソコンを開き、母の書類を確認。それは、人間ドックを受ける為の入力をするものでした。そして、渡された保険証。それを見た時、父の銀行の組合に入っていることが分かり、いろんな気持ちがこみ上げてきました。父が44歳の時に母と別居、50歳で銀行の関連会社に出向し、65歳で定年退職。そして、関東で母と20年ぶりの同居が始まりました。関連会社で会社員になっても、銀行と関わる仕事をしていて、その間もずっと母は扶養に入り、守ってもらっていたのだなと。社内恋愛をした両親。結婚式は、上司や同僚が出席してくれたから、その日は半分ぐらい支店の行員がいなかった!と母が笑いながら話してくれたことがありました。ということは、平日だったのか?!と今さら思い出して。そして、父が熱唱した『燃えよドラゴンズ!』は、その支店で伝説になっていたのではないかと笑えてきました。いつもビシッとスーツを着て、出勤していた父。転勤が多くなり、その背中が段々切なくなっていきました。もう銀行は俺に用はないんだな、そんな声が聞こえてくるようで。そして、出向。肩書の付いた父のポストはちゃんと用意されていて、それが本当に嬉しかった。その時もらった名刺は、いつも私の名刺入れにあり、持ち歩いています。父がいつか他界した時、棺桶に入れようかとも思っていて。銀行と共に歩んできた人だから、その名刺を持ってあの世に行ってほしいなと。
プルルプルル。「あ、お父さん。仕事中にごめんね。」「おう!どうした?」「携帯にかけておいてなんなんだけど、なんで勤務中に電話が取れるの?」ははっと屈託なく笑う父。「そんなにやることないから暇なんだよ。」「銀行ですり減ってきたから、時間がゆっくり流れていいんじゃない?」「業務内容自体はそこまで変わっていないんだけど、いつ出向になるだろうってもう気にしなくて良くなった分楽になったのかもな。」「気の張り方が全然違うなって思うよ。今のお仕事頑張ってね。」結局その電話は何の為にかけたのか、具体的な内容は思い出せないのに肩の力が抜けた父との会話は蘇ってきました。そして、電話の向こうから聞こえてきた会社の雰囲気も。そんな時、たまたま金曜日休みだった父が帰宅。入力に苦戦しながらようやく終了したことを伝えると、あっけらかんと母に言ってきました。「今回のIDとパスワードは保存しておけよ。わしもそうしたから。」!!銀行組合のホーム画面から父もすでに人間ドックの予約をしていたことが分かり、絶対にいつかぶっ飛ばそうと思いました。お父さんもやっていたなら、お母さんの分もやってあげてよ!そうしたら私が呼び出される必要はなかったのに!!と、一体どれだけの言葉をこれまで飲み込んできたことか、似たような展開があり過ぎて逆に笑ってしまいそうでした。銀行の保険証を見て、感慨にふけっていたこちらの気持ちを台無しにするなと父には言いたいことが山ほど溜まっていて。どうぶっ飛ばすかは、こうご期待。

そんなこんなでミッションは無事に終わり、ひなまつりだったのでちらしずしをご馳走になりながら、侍JAPANと中日戦を一緒に観戦することに。すると、父が満面の笑みで、打席に立つ中日の選手一人一人を説明してくれて、子供時代を思い出し、懐かしくなりました。若い選手達の活躍に父が歓喜し、ドラゴンズともずっと歩いてきた人なんだなと色々な気持ちがこみ上げて。満員のナゴヤドームが映し出され、レフト側の上段が見えた時、そこで一日だけバイトをした学生時代の自分を思い出しました。大学の男友達に人が足りないからと懇願され、戦力になるかなあと不安になりながら向かったドーム。新しいスタッフに慣れているのか、みんながウェルカムで迎えてくれました。年間シートを購入されたお客様の席へ、開場前に一気にランチョンマットと箸を置き、売店でスタンバイ。試合開始前や攻守がチェンジのタイミングでお客様が増えることを教えてもらい、モニターで確認。やたらと私が野球に詳しいのでみんなに笑われて、和やかな雰囲気の中売店で待機していました。ドリンクチケットを持ち、話しかけてくれたのはみんなレフト側にいたヤクルトファンの方達。今思えば、年間シートの購入ということは中部地方在住のヤクルトファンがほとんどだったのかなと、嬉しくなって。息子がファンになるずっと前から、ヤクルトファンの方達と交流があったなんてね。あの時見えた綺麗なナゴヤドームに、何十年も経ち、侍JAPANが来てくれて胸がいっぱいでした。

「お父さん、Rの通帳の暗証番号を2回間違えちゃって、3回目も間違えるとロックがかかると行員の方に言われたから、身分証などを持って窓口に行ったの。そうしたら本人を連れてきてくださいって言われてね。」そう話すと、母も聞いていて2人が同時に笑ってくれました。この人達、銀行で愛を育んだんだよね、ふとそんなことを思って。そして息子がひと言。「もう、ボク春休みに銀行に行かなきゃいけないんだよ~。面倒くさい!」番号間違えて悪かったな!10年前の記憶覚えていないんだよ~と言い訳をしてみる。息子が生まれ、赤ちゃんの時に作った通帳。自分の足で歩き出せるその日まで、ゆっくり貯めるんだよ。その銀行は、おじいちゃんとおばあちゃんが働いていた場所。そこで二人が出会ったから、ママもあなたも生まれたのだと。ベビーカーを引き、優しい気持ちになりました。おじいちゃんぶっ飛ばし大作戦は、息子にも加担してもらおうか。その作戦そのものが、もう愛であることを息子は知っている。