姉に会った時、ちょっとしたなんでもない日常の話をしてみました。「Rが急にね、フェンシングをやりたいって言い出したの。」「え~!いいじゃんフェンシング!どうして思いついたんだろうね。なんだか発想がR君らしくて面白い!」「思い当るのは、東京オリンピックぐらいなんだよ。確か一緒に観ていた気がしてね。でも、道具は揃わないし、どうしたらいいか分からなかったから、あれは貴族のスポーツだよ~と適当なことを言って、さらっと流してしまった!」そう話すとまたゲラゲラ笑いながら伝えてくれました。「R君の持っている感性ってとても興味深いよ。何か伸ばしてあげられたらいいね。」「うん。オリンピックを観て一番熱狂していたのってBMX(自転車レーシング)だったと思うんだよ。でも、心の中にフェンシングが残っていたのかもしれないね。Rが生まれ持った繊細さはギフトなんだと思う。あらゆることに気づいてしまうし、体も時々辛そう。でも、そのギフトを持っていて良かったなって思えるかどうかは私にかかっているのかもしれないなって思っているよ。あの子の肯定感を育み、自分は自分でいいんだって思えた時、何か届けられる人になってくれたらなって。それは本人に余裕がある時でいい、私の失敗経験も含めて伝えていきたいって思うんだ。」そう話すと、何とも言えない優しい表情で微笑んでくれました。あなた達母子は大丈夫、そんな判子を押されながら。フェンシングと言えば、2008年の北京オリンピックで銀メダルを獲得した太田雄貴さん。フェンシングのパイオニアになってくれた彼の功績は大きく、東京オリンピックの誘致に多大な貢献をし、決まった時に歓喜した姿はずっと胸の中にあります。一人の小学生がオリンピックを観て、フェンシングに興味を持ったことを知ったら、喜んでくれるだろうか。
息子と相変わらず電車に乗って広い公園へ行った日、夏用のストールをぐるぐる巻きにしていたものの、あまりの暑さに外しバッグの上に乗せて歩いていると、途中で落としてしまったことが分かり大慌て。「どうしよう。お母さんね、あのストールお気に入りなんだよ~。ちょっと戻ってもいい?」暑がりの息子がぐずるかと思いきや、あっさり言うことを聞いてくれるので拍子抜けしながら来た道を300m程戻ると、歩道のポールの上に淡い黄緑色のストールがひっかけられているのが分かり、感激してしまいました。「あれ、ママのじゃない?ボク取ってくる!」そう言って猛ダッシュで取ってくれたかと思うと、自分の首に巻いて戻ってくるので笑ってしまって。「本当にありがとう!誰かが拾ってかけておいてくれたんだね。直接会ってはいないんだけど、こういう優しさ嬉しいね。Rが小さい頃も、お気に入りの帽子を落としちゃって大変だったの。タオル生地でその帽子しか被ってくれなかったから慌てて来た道を戻ったら同じようにひっかけておいてくれた人がいてね。誰かが落とした時は同じことをしたいなって思ったよ。」「うん。ボクの帽子もママのストールもお気に入りだし、肌触りがいいからなくなったら困っちゃうもんね。」そう言われ、思いがけず人の優しさ、そして息子の気遣いに触れたので、公園に行く途中、お礼にアイスの実を買うと本気で喜んでくれました。いい事をすると、いい事が待っているかもしれないよ、回り回ってあなたの心を温めてくれるのかもしれない。
高校1年の9月13日の夕方、マブダチK君に伝えました。「明日16歳になっちゃうんだよ!15の夜、今日で最後なの。『15の夜』(作詞作曲:尾崎豊)をずっと聴いてきたから、なんだか寂しい。」と、わーわー騒ぐ私に若干呆れながらも、笑って聞いてくれていて。お前さ、どこかで自由を求めているだろ、彼の表情はそう言っていたのではないかと最近になって思いました。サビの部分を聴く度、涙が溢れそうになるのはなぜだろう。
そんな2年前、同じクラスの男子にオザキファンがいて、お兄さんから影響を受けたと話してくれました。彼は、剣道部。小学校低学年で大事故に遭い、足の骨はぐしゃぐしゃになってしまった、何十針も縫って、リハビリもして歩けるようにもなったけど、全力疾走はできないから剣道部に入部したんだと教えてくれて。プールの時、彼の足を見せてもらうと大きな傷は残っていて、胸が痛くなりました。本来、経験しなくてもいいことを彼は小さいうちに越えて、いつもどこかに感謝と不安があるような、どこかで少し大人びた一面もあり、辛かっただろうなと密かに思っていて。そういった時期に、尾崎豊さんが書いた本を見つけ、読んでみたものの難しくて、それでも彼に届けたくて渡しました。長い時を経て調べてみると、思いがけないことが分かり呆然。尾崎豊さんの出版を後押ししたのは、幻冬舎の見城徹社長(その当時は角川書店取締役)、その方は内館牧子さんの本にも出てこられた方で、すごい人だなと感銘を受けた社長さんでした。さらに掘り下げて調べると、尾崎さんが覚せい剤で捕まりすべてをなくした後、お金や人を集め、事務所を作り再起を手助けしていたことが分かりました。見城社長がいなければ、逮捕後の彼の曲を聴くことはできなかったのかもしれないと思うと、何とも言えない気持ちに包まれました。見城社長は、尾崎さんにしかないものをずっと大切にされていたんだろうなと。
「Sが犯罪者になっても、俺はお前の味方でいる。」そう伝えてくれたK君の言葉をふいに思い出した。私にしかないものを大切にしよう。