5月の下旬、息子の花粉症が落ち着くはずが、今度は咳が止まらなくなってしまい困惑。週末になり、天気も良くなかったので、お互い余計にメンタルにもきてしまい一悶着ありました。もっとおおらかに、穏やかに接することができたらと自分に言い聞かせていても、またやってしまったと反省の日々。アンガーマネジメントって、イメージトレーニングも大事なのかもしれないなとクールダウンしながら今に至っています。咳が辛くて寝苦しい息子に、乳酸菌飲料を飲んで寝たら寝つきがよくなるかもよと言ってコップに入れ、テーブルの上に置いておきました。すると、スマホゲームに夢中な彼は、なんとなく返事をし、画面をずっと見ていたのでふとした拍子にぶちまけてしまい、リモコンにバシャッ。少し前にも私のスマホに思いっきりお茶をかけられたのと、テレビを壊したことなどが蘇り、怒りが3倍になってしまった訳です。あの時もあの時もと、芋づる式に思い出してしまう思考をどうにかならないものかな。こういう話をネネちゃんに聞いてもらうと、笑い話にしてくれるのは分かっていて。「そんなこと言ったら、私なんてずっとキレキャラじゃん!」とゲラゲラ笑ってくれる彼女の声を想像したら、呆気なく吹っ切れました。芯がブレなければ大丈夫だよ、Sちんが言い過ぎちゃったなって思う気持ちも込みでR君に届いているよ、彼女の言葉が胸に届いた。I am O.K. because you are my sister.
その後、月曜日になり咳が辛くて学校を休むことになったので、小児科に予約を入れて二人で行ってきました。すると、花粉シーズンも過ぎていたからか患者さんは私達だけで、なんだか急に過去の出来事が紙芝居のように流れ出して。初めて訪れたのはまだ生後4か月ぐらいで、高熱を出した時。初めての子供で、不安でいっぱいの中、先生の大丈夫という穏やかな雰囲気に救われた気がしました。その後も、胃腸炎で泣きつき、息子の風邪が移った時は、一緒に診てくれて。大人も診察可能なんだなと有難かった日。予防接種も花粉症も、事あるごとに登場し、もう12年間成長を見守ってくれているんだなと思うとぐっときました。そして呼ばれ、いつもののほほんとした先生が待っていて。こちらが症状を話すと、聴診器を持ち、「もしもししますね!」とすでに中学生になった息子に言うので、吹き出しそうになりました。その時、隣にあったベッドには怪獣の親子が座っていて、ほっこり。病院嫌いの息子がここならいいと言ってくれる、先生達の沢山の配慮にありがとうだな、改めてそう思いました。そして、告げられたひと言。「風邪です!」ふふっと思わず笑ってしまって。目の前にみかんがあって、みかんです!と言われているようなものなのだけど、先生に言われると大きな安心をもらえるようで親子揃ってくるんでもらえたようで、まあるい時間でした。そして、多めに処方してもらった薬、息子には先に帰ってもらい薬局で待っているとふと思い出して。そういえば、随分前に医療事務の資格を取ったんだったなと。医療の世界には随分お世話になっている、頭が柔らかいうちに勉強しておこうと学んでいた20代の頃が蘇ってきました。その時、本当にいつか役に立つことがあれば、小児科がいいなとぼんやり思っていて。よく分からない頭痛が常にあった、その不調をどう言語化したらいいのかも分からず、いつも戸惑っていました。何かしら調子の悪さがある、そんな私はおかしいのか?と。なんとなく精神的に不安定な母がいる、頑張って説明したところで凹まされるのが関の山だと思い、下手くそなりに自分と付き合いながら大人になりました。すると、何気ない会話で母が伝えてくれて。「そういえば、おばあちゃんって常に頭が痛いと言っていたの。」なんだ、私だけじゃないんだと本気で安堵したことを覚えています。祖母はメンタルが強い人だった、だから頭が痛いという言葉は決して言い訳じゃなかった、でも孫の私には一切伝えず、乳がんの抗癌剤の影響を出そうともせず、幼い私と手を繋ぎ田んぼ道をいつも歩いてくれたその時間は、そのぬくもりは今の私を支え続けてくれています。
息子はゆっくり回復し、学校に行ってくれたので新宿の主治医の所へ行ってきました。大学で講義がある為、予約を一週間前倒しにしたことを覚えていたので、だめ元で聞くことに。「先生、大学の講義って一般の私が受講させてもらうこと、さすがに無理ですよね?」「ごめんね。医学部の学生の講義なんだよ。試験にも関わることなんだ。」そりゃ絶対にだめだし、そもそも行った所でさっぱり分からなかっただろうなと笑えてきて。「いやいや、すみません。前の病院で先生の講演会のポスターを見かけて、行けなかったことを後悔していたので、いつかまたそんな機会があったら教えて頂けますか?」と伝えると、恐縮されながら、「今回はお役に立てなくてごめんね。」と謝ってくれました。どこまでも先生らしいな。そして、帰りの電車の中で塾の講師をしていた時のことが蘇ってきました。午後の仕事の前に、午前中は出身大学に戻り、聴講生として発達心理学と人格心理学を学んでいると知った同僚の友達が心配してくれて。「Sちゃん、いつ寝てるの?」と。信頼している彼女には腹を割って実家でのゴタゴタを伝え、まだまだ学び足りないことが沢山あると正直に話すと、心の底から寄り添ってくれました。いや違うな、背中をバシッと叩いてくれるような感じがして。司書講習があるなら本気で掴みに行け、そうじゃないとどこかのタイミングでいつか後悔するかもしれないからと。いろんな気持ちを真っ直ぐに届けてくれました。それから、苦戦しながらもなんとか無事に取得、関東の大学図書館で働き始め、元館長の教授が漢方の研究をされていて、頭痛持ちの私に漢方薬を薦めてくれました。その後、東日本大震災が起き、母とオーストラリアに行っていた私は予定より1日遅れでようやく帰国することに。どの棚からも激しく本は落ち、地震の凄まじさを痛感しました。そして、先輩が校内アナウンスで呼びかけると沢山の方達が手伝いに来てくれて。みなさん、それぞれが自分のことで大変なはずでした。それでも、まずは図書館へと。いつもお世話になっているから、その気持ちだけではありませんでした。みんなの心の拠り所だからと。辛くなっても図書館に行けばほっとできる、その気持ちはみんな同じなのではないか、だから真っ先に元通りにしたい、そんな想いが伝わり泣きそうになりました。「○○さんが、カウンターでいつもと変わらない笑顔を向けてくれること、それがみんなの癒しになるよ。」と。なぜ司書になったのか、なぜ教員免許を取得したのか、なぜ医療事務の資格も取ろうと思ったのか、なぜ心理学を学び続けたいのか、そして、なぜこうして書き続けているのか。全てがぐるっと円で繋がっているような気がしています。1対1で相手の目を見ること、その人の痛みに気づくこと、それが大事なのかもしれないなと。ここにいられる今を大切に思う。