振り返って思うこと

今日は、市内で行われる大きなお祭りの日。去年は、まさかの学級閉鎖中で、息子自身は元気だったものの出かけるのは良くないと思い、断念していました。そして今年、沢山のお友達と約束をし、朝からウキウキの様子でこちらも嬉しくなって。外を見ると、紅葉が綺麗で、富士山の頭にはうっすら雪が被っていました。秋を満喫しておいで、そして沢山の思い出を詰め込んでおいで、そんな気持ちの中、玄関先でハイタッチ。「いってらっしゃい!」「いってきます!」あと何回、何千回、こんなひとときがやってくるのだろう。そういった感慨にふけりながら、のんびりと雑用をこなしパソコンを開けると、ピンポンが。ん?モニターを見ると息子じゃないか!「どうしたの?」「暑いから早めに帰ってきた~。」「そうか。陽射し強いもんね。でも行けて良かったね。」「うん!みんなに会えて楽しかった~。」とくじで当たった拳銃を見せてもらいながら、わいわい。それでまた何かを壊さないことを願うばかり。そして、半分食べ残しのフリフリポテトをもらい、穏やかに一日は過ぎていきました。夜はと言うと、侍JAPANのオープニングラウンド、キューバ戦だったので、それまでに全てのことを済ませ、テレビの前へ。試合は、日本がリードの状態で進み、もう寝る時間だったので、グダグダ言っている息子を寝かせ、音量を小さくして戦況を見守りました。すると、キューバが追い上げてきて、思わず大きな声を上げると、息子が起きてしまって。「え?なになに?」「ごめん。同点になってしまった~。」そして、もう一度なんとか寝かせ、時計を見るとすでに11時前だったので、私も睡眠のリズムを崩してはいけないと思い、切ろうとしました。が、雨や風が強い中、それこそ画面が白くなりそうな天候でも、台湾にいる選手達が全力プレーで、現地で応援してくれているファンの方達の応援歌も聞こえてきて、ここで寝る訳にはいかないと思い、テレビのこちら側から声援を送ることに。すると、栗原選手(ソフトバンク)の犠牲フライで、代走の五十幡選手(日本ハム)がものすごいスピードでホームに突っ込んできて鳥肌が立ちました。貴重な追加点は、日本へ。そして、最後まで何が起こるか分からない試合展開の中でゲームセット。激闘で選手達がほっとしている表情を見せてくれた時、自分もいろんなものをもらっているんだなと嬉しくなりました。だから、これからも共に戦う。

先週は、一年に一度必ず行っている健康診断に行ってきました。予め問診票を入力し、記入もし、現地へ。そして今回、手術後は毎年内診をしてもらっていた婦人科の執刀医ではなく、健診センターの先生に診てもらうことに。理由は、もう越えられた気がしたから。そして、ドアをノックし中へ入ると、優しそうな女の先生でほっとしました。ご挨拶をし、伝えてくれて。「ここに書いてある通りですね。」と。その言葉を聞き、なんだかぐっときて。目の前にいるこの先生は、初対面の私の悲しみを包もうとしてくれているんだなと。41歳で卵巣腫瘍により一個半摘出、癒着が酷く薬のホルモン治療へ、その後症状は落ち着いたものの、ホルモン注射も経験。卵巣機能低下により、更年期症状がどっと出てしまったことは、婦人科の医師ならすぐに分かること。先生は、そういった治療歴を言葉で説明してもらうことは、辛いことかもしれないと思い、ここに書いてある通りですねと確認だけに留めてくれたのだと感じました。深い配慮を受け取ったよ、そして内診へ。お腹をぐっと押された時、術後の婦人科通院で悲鳴を上げそうな激痛に襲われたのに、今回その痛みがほとんどなく驚きました。婦人科の執刀医や漢方内科の主治医に感謝、私が弱っている時も、二人の医師は諦めないで前を向く力を注いでくれた、だから浮上できたのかもしれないなと。検査結果、何事もなく安心できるものでありますように。
いろんな気持ちが巡り、後にした健診センター。息子のお迎え場所まで急いで自転車を走らせていると、なぜか実家にいた頃を思い出しました。父が銀行員でいることは、幼少の時から知っていて、銀行のグッズなどが余ると持って帰ってきてくれたので、私の部屋にはやたらと貯金箱があって。そんな中、母がこっそり伝えてくれました。「毎年もらっているお年玉、全部は使わないだろうから、Sの通帳を作ってそこに入れておくわね。」と。そして、見せてもらったのは父の銀行ではなく、信用金庫で驚きました。それを敢えて言葉にしないでいると、母がひと言。「お父さんに気づかれたくないから、他の所に預けていることは内緒にしておいてね!」と。どれだけお父さんは信用されていないんだと、子供ながらに笑えてきて。元々銀行員だった母、そういう所はしっかりしていたなと今さら思い出したら微笑ましくなりました。そして、不思議だったなんでもないちょっとしたこと。私の部屋にいつもあった貯金箱は、母からもらったお小遣いから、使わなかった分を毎回入れていました。チャリンと落とし、振ってみると音がしてそれが少しずつ重くなるのが嬉しくて。そんなある日、お金を入れずに振ってみると、なぜか昨日よりも重くなっているような気がしました。気のせいかな、もしかしたら神様がちょっとしたご褒美に入れてくれたのかななんて、おめでたいことを思っていて。そしてまた別の日、振ってみると前回と重さは変わっていませんでした。それでもある日、やっぱりなんとなく重くなっている気がして。パチンコ三昧だった父、お金に換金した時にたまにもらってくるチョコレートは、母にバレないようにこっそり私の勉強机に入れてありました。勝手に共犯にさせられたなと思いながら、母や姉に気づかれないように食べていて。父は、いつも長財布。小銭は面倒だからとポケットに入れていることも多々あり、チョコを届けに来たタイミングで、貯金箱にも少し入れてくれていたのではないか。本当に気まぐれな人だから、何を考えているのかよく分からないのだけど、今になって確信できたような気がしました。そんな遠投をずっとしてきた。

父が余命宣告されるような日が来た時、暴露しようとも思っていて。「お母さんね、実はお父さんの銀行以外の通帳も持っていたの。私も。」もしそう伝えたら、きっとこんな返事があるだろう。「知ってた。」と。鈍感なふりをして、とても勘の鋭い人。気づかないふりをするのもとてもうまい。「お父さんが、家のお金にまで手を出してギャンブルに使うから、お母さんね、不器用ながらも家を守ろうと別の金融機関にお金を預けたりしていたの。そうしたら、お父さんとの余計な喧嘩も減るでしょ。本当に勘弁してって思うこと沢山あった。二人の問題なんだから二人で解決してよって。でも、その道の途中で、お父さんとお母さんの優しさにも触れた。それもまた事実なんだよ。」話している途中で、きっと涙が溢れるだろう。これがきっと我が家の愛の形。あとは自分で考えろと雪の塊でも投げて、最後は笑うことにする。