誰かと話したくなる

久しぶり、本当に久しぶりに心の友であるKちゃんとランチへ。こちらの睡眠不調を知ってくれている彼女は、当日連絡でも都合をつけてくれる優しさをいつも持ってくれていて、その器に甘えながら休校以来の再会でした。お互いの顔が晴れやかなのは会えた喜びと、学校へ子供達が落ち着いて行けていることへの安堵と、二人にしか分からない何とも言えない懐かしさのような感情を抱きながら、楽しい時間を過ごしました。こんな風にこれからも時を過ごしていくんだね、間が空いても、何年経っても、温度が変わらないという確信。彼女といると、日常がこんなにも柔らかくなる。

必ず聞いてくれるのは、「お母さんは大丈夫?」という言葉。母とぐっと距離を取った間も、Kちゃんは駅近くで母を何度か見かけたそう。でもそれを私に伝えたら、こちらが苦しくなってしまうのではないかと感じた彼女は黙っていてくれました。母の膝の手術が決まり、ここで会わないと後悔すると自分の中でゴーサインが出たことを友達に伝えると、実は何度かお母さんを見かけていたんだと話してくれました。人の傷みが分かる人、だから話すタイミングを間違えないように、自分のひと言で悲しい気持ちにさせてしまわないように、沢山考え、心の中に留めてくれていたのだと思うと、胸がいっぱいに。そんな気持ちをもらったから、まだまだ気持ちのぐらついた中でも母に会い、介護に専念できたのかなとも思っています。彼女に会うと、何か自分の中の一つの指標が感じられるようで。ここまで来たんだ、そんな姿を見届けてくれている友達が目の前にいる幸せ。

母から聞いた最近の姉の近況。最近とっても悩んでいるようだと。どうやら母が電話をかけた時にそっとしておいてと切られてしまったらしく、私の所に相談がありました。「お姉ちゃんが悩んでいるから家に行こうかとも思ったんだけど、何もしない方がいい?」と。「姉のそっとしておいては、本当に誰とも話したくないサインだから、何も連絡しない方がいいよ。私には分かるから。」力強くそう話すと、そこには姉妹にしか分からない絆を感じたのか、母なりに思考を巡らせ納得してくれました。「あなたが言うなら間違いないわ。」そんな言葉を残しながら。

姉は私のことを、妹としてだけでなく、ベストフレンドだと伝えてくれたことがありました。「プライドの高い私が、自分をさらけ出せるのはSの前だけ。妹だから、しっかりした姉でいないとって思ってはいるんだけど、何かいつもあんたに聞いてもらっているような気もしてね。気が付くと楽になっていたりするんだよ。」そんなことを伝えてくれたこともありました。姉の心の一番深くに届くのはきっと私なのだろうと。苦しい時を一緒に過ごしてきた。親の顔色にびくびくし、沢山悩み、自分をしっかり持とうと誓った日々。母を通して姉のSOSが感じられ、連絡を取ろうか迷ったものの、判断を間違えてはいけないと思い、踏み止まりました。その代わりに、姉の心理状態を私が知る限り母に伝え、大きな受け皿であってほしいという祈りを込めて。「子育ての事、旦那さんの事、もっと他の人間関係なのか、もしかしたら複合的なことなのかは分からない。でもお姉ちゃんは定期的に波があるし、自分である程度消化できる力も持っている。少し上がった時に連絡があると思うから、その時は温かく聞いてあげてほしいんだ。」苦しい時に頼るのは、妹ではなく母になってくれたら、子供の頃に甘えられなかった姉の心の氷が溶けだすような気がして、それはもしかしたら違うのかもしれないけど、可能性に賭けてみたいと願わずにはいられませんでした。

姉と母の喧嘩に散々巻き込まれていた30代。父の携帯に電話し、一連の話を笑いながら聞いてくれた父は、何気に癒し系かもしれないと悔しいながらも思ったことがありました。「お父さんがもっとしっかりしてくれていたら、こんなしわ寄せが私に来ないんだよ。」最後は散々愚痴をこぼし、「悪かったな~。」と聞いているんだかどうなのかよく分からない能天気な返事があり、それでもこんな話ができるようになったんだなと、電話を切る頃には軽やかになっていて。「一回ね、お父さんとお母さんの前で本気のお説教に行くからね。そこでお父さんもしっかりと悪者になってもらうから。お母さん一人を責めるととんでもない展開が待っているから、一緒に怒られてね。」そう伝えると、優しい口調で言ってくれました。「わしは、何を言われてもいいぞ。どんな言葉を言われても構わん。それでお母さんやSの気が済むならそれでいい。」そんな言葉をかけられ、この人は自分がやってきたことを認め、反省してくれているのだと思いました。だから、ここは娘としてきちんと言わなくては。「色んなことがあったけど、別居しても家族を支えてくれたお父さんに感謝しています。ありがとう。その気持ちはどんな時も忘れてはいないから。」「おう、もう寝ろ。」私が紙一重のところで曲がらなかったのは、こんな会話が裏側であったからなのかも。幸せになれ、父の言葉にはいつもそんな言葉が含まれていること、知っていたから。