ひと言の気持ち

息子を母が預かってくれていた日、朝から思い切って一凛珈琲へ出かけた春休み。顔なじみのスタッフさんが驚き、「お久しぶりです~。」と笑顔で伝えてくれて。「息子が休校になったので、なかなか来られなくて、今日は母が見てくれているんです。」と伝えると、満面の笑みで言ってくれました。「それなら、ゆっくりしていってくださいね。」ああ、そんなひと言が堪らないです。

まだ息子が5か月ぐらいの時、ママの交流も必要なのかと変に気負っていた頃、市の交流スペースで仲良くなったお母さん。ちょっとぐいぐい来る方で、出かける時は必ず連絡してというようなことを言われて戸惑いました。連日の睡眠不足で、それでも外の空気を吸いたいと思い、出向いた公共施設のキッズルーム。そこでそのお母さんが二人のママ友と来ていて、非常に気まずい雰囲気になり、挨拶はしたもののどうしようと思っていたら、機嫌よく遊んでいた息子が何やら大きな声を出し始め動揺しました。慌てて抱っこをし、機嫌が悪いようなので帰りますねとなんとなく伝え、ドアを閉めた途端、声を上げることを止め、異変を感じた仲のいいスタッフさん達が寄ってきて事情を説明すると、伝えてくれました。「ママを守ろうとしてくれたんですね。」と。その言葉に半泣きした私に続けて言ってくれました。「こんなに小さくても沢山のことを感じていますよ。ずっとママと一緒ですからね。お母さんを守って偉かったね。」そう言いながら息子の頭をなでてもらった時、こんな風に人に助けられていくのだと、親になっても、一人の時と何も変わらず助けてくれる人がいるのだとこみ上げるものがありました。

その数か月後、キッズルームで出会ったのは、仲良しのKちゃん。そんなことがあったので、連絡先を聞くことも躊躇ってしまい、お互い挨拶をするだけで精一杯でした。同じプレ幼稚園に行くことが分かり、説明会の後に分かったのは、週一コースは水曜日か木曜日ということ。選択肢があったのなら、やっぱり連絡先を聞いておけば良かったと思った翌日、会えると信じて出向いたキッズルームにやってきてくれたのは、一番会いたかった彼女でした。今日会えて本当に良かった、ここでまた会えると思っていた、ずっと連絡先を聞きたかった、全く同じ温度でいてくれた友達の優しさに救われたようでした。マイナスなことがあってから、好転してくれた時って、どうしてこんなにも膨れ上がって喜びが勝ってくれるのだろう。彼女の伝えてくれるひと言ひと言に、今も変わらず助けられる日々。「Sさんがいてくれるから、それでいい。」何度伝えてくれただろうか。

そんな感慨にふけっていたら、母からのメッセージが。『お泊りしたいと言ってマスカラ、お泊りさせますよ。着替えだけ持ってきてね。』それは有難いのだけど、なんでマスカラだけカタカナ?!一気に落とされることもあるけど、一気に和ませてくれる母にも感謝しなくては。相手に変わってもらうのではなく、角度を変えてちょっと違う所から見ることも必要なのかも。上から見るのではなく、少し斜めから見て、良さが際立ってくれたなら。
いつか、「生んでくれてありがとう」と心から言える日がきたらいいなと思っています。あなたの娘でいたので、幸せのハードルが下がった、些細なことでもじわっと嬉しくなる、当たり前のことが何倍も嬉しい、遠回しに文句を言いながら、それでもあなたのおかげで沢山の喜びを見つけることができたと。お母さんが精神的に弱ってしまったのは、環境がさせたこと。それは本来の姿ではなく、そのことを私は知っていると伝えてあるから、まあいいか。

「色んなことが落ち着いたらまたゆっくり来ます。お店頑張ってください。」別れ際、笑ってスタッフさんに言うといつもの言葉が。「はい、お待ちしています。」ね、日常のプチハピがここにある。