小さな小さな配慮

息子と図書館に行く機会が増え、日曜日の午後のお楽しみになってきたこの頃。開いていなかった期間もあるので、反動って凄いなと思います。それでも、まだキッズライブラリには30分という時間制限が設けられ、椅子もテーブルも撤去。図鑑や事典類を立ったまま読むのは思いのほか大変で、そんな経験までも息子がさせてくれているようで、なんでも楽しんでしまおうと開き直ることにしています。
検索の仕方に少し慣れた7歳児を置いて、端で待っているとあっさり呼び出されてしまいました。「小さい”よ“ってどうしたらいいのか分からない。ボク、きょうりゅうの本を調べたいんだよ。」「それなら”よ“を押してから”小“を押すと小さくなるよ。」「ええ?面倒くさいからママやって。」もう!と思いながらも検索開始。その後も、散々振り回されたのですが、それはそれで微笑ましく、こんな時間がいつまで続くだろうと思いました。「かあさん、うざい。」と言われる日を待ちわびているよ。寂しいけど、自然なこと。

そして、5冊選んだ本をカウンターへ持って行き、バーコードの付いた箇所をずらしながら置くと、司書の方に恐縮されてしまいました。それはね、私が学生さん達にやってもらっていたことだから。とっても無口な学生さんが、さりげなくバーコードを読み取りやすいようにカウンターに並べてくれたことで感激してしまったことがありました。本当に小さな配慮、それでもそこには確実に優しさがあり、言葉で表現するだけではない温かさを感じ、胸がいっぱいに。一瞬の交わりで伝えられることもある、そんなカウンター越しでのやりとりで頑張れたような気もしています。
「俺、田舎から出てきて、国家資格を取る為に、親が余裕のない中で学費や下宿代を出してくれているんです。だから、絶対に資格を取得して親を安心させたくて。離れて、有難さがよく分かって、男だからうまくお礼が言えないんだけど、働いたお金で何か返したくて。」そんな話をさりげなくしてくれた男子学生さんもいました。感極まりそうな中で伝えられそうな言葉を探してみる。「その気持ちがもう親孝行なんだと思います。言葉はなくても、伝わっていると思いますよ。今しかできないことを楽しんでくださいね。資格取得も大切だけど、勉強だけではなく得られるもの沢山あると思うから。」そう言うと、はいと気持ちのいい返事がありました。誰かの人生を応援する、それが一時のものであったとしても、その人が気持ちよく一歩前に踏み出せるように。

別の部署だった友達。保育園に通う男の子がいたので、プライベートで会うことはなかなかできなかったのですが、とても信頼してくれる謙虚で素敵な女性でした。ある時、学内のエレベーターホールでたまたますれ違った時、泣き腫らした目に気づいたのですが、そこで私が何かを言ったら余計に泣かせてしまいそうで、仕事中にこれ以上泣いたらいけないという彼女の気持ちを感じ、挨拶だけして別れました。それでも、やはり気になり学内のメールで、心配していること、落ち着いたら良かったら話を聞かせてほしいとやんわり伝え、負担のないようにそれでも受け皿は用意していることを伝えると、落ち着いたら話を聞いてほしいとお礼の返信がありました。お互いが社会人、学生じゃない、やるべき仕事が目の前にあって責任もある。仕事中に泣いている場合じゃない、それでもそれを越える何かがあり、そんな時こそ誰かの存在が必要なのだと思いました。自分が逆の立場ならこんな言葉をかけてほしい、そんな気持ちを総動員して。

そして、後日仕事帰りにカフェで待ち合わせ。「保育園は延長してもらったから大丈夫。ありがとう。心配かけてごめんね。」そう言って笑ってくれました。どうやら他の部署の方と一緒に業務をこなした時、態度が酷かったらしく、それで解散してから堪えられなくなって泣けてきたそう。その場では毅然としていたであろう彼女の姿勢が分かるだけに、胸が痛くなりました。自席に戻ると、女の先輩が気づかないふりをしてくれてそれが逆に有難かったと。友達の責任感の強さはよく知っていました。だから、何もかも手に取るように分かり、綺麗な人だなと改めて思いました。内面の美しさってこういう時に出るんだなと、安心してありのままを話してくれた優しい表情を見て、自分も元気をもらったようでした。

隠れ家のような一軒のカフェ、友達が待ち合わせ場所に指定してくれた場所。二人だから、知っている人が誰もいないから話せた空間。そんな大切さを教えてくれた彼女の気持ちを引き継いでいく。