巡らせる時間

最近の息子のお気に入り、『おもしろい!進化のふしぎ ざんねんないきもの事典(今泉忠明監修、高橋書店)』。学校の図書室ではまったらしく、帰り道の様子をマンションの部屋から見ていたら、本を読みながら歩いている7歳児を発見。帰宅し、「危ないから読みながら帰ったらダメだよ。」と伝えると、だってヒマなんだもん!という返事が。二宮金次郎か!と突っ込みたい衝動を抑え、何があるか分からないから気を付けるんだよと釘を刺して会話終了。その後、両親宅へ行った際、その話をすると、父もまた「二宮金次郎か!」と声に出して突っ込んでいて大爆笑。私の代わりに言ってくれてどうもありがとう。やっぱり親子だな、この人と本で繋がっていた部分もあるしねと笑えてきた和やかな時間でした。

そして後日、市立図書館に出向くと、またこのシリーズ本を見つけた彼は喜んで貸出し。自宅に同じような本が二冊になってしまったので、どちらが学校の本か分からなくなってしまった!と慌てている息子がいました。ふっ、まだまだ甘いな小2男子。「ここにバーコードが付いているでしょ。その上に図書館の名前が書いてあるんだよ。漢字だからまだ分からないかもしれないけど、これが図書館の本、これが学校の本。“小学校”の漢字は習ったから分かるよね?」「あっ、本当だ!」これで一件落着。“図書館あるある”に思わず笑ってしまった夕方。さあ、何から思い出そうか。

卒業論文に追われていた大学終盤。日本古代史専攻だったので、漢文も多く、Wordで打っても出てこない漢字を考慮し、ひたすら手書き。まずは全部下書きをし、それをゼミの教授の助手をしていた院生の男の先輩に目を通してもらいました。「僕の所に相談に来た1号だよ。本の記載をあたかも自分が書いたことにしたらアウトだからね。少しぐらい分からないと思って書いた学生は、皆気づかれているよ。引用するなら分かりやすく「」を付け、参考文献を添付。参考文献の記載だけでかなりの分量になると思うけど、飛ばさずきちんと書くこと。」とても丁寧に指導をしてもらい、これなら大丈夫、清書したら全部コピーを取っておくといいよと合格のサインをもらい、口頭試問頑張ってと応援され、先輩の研究室を後にしました。ゴールは近い。そして、ボールペンで間違いのないようにひたすら書き、深夜にコンビニへコピーを取り、綴じて準備は万端。提出した後、ゼミの教授に個室に呼ばれ、最終関門の口頭試問へ。少し時間が経っていたので、私何を書いたっけ?と思いながら、冷静に頭の中を整理。「ここの部分なんだけど、これはあなたの見解ですか?」と聞かれ、古代の衣服に関する私なりの考えを、参考文献を元にまとめたものだとそれっぽいことを伝えると、納得してくれました。ほっ。教授の専門と少しずれていたこともあってか、突っ込まれることもなく、平和に終了。頭を下げ、ドアを閉めてガッツポーズ。終わった~!大学4年間の集大成、なんだか嬉しくもあり、少しの寂しさもあり、それでも自分が学んだことが大学の研究室の片隅に卒業生の卒業論文として残されるのだと思うと、感慨深い気持ちになりました。私は去るけど、記録物は残る。それが、本当にもしかしたら後輩の誰かが目を通してくれることを願って。
そんな気持ちを抱えて、帰宅。山積みになった本に向かって話しかけてみる。「もう君たち、用はないからね。」そう言いながら、バーコード上の図書館の名前ごとに整理。大学図書館、県立図書館、市立図書館、そして隣町の小さな図書館。本当にお世話になりました。さあ、返しに行くか!そんな気持ちになったことが、とっても懐かしいです。

そして、学校図書室での勤務時代。学校の帰り道に誰かが学校の本を落としてしまったらしく、地域の方が見つけてくださったよう。慌てて検索をかけてみると、ちょっとやんちゃな2年生の男の子が借りた本だと分かりました。それを、若い女性の担任の先生に話すと猛烈に謝られ、そしてその男の子を連れて一緒に図書室に来てくれました。「・・・、ごめんなさい。」「本は皆のものだからね。落としたりしたら汚れてしまうから、ランドセルに入れて帰ろう。わざわざ謝りに来てくれてありがとう。」そう伝えにっこり笑うと、先生と一緒にほっとしてくれました。こんな循環の仕方もあるのね、そんな穏やかな気持ちにさせてくれた優しい出来事でした。
そうだ、同じセリフを息子にも伝えないと。“本はランドセルへ”が合言葉。

母が膝の手術で入院中、2Lのペットボトルをいくつも運んでいた最終日、談話室で伝えてくれました。「もうすぐ退院でしょ。4人部屋で最近入ってきたご高齢のおばあちゃんがいてね。私は、有難いことに家族や友達がお見舞いに来てくれたから寂しくなかったんだけど、その方いつもお一人でね。色々な事情があると思うんだ。でも、退院でほんの少しの関わりだったけど、何かできないかと思って、あなたが沢山持ってきてくれたお水が余りそうだったから、1本良かったらどうぞって渡したの。そうしたら、とっても喜んでくれてなんだかお母さん泣きそうだった。」暑い中、睡眠不足の中、色々なわがままが飛んでくる母とまたどう向き合えばいいのだろうと困惑していた中で、運んでいたお水。それを母の気持ちを通して一人のおばあちゃんへ。常温のお水は、母の温もりも混ざって彼女の心に届いたのだろう、だから私はこの人から離れなかったのだと思いました。1滴の水。母は、感謝の気持ちを持っている人。そして、きっと誰かに届けたいんだ、私も優しさをもらったからその気持ちをあなたにもと。大したことはできないけど、一人じゃないって母なりに伝えたかったのだと思いました。
「沢山持ってきてくれたから、最後に渡せて本当に良かった。」心からの笑顔はこういう時に出る、その表情に私は助けられてきたのかも。優しさが滲み出た人の、飾らない内面がそこにある。