全てが楽観的

毎晩、息子と夕飯を食べた後、翌日の授業の教科書をパラパラっと一緒に見るようにしようと伝えると、思いがけないことを話してくれました。「ボクがまだ年少の時、寝る前に必ず4冊絵本を読んでくれていたでしょ。それと同じだね。」!!!もう、びっくりマークしか付きません。

その頃、司書教諭の試験には合格していた後ですが、偏頭痛が酷く、主治医にも出会う前で最悪なコンディションの時でした。年少になった時、年間購読できる絵本を、息子の為にも、自分の為にも購入し、毎月先生から渡してもらうと二人で楽しんでいました。が、毎晩寝かしつける前に、幼稚園の月刊誌と合わせて必ず4冊持ってくるので、途方に暮れていて。「もう少し減らして~。」「やだ~、これだけ読んで~。」
早く、横になりたいと思いつつ、ノルマの4冊を読んでいた日々。そんな昔の記憶が、息子の中でインプットされていたことに、頑張って良かったなと思いました。絵本を読みながら、数々の疑問や感想を口にした息子。なんで?どうして?ママはどう思う?ボクはこんな風に思うんだ。そんなやりとりが、柔らかい心の片隅に残っていた。だから、小学校でもこの感覚を大切にして行けたらいいな。

私が小学生の頃、岐阜県の小学校に転校した時は、算数の進み方が全然違っていて、愛知県に戻ってきた時も同じような状態だったので、同じ個所を2回学んだり、大事な部分が学べずに抜け落ちたまま終わってしまったことも。転校生には、もしかしたら”あるある”なのかもしれませんね。超文系の私にとって、算数の一部が抜け落ちるのは致命的。結構な劣等感も覚えたので、そんな経験さえも、役に立っていけたらと願っていて。「なんでそんなことぐらい分からないの?」こんな発言はしないように。

塾の講師をしていた頃、大学に戻って司書の資格を取るように後押しをしてくれたのは、挫折を味わった同僚の友達でした。元々理系だった彼女(今でいうリケジョ)は、理系の志望大学に落ちて浪人。頭のキレる友達は、相当な屈辱を味わったよう。絶対に落ちる訳がないのにと。そんな気持ちを1年間抱えながら勉強し、受かったのは文系の国立大学。知らない土地に行き、4年間沢山のことを感じて、これでも丸くなって帰ってきたと笑って話してくれました。「だから、絶対に諦めたらダメだよ。」と深夜に何度も力説してくれた友達。彼女が、もしストレートで大学に入っていたら、そこまで踏み込んで、心を削ってでも伝えようとしてくれなかったかもしれないなと、ふと思う時があります。

新しいカテゴリーを、『小学校』ではなく『学校』にしたのは、理由があって。このサイトが、6年後も続いていたら、『中学校』のカテゴリーが増えて、表示が見づらくなってしまうから。たった一つの失言で継続が難しくなることもあるかもしれません。そうならないように、最善の注意を払っているのですが、当たり障りのないことを書いたら、深さは出せない。正直に、でも包み込むように書けたなら。いつも、パソコンのこちら側から、沢山のことを想っています。

教育実習後、K君が伝えてくれました。「お前さ、生徒に向かって語りかけて、たった1人しか聞いていなかったとしても、その1人に向かって一生懸命最後まで話すだろ。その1人を大切にするんだよ。お前ってそういうヤツだ。」なんだかすごく嬉しかった。
諦めずに語りかけることを、彼は知ってくれている。それを思うと、なぜか自然と楽観的。