例えば今日

休校中、天気も悪く、自宅で息子と大人しく遊ぼうかと思いながらも、沈んだ気持ちがなかなか上がらなくて苦戦していたら、ローテーブルに目が留まり、置いてあったのは我が家で唯一残っていたドラゴンボール。なんだか分からないのですが息子をいじりたくなり、伝えてみました。「これ、窓ガラスのそばに置いておいたら、集めている敵がやってきて、大切なドラゴンボールが取られちゃうよ。」と。すると、慌てた7歳児は、しっかりとそれを握りしめ、自分のおもちゃボックスの一番下へ。くっくっくっ、単純だなと微笑み、勝手に1up。さあ、気持ちを上げて粘土でもやるか!
本気の粘土作りが始まると、まだ自分が幼稚園だった頃の姉と私の姿が。姉がソフトクリームを上手に作ったので、あまりにも美味しそうで、思わず私がパクリ。「ちょっと~。本当に食べてどうするのよ!!」と慌てた姉がバンバン背中を叩き、すぐに出すよう大慌て。「だって美味しそうに見えたんだもん。」「ばっかじゃないの!見れば分かるでしょ。」そりゃそうだ。どんな時も冷静なコメントをどうもありがとう。姉は、子育てをしながらそんな一幕を思い出しているだろうか。
ふっと横を見ると、上手なニャンちゃんを作り、えさのキャットフードまで用意をする力の入れよう。団子を作った下手くそな私に、「いいね~!」と言ってくれる息子はいいヤツです。

色々な情報を知りたいと思いながら、あまり小さい子供の前で、悲しいニュースもちょっと違うのかなとテレビを消そうと思っていると、聞いてくれました。「“おさかなけん”って、そういう県があるの?愛知県みたいに。」「・・・。いやいや、そういうことじゃなくてね、チケットみたいなことを“券”って言ったりするんだよ。色んな方が大変な思いをされているの。だからお金やそういった券で何かできないかと相談しているんだよ。」これ、さかなクンが聞いたらきっと喜んでくれただろうなと思いながら、半笑いで説明。暗いニュースを吹き飛ばしてくれる息子の勘違いに、今回も救われた気分でした。

社会人になり、まだ地元の愛知にいた頃、自転車に乗っていたら、一時停止無視の車が右から突っ込んできて跳ね飛ばされました。何が自分の身に起きたのかよく分からず、とにかく一瞬のことだったのですが、必死に体を守らなければと思ったような気がしています。中学校の体育では柔道が必修。「不審者が多い、女の子も自分で自分を守ることが必要だ。攻撃よりもまずは受け身を覚えること。」と徹底的に受け身の練習を冬の寒い時期にさせられたことがありました。卒業アルバムの写真を撮りに来たカメラマンさんの前で、「ちょっと髪が乱れているので待ってもらってもいいですか。」という私に体育教師は大爆笑。「それじゃあ、本気度は写真に残らないだろう。」と呆れながらも容認。車で跳ね飛ばされた時、スローモーションのような感覚になり、無意識の間に左の肩で受け身を取った時、こんなところで柔道の授業が役に立ったのだと一瞬の記憶が蘇りました。その後、救急車で搬送。なぜか救急車の中で妙に冷静になり、「すみません、今私、保険証が手元にないんですけど。」と言うと、救急隊員の方の目がみんな点になっていて。あなた飛ばされたんですよ、そんな心配は今いいからと目がそう言っていました。

その後、運ばれた病院でレントゲンを撮ると、30代のノリのいい男性医師が笑いながら言ってくれました。「骨、太っ!見た目は細いのに、骨がしっかりしているからどこも折れていないよ。いつも何を食べているの?」「納豆とヨーグルトです。」ははっ。なんとなく場が和んだ後、やや真剣になった医師が伝えてくれました。「左全体の打撲が酷い。よく左肩で頭を守ったね。」「私、左利きなんです。」「そういうことか。右利きだったら分からなかったな。頭の打ちどころが悪ければ即死、もしくは半身不随だったかもしれないね。今は気を張っているからなんとかなっている部分もあるかもしれない。少しでも異変を感じたらすぐに受診するんだよ。まずは病院のベッドで休みなさい。」その話を聞き、左利きなのはこの為だったのだと思いました。そして、こんなに人の命って簡単に奪えるんだなとも。両親に頼るのがなんだか嫌で、姉にメール。すると、勤務中だという姉が営業用の車を借りて飛んで来てくれました。「S大丈夫か!アンタ、事故にあったのにメールの内容が妙に落ち着いていて、こんな時に気を遣わなければいけない娘にさせたのは誰よって腹が立ってきた。あんたが親を頼りたくない気持ちも分かるけど、こんな時は男の人の存在が必要。お父さんには今夜来てもらうよ。いいね。」姉のいいね?は強制。選択肢なんてあったもんじゃない。それが姉の愛情なことも知っている。
その後、自分と年齢の変わらないぐらいの相手の女性と、ご両親、そして、きっちりスーツを着こなした父と母が対面することに。相手側の話を聞き、無言でタバコをふかした父。とっても長い沈黙が流れました。その後、父がうまく話をまとめてくれて、相手側の女性が泣いてしまい、その姿を落ち着きながら見ていた自分がいて。この人は、ずっと親に守られてきた人なんだなと。相手の謝罪も受け入れ、もうそっとしておいてもらいたくて、深夜に一人になり、痛みと急に交通事故の恐怖が蘇り、トイレで泣きながら嘔吐。そうだ、今日誰の前でも泣かなかったな。

“生き急いでいる”ように見える。これは多分、何人かの方に言われた言葉です。でも、今日何があるか分からない、それを知っているから、後悔のないように毎日を過ごせたらと願う日々。林修先生の言葉を借りるとしたら、記事を書くことをいつ頑張るの?今でしょ!今しかないでしょ。