待ち合わせのカフェ

月に一度は会おうと約束していた姉とのカフェがまたやってきました。今度は気負うことなくすっと眠りにつけて、前回よりもいいコンディションで電車に乗り、タリーズへ。レジで並んでいると、とても自然に姉が声をかけてくれて、彼女から明るい色を感じ嬉しくなりました。本当に闇から抜け出してくれたんだね。

そして、ソファ席に落ち着き、時間と共に話の内容が深くなっていきました。「私が小学校4年で、Sはまだ年長の時にね、お母さんはおばあちゃんの介護と言って運動会に来なかったの。おばあちゃん、段々寒くなると毎年調子が悪くなるから、秋になると入院することも多くて、私はその季節が好きじゃなかった。だから、運動会もお母さんは来てくれなくて、Sの幼稚園の運動会も行っていないはずだよ。」そう言われ、動揺しました。記憶がない。姉や祖父母と過ごした時間は思い出せるのに、運動会という大きな行事が思い出せないということは、自分にとって悲しい記憶は無意識の間に削除ボタンを押していたのかもしれないなと。「でね、私毎年リレーの選手だったのにお母さんは知らなくて、運動会から帰ったら、自宅で布団を干していたの。あり得ないでしょ。Sの幼稚園の遠足のお弁当も4年生の私が作ったの。」・・・言葉を失ってしまい、この場でありがとうと伝えたら先に涙が溢れてしまいそうで、何も言えませんでした。姉の前で泣くのはきっと先の方がいい、彼女がもっと楽になってから。高校受験の日に姉が作ってくれたお弁当、その中にはひと口チョコと手紙が入っていました。『後半もがんばれ!』その時もらった気持ちをずっと大切にしていました。そんな前から、お弁当を作ってくれていたなんてね。「夜7時まで、Sちんといつも家で暗くなるまで待っていたの。」そう言われ、その光景は思い出せました。薄暗い和室の灯りの下で、いつもそばにいてくれた小学生の姉。私が寂しくなかったのは、どんな時も守ってくれていたから。

「お父さんもずっと無関心だったじゃない。Sはどんな時にお父さんよくやってくれたなって思えた?」「大学費用を出してもらえなくて、お父さんの車にブランドのバックがラッピングされて置いてあるのを見つけて、私の費用は女の人の為に使ったんだなって思った。仕方がないからバイト代でなんとかしようと思って、そうしたら期限ぎりぎりで入金されていてね。どうしようもない人だけど、親としての役目は果たしてくれたんだと思ったよ。でも、お父さんが家を出る前、私にも口を利いてくれなくて、ドアをバンって締められたら手を挟むし、色々大変だった。」正直にそう話すと、姉の怒りのスイッチが押されたのを感じました。「Sに会っていなかった4年半の間に、お父さんに怒りの手紙を送ったの。その時、妹がどんな思いで過ごしていたのか、とにかくSに謝れ!って。」「その手紙、お父さん読んでいないの。お姉ちゃんから手紙が来たけど、煩わしくて読まなかったことが分かった。」私の代わりに怒ってくれてありがとうね、胸の中で呟くと伝えてくれました。「私の子供時代のことよりも、その時のお父さんのことが一番許せないんだよ。」とまだふつふつと怒りを滲ませてくれて。二十歳の誕生日に家を飛び出した妹、そこまで追い込んだ両親を絶対に許さない、そんな心の声が聞こえてきました。だから、私も素直に伝えなくては。「お父さんが出た後ね、おじいちゃんにも当たられたりして大変だったの。お母さんが泣く時は、寄り添って一緒に泣いたこともあった。そうしたらあなたは励ます方でしょ!と怒られ、またお母さんが泣いた時は、今度は明るく振舞ったの。そしたら、あなたは気楽でいいわね、もっとお母さんの気持ち分かってよと言われてね。K君にその話をして、どれが本当の自分なのか分からなくなりそうになると話したら伝えてくれたの。今目の前にいるお前が本当のSだろ。俺にはよく見えているから安心しろって。その言葉で救われた。お母さんの気に入る娘でいないといけないんだなってずっとそう思って生きてきたけど、素の自分を見てくれる人がいてね。私は私でいいんだって思えた。」「アイツは本当にいい奴だな。今でも連絡取っているの?」「うん、毎年お互いの誕生日に連絡しているよ。春に会いに行く予定なの。」「そうか。Sが会いたい人は他にも沢山いるだろうね。」自分を支えてくれた人達に感謝を伝えに行きたくなったんだね、そんな表情で微笑んでくれました。「名古屋駅周辺にレンタサイクルないかなあ。」「レンタカーじゃなくて?!」と大爆笑。久しぶりに心から笑ってくれたね。

「ネネちゃん、私達子供の時から沢山考えたよね。子育てしながら、いい親のお手本を見てこなかったし、子供を叱りながらお母さんのことがちらついたり、いろんな難しさの中にいるよね。でも、“今この時”を大切にしたい気持ちってずっと胸の中にあってさ、そういう気持ちを抱けていたら大丈夫って思うんだ。ランドセルを背負った子供が帰ってきて、お菓子を食べながら今日はどうだった?って聞くそんなひとときが私達にとって大切だよね。先輩パパが、育児は自分を育てる“育自”だとも言ってくれてね。だから、子供と一緒に私達も成長していこうよ。」そう言うと、目に涙を溜めて頷いてくれました。「子供が巣立つ時、このお母さんの子で良かったって思ってもらえるところまで頑張ろう。」そう言って笑ってくれて。こんなお母さんでごめんなさいと俯き、泣いていた姉はもういない。
いつものように笑ってお別れをし、お礼のメッセージを送ると返信が届いていました。『いつも話してデトックスできているよ。こちらこそありがとう。』姉の心が綿菓子のようにふわふわ柔らかく、そして優しい甘さになっていく予感。いつか、何倍ものありがとうを詰めたお弁当を届けに行こう。