天気のいいある日、以前お会いした住職さんにお礼がしたいと思い、どういったものなら相手の負担にならないだろうかと考え、お米がぱっと浮かんできました。朝起きた後にスクワットをやっていると話してくれた住職さん、食生活も質素に、そして質にもこだわって体づくりをされているのではないかと。私がお気に入りの五穀米と少量の白米とゴマ塩をジップロックバッグに詰めて、家を出ました。お会いできなくても誰か分かるように、お手紙を添えて。そして、お寺に着くとやはり心はゆっくりと落ち着いていきました。お賽銭を入れ、手を合わせる時間。すーっと整っていくようでした。案の定、いらっしゃらないようだったので、縁側辺りにお届け物を置くと、シューッという音が聞こえてきて。よく見ると炊飯器で、ちょうどご飯を炊いているのが分かりました。もしかしたら、普段からお米を炊かずにいらっしゃるかもしれない、だったらこちらが炊いたものを届けようかとそんな考えも浮かんでいたので、炊飯器あるよーって音が教えてくれたようで微笑みたくなりました。ここには不思議な力が宿っている。そんなことを思いながら自宅へ帰ることに。すると、部屋に入って間もなく住職さんがお電話をくれました。初対面の時、私が相当弱っていることを感じ取った後、伝えて頂いた言葉があって。「もしまた今度いらした時、いなかったら良かったら電話をかけてきて。」大分驚いたのだけど、それがお守りになるかもしれないからとそういった優しさを感じ、有難く電話番号の交換をさせてもらっていました。なので、私だと分かった住職さんはかけてきてくれて。「○○さ~ん、上の方の木を切っていていなくてごめんね~。」今でも元夫の姓を名乗っている、そのことを考え続けた時期もあったのだけど、名字を言われた時、なんだかすごくこの名前を好きでいられる気がしました。「はい。お忙しい中すみません。」「いやあ、五穀米などありがとね~。」「いえいえ。この間のお礼がしたくて。いつも助けられています。」そう伝えると、あたたかい会話がその後も続きました。ありがとうを別の形でしたかった、その気持ちは十分過ぎるぐらい届いていて。とても辛いことが起こった、それにより私自身が滅入り、前から気になっていたお寺に行くと、柔らかいオーラを纏った住職さんにお会いすることができた。いろんなご苦労をされてこられた方なのは、とても自然に伝わり、50歳を過ぎてようやく心が楽になったとそういった話もしてくださいました。私は46歳、なんだか足元にも及ばないなとふと軽くなるのを感じて。人間万事塞翁が馬、人の幸不幸はどう転がるか分からない、そのことを改めて感じさせてもらった大きなご縁でした。敬意、感謝、謙虚さと素敵な笑顔を兼ね備えた住職さん、この先も学ぶことはきっと計り知れないな。
まだ名古屋の実家にいた高校生の頃、祖母の月命日になると住職さんが縁側からお見えになり、お茶をお出しするのが私の役割でもありました。定期テストの時などは平日の昼間に在宅していたので、祖父に呼ばれ、仏壇の前に座布団を敷き数珠を持って一緒に手を合わせることに。その後、母がテーブルに用意だけして本人は不在の和菓子と、麦茶などを召し上がって頂きながら、3人の談笑はいつも和やかな時間でした。日本史の教科書を座布団付近に置き、この状況で開けられる訳がないのは分かっていたのだけど、持っているだけで安心で。でも待てよ、ある意味この時間そのものが日本史に関係していないか?!と思ってみたり。そして、祖父が伝えてきました。「おじいちゃんももうすぐあっちの世界に行くよ。本当にあの世ってあるのかなあ。」「まだ早いよ!でも、いつかおじいちゃんが他界して、あの世が実際にあったよって分かっても、私に教えてくれる術がないね。気配で何か感じるかなあ。」そんな祖父と私の何気ない会話を、いつも優しい眼差しで住職さんは聞いてくれていました。親子ではなく、孫とこんな風に畳の上で会話ができるっていいですね。なんだか懐かしい匂いがしますよ、ここに来ると。お孫さん、おじいさんのことを敬ってらっしゃる。そんな関係をこれからも大切にしていってくださいね。失っちゃいけないもの、きっとあると思いますよ。住職さんの内側から、そんな声が聞こえてきました。「いつか人は死ぬ。それは自然の原理だ。だからおじいちゃんはそれには逆らわん。いい時代を生きたな。戦後の日本がどう成長していったのかこの目で見ることができた。十分だよ。」祖父の言葉は重い、その重さを住職さんと噛み締めたひととき。生きるってなんて尊いのだろう。
私が手術をする時も、別居をすると決めた時も、ネネちゃんは何度も伝えてくれました。「Sちんはおじいちゃんとおばあちゃんが守ってくれるから大丈夫。」だと。姉にしか分からないものをいつも感じてくれていて。私の持つ第六感のようなものを、彼女はどこかで信じてくれていました。それは、両親が全く分かっていないことで。ということは、最近奇跡的にお会いできた住職さんは、祖父母が会わせてくれたのか?この話をネネちゃんにしたら、きっと彼女はそうじゃないかと言うだろうと思いました。「Sちんってわざわざ大変な道を選んでいろんなものを背負い込むんだけど、人の運には恵まれているの。ここ一番って時には誰かが助けてくれる。だから、私は心配しているようでしていないんだよ。前世でよっぽど何かやらかしたのか、現世でSちんは苦労ばかりしてる。でも宿題を解決したら来世まで持ち込まないよ。」「いやあ、今幸せになりますって。」そう話すと一緒に笑ってくれました。因果応報、良い行いも悪い行いも結局は自分に返ってくる、そう思ってここまで歩いてきた。清らかな水にはまだまだ遠いのだけど、その流れをいつか見つけたいなと。一本の桜の木にどれだけその水を注げるだろうか。