大学時代、とってもクールな女友達が一人。曲がったことが嫌いな彼女は、いつも自分の信念を持ち、多くを語らない中で、冷静に周りを見渡すそんな姿勢が好きでした。学内の人間関係で少し悩んでいた私の様子に気づいた友達は、講義の後、さりげなく伝えてくれました。「Sが今どんなことで悩んでいるのか知ってる。私なりの考えがまとまったら伝えるから、ちょっと待っていてね。」そう言われ、お別れ。あなたのことを心配している、でも今伝えられる言葉が見つからないから、もう少し時間が欲しい、でも届けるから。そんな気持ちが伝わり、それだけで十分でした。
数日後、はいと言って手紙を渡され、その場を去っていってしまい、お礼を言うのが精一杯で。その場で開くことを躊躇い、自宅に帰ってから開封すると、彼女らしい言葉が並べられていました。『彼女と別れたからって、大学に来なくなるなんて、ちっさいよ。Sは、周りで噂されても、毅然として毎日大学に来てる。その姿勢が偉いなって思うんだよ。そんなことで、来なくなるような人とは別れて正解。だから、もし相手が中退することになっても、それはSのせいじゃない。胸を張っていなよ。』ずっと悩んでいたことを、しっかり見てくれていた彼女の深い優しさに大泣き。自宅で読んで良かった。人を大切にするって、きっとこういうこと。本質を見ようと、どんな言葉なら伝わるだろうと、沢山考えてくれた友達の手紙に救われました。
その友達は、高校の教員免許を取った後、もう一度自分が何をやりたいのか考え、保育士の資格を取る為に違う大学に通うことにしたと連絡をくれました。そんなに多くを語り合った訳じゃない、それでも水面下で通じ合うものがあったのだと、彼女の強さにどこかで守られていたのだと改めて思いました。「私の実家、北陸でさ〜、弟が跡を継ぐって決まっているの。だから、帰る場所がなくって。金銭的には助けてあげられるけど、後はそっちで何とかしてって両親に言われちゃってね。」あっけらかんと言ってくれるそんな言葉に笑い、沢山元気をくれた友達。直球でもなく、変化球でもなく、ピッチャーマウンドでポンポン粉を手にこすりつけるだけで、その人の姿勢を見るだけで励まされることもあるのだと教えてくれた人。
そんな在学中、アルバイトをしていた日本料理店が終わると、時々近くの居酒屋へ店内の先輩に誘われたことがありました。着物を脱いだら、先にお店に行っていてね、後で追いかけるからと。そして、すっかり常連になった私を見つけたマスターが、カウンター越しに聞いてくれました。「Sちゃん、お腹空いてる?ほしいもの、なんでも言うんだよ。」女子大生の私が、一人でいて浮いてしまわないように、寂しくないようにいつも声をかけてくれる優しい男性マスターにすっかり甘え、仕事の弱音の聞いてもらった夜。「慣れない仕事で、お腹空いているのかもよく分からなくて。接待で利用されるお客様に失礼のないようにと思っていると、余計に緊張してしまって。」としょげているとにっこり笑って伝えてくれました。「今待っている先輩がいつも言っているよ。若いのによくやってくれているって。だから、たまには息抜きしてほしくて飲みに誘ってる、まだ遊びたい年代なのに深夜まで働いて、どこかで抜かないと参っちゃうって。だから、一人でもおいで。」そんな気持ちに感極まっていると、先輩が来店。カウンターの隣に座り、「お疲れ~。」の乾杯。「Sちゃん、私ね、実家でとっても辛いことがあって、家を出る口実の為に結婚したの。好きという気持ちよりも、家を出られるならそれでいいという気持ちの方が強かった。子供も二人できて、幸せかと言われたらきっとそうなんだと思う。でもね、親のことで自分の人生を選んじゃだめ。何かあなたを見ていると、昔の自分と重なるの。前にね、お酒が入った席で、酔ってしまって実家でのことを大泣きしながら調理長に弱音を吐いたら、ちょっとすっきりしたの。ようやく誰かに話せて、抱えていたものが少し降ろせたような気がした。だから、何かあったら私に話してきて。」いい夜。空腹で飲んだビールが沁みてしまい、言葉よりも頷くことしかできなくて。そんなやりとりをそっと見守ってくれたマスターの温度までもが流れ込んでくるようでした。
時間を忘れ、名古屋駅までは辿り着いたものの、すっかり終電を乗り過ごし困惑。マブダチK君は彼女がいたので連絡を控え、他の男友達に迎えに来て~と電話で泣きつくと、あっさり引き受けてくれて安堵。すると、中に乗っていたのは友達とK君。「一緒に遊んでいたんだよ。こんな時間まで若い娘が出歩いて、お父さんは悲しい!」「いつから私のお父さんになったのよ!○○(友達の名前)、今度お礼に何かご馳走するね。」「だったら、すし!」「じゃあ俺も!」「K君は便乗してきただけでしょ!」そんな話でわいわい帰った自宅までの道。
自分を見失わなかったのは、優しさを教わったから。頑張って笑わなくていいと、たまには声を上げて泣いてもいいのだと教えてくれる人達がいたから。