終わりではなく続いていく

年中の担任の先生には、本当にお世話になり、明日から新学期。私も息子も先生も、新しい始まりです。

担任だったH先生に、書いた記事を初めて渡したのは、初期の頃。友達のKちゃんは、妹のような存在なので半分身内、そう考えると、先生は外部から初めて声を届けてくれた読者の方だったのかもしれません。
「面白かったです~。」と声を弾ませながら楽しそうに伝えてくれた時、自分が書いたものが、誰かの心に届く、そのことをとても真っ直ぐ伝えてくれた先生とのやりとりは、私の小さな自信に繋がっていきました。

ちょっとしたことで悩んでいた時期、思い切って相談した時のこと。「その問題が解決されたら、お母さんの心は軽くなるんですよね!」と明るく言われた瞬間、ふっと小さな石の塊が、心から取れるようで。

小学校で司書として働いていた時、とても優しくいつも毅然としているボランティアのお母さんが、図書室のカウンターの隣で、ポロっと育児の悩みを話してくれたことがありました。ご主人にも友達にも話さず、一人で抱えていることが分かり、話を聞くことしかできなかったけど、傷みをシェアしてくれて、目を潤ませながら肩の力を抜いて笑ってくれた時、少しでも楽になってもらえたらと祈ったことを思い出しました。
退職日、「先生がいてくれたから、頑張れました。」と泣きながら伝えてくださり、育児って本当に孤独と紙一重のところにいるのだ感じ、そばにいられて本当に良かった。
H先生に助けられた時、あの時の気持ちが違う形で自分に届けられたようで、胸がいっぱいに。

先生のお別れ会の後、インド人の友達の前で号泣したので、先生の前で泣いたら園庭に出られないと思い、ぐっと堪えてご挨拶。そんな時、伝えてくれました。「これからも、楽しみにしています!」といつもの明るい笑顔で。先生は気づいてくれていました。友達との別れが切ないものだということを。なぜなら、先生はとても近い読者でいてくれたから。一番身近に、私の想いを読み取ってくださっていたのかもしれません。

園児達に向けて、「先生は、もう皆の担任ではなくなってしまうけど・・・」という挨拶を聞いた時、何とも言えない寂しさがこみ上げていました。だからこそ、沁みた。
『担任ではなくなってしまうけど、読者としてはずっとそのままです。』という想い。

以前、園長先生がこっそり教えてくれました。「プリントアウトして渡してもらった最初の頃の幼稚園の記事を、担任は大切に保管しています。」と。
先生が、いつか子供を産んで、その子がお母さんのことを知りたくなった時、見せてあげてほしい。「幼稚園の先生をしていた時に、記録を残していた保護者の方がいたの。」と。そこには、写真でも映像でもない、頭の中で想像できる自分のお母さんがいてくれたらいいなと願っています。

お別れ会で泣きすぎて、幼稚園に行くことが恥ずかしくなってきました。それでも、また一歩踏み出そうと思います。
先生、沢山の気持ちをありがとう。