最後のアイコンタクト

幼稚園の記事を書く時は、どんなに疲れていても、できるだけ早くパソコンに向かうようにしています。理由は、“その時”の想いを大切にしたいから。
今日、無事に卒園式が終わりました。さようならとありがとうが、沢山詰まった1日。

卒園式の服は直前まで迷って、プレ幼稚園の入園式に着た白と黒のワンピースにしました。その時は、少しだけラフにカーディガンを羽織っていたのですが、今回はグレーのジャケット。この4年間で、ちょっとだけ母親としてステップアップできたかなと思うような出で立ち。息子は、ダブダブだった幼稚園の制服がちょうどいいサイズ。二人で歩んだ幼稚園生活がこの日に集約されていたよう。
有給を取ってくれた夫と向かった幼稚園の入り口には、毎朝バスから手を振ってくれた運転手さん達や、『いっていらっしゃい』と『おかえり』を毎日私に言ってくれた守衛さん。それだけで溢れそうになる気持ちを抑え、門の前で写真を撮ってもらいました。もう会えなくなるんだね。

卒園式の最中、ぐっと泣きたい気持ちを堪えていたのに、『たいせつなともだち』を最後に歌っている姿を見たら、やっぱり溢れました。その曲は、息子が大好きで、よく家で聴いていた姿がなぜか蘇ってきたから。息子はお別れの意味をよく知っています。それが悲しいことも、それでもどこかで未来を見ていることも。先生とのお別れをずっと寂しがっていて、残りのカウントダウンを毎日のように教えてくれていました。
息子は一人っ子。それは、全てのことが親の私にとっても最初で最後だということ。どれだけ蜜の濃い4年間だっただろうと思うと、本当に沢山の気持ちです。カメラや動画では収まらない、もっと内側から溢れ出すもの。ふと何かの曲を耳にした時、ふとどこかの幼稚園バスを見かけた時、なんでもない瞬間に、なんでもない優しい記憶が蘇るのだと思います。

謝恩会の花束贈呈で、息子が渡したのは補助の先生。年少の3日目に、泣いてしまう心配をよそに、あっさり手を繋いで保育室に入ってしまい、園庭でずっこけそうになった大好きな先生です。一旦退職され、市内で偶然会った時、あの時と何も変わらない笑顔と温度で息子の名前を呼び、手を振ってくれた時に、何とも言えない嬉しい気持ちになって。その先生が復帰され、息子が花束を渡す姿を見たら、沢山の想いが駆け巡り、手が震えてせっかくのシャッターチャンスがブレブレ。でも、カメラ目線になってくれた先生の温もりは、やっぱりあの頃のままでした。

先生達が退場の時、プレ幼稚園の先生が、私に会釈しながら手を振ってくれました。先生の顔を見た途端、完全にダム決壊。だって、先生も一緒に泣いてくれていたんだもん。そして、私に何を伝えたいのか、アイコンタクトで読み取ることができたから。『ここまでお母さんとして、よく頑張ったね。ずっと見ていたよ。だから大丈夫。あなたは大丈夫。これからも、そのままのお母さんでいてね。卒園おめでとう。』先生のことをよく知っているから、ほんの一瞬のアイコンタクトで、どんな言葉で私を見送ろうとしてくれているのかが分かって、溢れ出す涙はどうしようもありませんでした。『先生のおかげで頑張れた』その気持ちは伝わっただろうか。苦しい時に助けてくれてありがとうの気持ちは、届いただろうか。

4人の担任の先生、裏側で支えてくれた沢山の先生、そして園長先生。幼稚園の行事が終わる度、プリントアウトをした記事を楽しみに待ってくれていたんだそう。息子を大切に育ててくれた先生達だから、伝わってくれる。私が思っているよりも、ずっと深く。

1人の部屋でパソコンに向かい、寂しさが堪らなくこみ上げた夜。息子の笑顔は先生達からのプレゼント。だから、きっと寂しくない。でも、涙が乾くまでは、思い出に浸らせて。