春休みに婦人科へ行き、その検査結果を聞きに行ってきました。すると、悪い菌が入り込んでいることが分かり、撃沈。もう一度治療をしてもらい、軽く凹んで帰ってきました。放っておいたら、また良くないことが起きていたと分かり、自分の体の弱さが情けなくて。自宅に戻り、寒暖差の頭痛もかなり強く出ていたので、これは一体どうしたものかと思っていると、息子が早めに帰ってきました。若干ブルーなことを悟られないようにするには、起爆剤が必要だと思い伝えることに。「おかえりなさい。Rも陸上部に仮入部で入ったし、お母さんも見習いたいと思って、ちょっとだけ走ってきてもいい?」「今から?」「うん。すぐに戻るから、おやつ食べていてね!」そう言ってバイバイ。すると、走りながら八重桜が見えて、少しだけ気持ちが晴れていくようでした。が、運動不足がもろに出て、あっさり疲れてしまったので早々と帰宅。「早くね?」という息子の率直な感想に笑ってしまって。「トレーニング不足。短距離になっても、できるだけ続けてみるよ~。」と言い切ったので、記事を書いてからまた走ってこようと思います。息子と一緒に走りたいんだ。
小学6年生の終わりに、まさかの学級閉鎖があり、社会科の教科書を読む宿題があったので、私も目を通していると、ひとつの地図が目に留まりました。それを見て、あっと声が出そうになって。そこは満州でした。祖父が、脳梗塞で手術をした後、一般病棟に移されてもまだ意識はぼんやりとしていました。それが何日も続き、お見舞いに行くと伝えてくれて。「Sちゃん、あそこに地図があるぞ。」そう言って白い壁を指さすので、困惑してしまって。それでも、話は終わらず、見えている地図をおじいちゃんは指でなぞり、こんな形をしているんだと教えてくれました。その形は、息子の教科書に出てきた満州の形と一致し、そういうことだったのかと改めて胸に詰まるものがあって。祖父は、自分がどのあたりで戦い、なぜ捕虜になり、その間も何があったのか、ずっと知りたくていろんな角度から資料に目を通していました。満州で陸軍だったおじいちゃんは、書物からその形を目に焼き付けていたのだろうと。戦争が終わり、シベリアに抑留され、それでも戦い抜いた祖父。過酷だった、そんな日々の中で日本に帰れる日がやってきたのだそう。シベリアから舞鶴港に降り立った間の時間は、おじいちゃんの中で空白でした。それはもしかしたら、とんでもなく張り詰めてまともに寝られなかった場所から、ようやく眠りにつけたひとときだったのではないかと。「気が付いたら舞鶴港にいたんだよ。日本に帰ってこられたんだなって。嬉しかったな。」目を細め、しみじみと話してくれたその声を忘れることはありません。子育てがひと段落したら、祖父が見た舞鶴港の景色を見てこようと思っています。おじいちゃんが繋いでくれた足跡を、感じてこようと。
「なあSちゃん、大学を辞めて働いてくれないか。」大学在学中、二人の夕飯時に祖父が伝えてきました。父は家を出た、大学どころでないのは私自身よく分かっていて、言われていることはもっともな意見で、それでもなんだか悲しくて返事はできませんでした。奨学金制度を利用している場合ではない、祖父の介護費用もある、母の精神状態も不安定、頭の中は常にフル回転でした。そんな中、父がぎりぎりの期限で学費を払ってくれていたことが分かり、なんとか目途がつき、ほっと一息。その後、結婚式当日、母が教えてくれました。「お父さんが出してくれた学費、実は少し足りていなかったの。そのことをおじいちゃんに話したら、自分の通帳から足りない分を出してくれてね。Sが気にすると思って、今日まで黙ってた。おじいちゃん、遠方まで結婚式に来られなかったけど、その気持ちは持っておいてあげてね。」その話を聞き、大学を辞めてくれないかと言われた夕飯を思い出し、どっと涙が溢れそうになりました。「おじいちゃん、私ね、中学校へ教育実習に行っているの。社会科だよ!でね、先生達に飲み会に誘われて、その日だけ車で送ってほしいんだ。」そう言うと、朝からなんとなく嬉しそうに運転してくれました。その裏側で、孫の為にと出してくれたお金があったんだなと。さらに時は経ち、不妊治療をしていた姉が懐妊、それに続くように私も妊娠しました。母に散々隠しておくように言われていた祖父は、嬉しくてついつい親戚の姪っ子に話していたよう。おばさんが後からネネちゃんに教えてくれて、姉妹で大笑い。そして、姉が無事に出産、私にも陣痛が来ると、祖父の心臓の音がゆっくり終わりを告げそうで陣痛室で泣きそうになりました。息子が生まれ、なんとか名古屋まで連れていける時がきて、入院していた祖父と会わせることができ、おじいちゃんの最後の幸せがそこにあったのか、間もなくこの世を去りました。焼かれた後、葬儀場に戻ると、軍服姿で戦友の元に帰っていたおじいちゃんの後姿は、やっぱり見間違いではなかったのだと。祖父の心にあったものを、これからも大事にしていけたらと思っています。人の一生は、儚く美しいのだと。
中学生になった息子は、『にゃんこ大戦争』にはまり、ずっとスマホで遊んでいて。「ママ~、ネコカン買いたい。」「は?」とくだらないことでいつも盛り上がる毎日。国語の意味調べの宿題では、スマホで検索をかけるので、本当にそれでいいのかなと思いつつ、隣で辞書を引くことにしました。「え~、面倒くさいじゃん。」「その面倒くささがいいんだよ。まあいいわ。」と言いながらわいわい。息子の何を伸ばそうか。見守っていたら、勝手に伸びてくれるのかもしれないな。おじいちゃんが諦めなかったその勇気が、ひ孫にも引き継がれているよ、心の中でそっと届けた何気ない日。目の前にある小さな奇跡を拾い集めて、大切に持ち続けることにしよう。