人を想う人

毎年5月に行われる個人面談がやってきました。半日の授業で息子が帰宅し、友達と待ち合わせをしたからと慌ただしく出て行った嵐の時間に笑ってしまい、ゆっくり準備をすることに。なんて言ったって二年連続同じ先生、何一つ気負うことなく、とても自然な流れの中で学校へ向かいました。すると、昇降口でたまたま会ったのは、二年生の時に担任だったT先生で久しぶりのご挨拶。マスクが外れた先生の表情にほっとしたものが感じられ、私も嬉しくなりました。ようやく人との隔たりが減り、日常が戻ってきましたね。先生達、ここまで来るの大変でしたよね。そんな気持ちが届いたのか、穏やかに話は進み、面談があったので笑ってお別れしました。今年度も、先生があたたかい毎日を送れますように、そんなおみやげを心の中で渡し4階へ。一往復だけでも、十分なエクササイズだな。そして、見慣れた廊下が待っていました。

教室の前へ行くと、図工の授業で描かれた水彩画があり、息子の絵はたんぽぽでなんだかほっこり。自分はたんぽぽのようだなと思った時期を思い出しました。頑張って咲こうとするのだけど、土足で踏まれてしまう。それが血の繋がった両親だと思うと、心の底から情けなくて。それでも諦めたくなくて、ひっそりと咲きました。泥を被っているかもしれない、花屋さんに並ぶものでもない、それでも小さく咲き、そんな可愛げのない私を沢山の人が愛でてくれました。その喜びが体に沁みついていて、息子が描くたんぽぽに胸がいっぱいでした。その一輪は、ママの心なのかもしれないね。そういったことを思っていると、先生に呼ばれご挨拶。お互いにマスクを外したその空間に花が咲きました、間違いなく。そして、四年生の終盤でインフルエンザにかかり、なかなか病院へ行けなかったこと、気圧の影響でどうしても頭痛が悪化するので、宿題ができない日があったらすみませんと心配をかけてしまったことなどを先生に伝えると、手をひらひらさせながら伝えてくれました。「全然気にしないでくださいね。本当にもう全然です。お母さん、そんなに色々なことを気にしたら胃に穴が開いちゃうから。言いたくないこと、時にはあると思うんです。そんな時は、うやむやになんとなく伝えてくれたらいいですから!○○(先生の名字)は大丈夫です!」そう言ってご自身の胸を叩きながら笑ってくれました。そして、最近の近況を伝えると、内容は伏せますが、先生にしか言えない質問をしてくれてぐっときました。なんだろう、そのひと言でわっと優しさが自分に降り積もっていくようでした。子供の頃にご両親が離婚をされた先生、二年連続担任になってくれたこともあり、そこには間違いなく深さもありました。こちらが、先生にだから信頼して開けている扉があると気づいてくれたのか、大きく踏み込んで入ってきてくれました。その勇気とぬくもりを忘れることはありません。私が抱えているものを、先生は少しでも持とうとしてくれているのだと。「大して役には立てないかもしれないけど、いつでも言ってください。頼りないかもしれないけど、ここにいますから!」そう言ってビッグスマイルを見せてくれました。その言葉がもう痛みを和らげてくれているんですよ。先生、壁を作らずそばにいてくれてありがとう。いつものようにほんわかとした時間は流れ、面談が終わったので、廊下に出ようとすると最後にひと言言われて。「全然関係ない話なんですけど、マスクを取ったお母さん、べっぴんさんやなと思って。」思いがけずお褒めの言葉を頂き嬉しかったのと、この先どなたが担任の先生になっても“べっぴんさん”という単語を使われることはないだろうと色々な意味で笑えてきて。「先生の方が素敵ですよ!とっても素敵!!」キャーと二人でドア前でやっているので、次のお母さんに何事かと思われていただろうと思うと、余計に笑ってしまいそのテンションのままお別れ。神様からのプレゼント、人とのご縁は本当に財産だ。

1UPキノコを沢山もらい、ゆっくりとまた昇降口に向かうと再度会ったのはT先生でした。ここにも不思議な巡り合わせがありましたね。他のお母さん達も出入りのある昇降口、それでも先生がエールを届けてくれようとしているのが分かり、立ち止まってお話をさせてもらいました。今年度から図工の先生でもなくなり、なんの接点も無くなったはずなのに、繋がる方とは本当に切れないものだなと感慨深くもあって。ものすごくざっくりとキーワードを使って最近の様子を伝えると、それを頭の中で繋げてくれた先生。そして、伝えてくれました。「R君とたまに会って話をすることもあるのですが、我慢強いですよ。」と。その強さは、お母さんからの愛情をもらって培ったものだと思っています。無理をした強さなのではなく、守られているという実感から生まれる強さだと僕は感じています。先生の言葉から、そんなニュアンスを感じ、息子と私が安心していられるのはこういった内面を見てくれているからなのだと思いました。訳の分からない状況の中にいた休校中、その時の先生達の負担は相当なものだったはず。そんな時期を、一緒に乗り越えた先生との時間もまた尊いものだと思いました。今は、沢山の子供達の心のサポートを行っているとのこと。「その子その子が必要とするケアは、本当にそれぞれだと思うんです。そんな居場所を作ってくれる子供達は救われるし、そんな居場所が先生達にも必要だと思っています。」そう伝えると微笑んでくれました。先生も、時には優しさに包まれてくださいね。誰かの辛さを引き受けるのは大変なこと。深く寄り添ってくれる人ならなおさら。先生にこのメッセージは届いただろうか。子供達が悲しみの底に沈み泣いている時、昔の自分と重なる時もあるだろう、それでも目の前で苦しむ子供達を救いたいと願う先生がいること、一保護者の私は知っていると思い出してくれたなら。

あまりにも穏やかな時間は過ぎ、息子を待たせていた!と慌てて帰宅すると、玄関の周りで待っていてくれたので、謝りながら一緒に入りました。すると、持っていた集金袋を持って帰ってきてしまったことが発覚。それに気づいた息子がひと言。「ママ、ばか過ぎでしょ。」冷静な突っ込みどうもありがとう。「保護者のプレートの近くに集金袋を置いて、忘れずに学校へ持って行ったまでは良かったんだよ~。でも、先生の顔を見たら楽しくなっちゃって、すっかり忘れた!」「絶対ばかだって。ボク、お金は学校へ持って行けないから、もう一度行って来たら?」とこれまた冷静なことを言われたので、大人しく出向くことにしました。慌てて職員玄関まで行き、通りすがりの先生に泣きつき、一件落着。学校っていいですね、青空を見上げながらそんなことを思った。一度は志した教員、その先生達に助けられ、自分も小さな力が渡せた。人を想うその気持ちは、やっぱり巡っているのだろう。どれだけ時代が変わっても、変わらないものがある。教職課程の恩師の言葉を思い出した。それを親になり受け取りに行けたのかもしれない。想いやってくれるその人の心を大切にしたい。