息子の中学校生活も緩やかに流れ、古くなったコートを片付けようとクローゼットを開けると、随分奥にあったひとつの塊に目が留まりました。これは、もしかしたら古いアルバムじゃないか?と思考が巡り出して。引っ越しをする時、意外にも収納スペースが多くあったので、とりあえず勢いで段ボールに詰め込み、新天地でいらないと判断したものは捨てようと思っていました。最近になって取り出したミニアルバムは、押し入れの引き出しにあり、見ようと思ったら開けられる位置にあって。これは何を意味している?奥にしまい込んだアルバムは、私の心の奥を表している?深く考え過ぎか?!それでも、自分の本能が開けるのは今じゃないと言っている気がして、そのままにしておくことにしました。もう大丈夫、そう思えた時をゆっくり待つことにして。煙が出てきて、一気に老けたら面白い。そんなオチはいらないな。
少し前に開けたミニアルバムには、ネネちゃんの痛みもありました。数年前、父と姉と三人で家族会議を開き、母のことで、姉妹でやり合ってしまった後、4年間もの空白が。それから、私の手術日にメッセージが入り、さらに半年後久しぶりの再会を果たしました。どれだけ妹を傷つけてしまったか痛感していた姉は、泣きながら謝ってくれて。その涙を見ると、何も怒る気にはなれず、もう気にしていないよと伝えると言ってくれました。「そうやってSちんはすぐに怒りを引っ込めるの。もっと怒ってほしいよ。そうじゃないと苦しい気持ちをずっと溜め込んじゃうから。相手のことを理解すると、Sちんの怒りはなくなる。でも本当は心の奥に残って苦しんでいるんだよ。」ハンドタオルじゃ足りない涙は、大きなタオルに吸収され、それでもネネちゃんの滴は流れ落ちて行きました。そこにいたのは、鎧を全部脱いだ姉の姿で、人の美しさってこういう時に出るのかなと。見えたのは、彼女の心そのものでした。そして、久しぶりに会えたことでほっとしてくれたのか、本音を話してくれて。「私なんか生まれてこなければ良かったのに。お父さんも、私がまだ子供の頃、Sちんの誕生日にはバンビのぬいぐるみをプレゼントしたのに、私にはなかったの。Sちんはそのぬいぐるみをとても大事にしていた。」ネネちゃんの痛みの根元は幼少の頃にある、そう確信しました。姉妹で、それぞれの辛さがあったんだなとも。そして、開いたミニアルバムの中には、バンビを大事そうに持って嬉しそうにしている私が写っていました。姉の痛みそのものだと。2段ベッドで大切に抱えて眠る妹を見る度に、胸が痛んだネネちゃんの気持ちを思うと、時を越えて泣きそうになりました。人を癒すって簡単なことじゃないな。
時は私が小学生、姉は中学生で、岐阜の社宅にいた頃のこと。何かが原因で父に対し反抗的な言動をした姉は、引っぱたかれました。銀行でも社宅生活でも人間関係で苦戦していた父の怒りは収まらず、ネネちゃんはすぐに二階へ駆け上がっていって。それを見ていた母は、そこまでしなくていいのにと小さく呟くと、うるさい!と父は怒鳴りました。心配になり、姉の部屋へ様子を見に行くと、泣きながら自分のセーラー服を縫っていて。裾をわざと上げ、父に対する反抗の気持ちを形で表したいのだと。そばにいた方がいいのか、そっとしておいた方がいいのか迷った挙句、その場を離れました。一人で泣きたい時もあるよね。その時のことは、きっと父も姉もすっかり忘れているのだけど、私だけしっかり覚えていて。感情と感情がぶつかり合った、その衝撃がとても大きかったんだ。その時感じた悲しみも。父と姉は、心の中でも泣いていた。
その後、ネネちゃんは沢山の努力を重ね、航空会社に就職。夢だったCAには届かなかったものの、関空での勤務が決まり、女子寮へ引っ越す手伝いを両親も一緒に行くことに。私は、高校の定期試験の真っ最中で、自宅から見送りました。すると夜、泣きながら姉から電話が入って。「お父さんとお母さんが引っ越しの手伝いに来てくれて、先程帰っていった。ずずっ(洟をすする音)。本当にどうしようもない人達だけど、今日はありがとうって思った。」「うんうん。」「Sちんも試験頑張れ。私も大阪で頑張るから。」いつも強気のネネちゃん、でも本当は涙もろくて、泣き出したら止まらないことも知っている。いろんなことがあったけど、両親といい別れだったんだねと思うと、電話のこちら側で私も泣きそうでした。飛行機は姉の心のよう、飛びたかったんだよねずっと。その翼から見える景色を、妹にも見せようとしてくれていたんだ。知ってるよ。父は、私がまだ小さかった頃、クラッシックの音楽をレコードで聴いていました。その中に、パッヘルベルのカノンがあったのか?奥にしまい込んだアルバムと、何かが繋がっている?小説の読み過ぎかなと自分に微笑んでみる。そこに忘れてしまっていた思い出があるのは、間違いなさそうだ。
色々と整理をする中で、息子が小学校の時に入っていた陸上クラブの記録シートが出てきました。『2月26日めあて、最後のクラブを楽しもう。よかったこと、50m走の新きろくがだせてとてもうれしかった。』担当者から『タイムが上がるとうれしいですよね。50m走、いい走りをしていました!一年間、ありがとう!』卒業してからこの文章を読むと、なんだか沁みるな。どんな時間を一緒に過ごしてくれていたのか、じんわり伝わってくる。こちらの方こそ、ありがとうございました。陸上の楽しさを知り、次に繋げてくれました。いつか、自主練で走っている二人が偶然会えたなら。走りで感謝は届くだろうか。先生と共に過ごした時間を、息子はきっと忘れない。