理由を知りたい

今年の夏に息子と観ていた世界陸上。障害物の種目を見て、率直な感想が漏れました。「色々な競技がある中で、どうして障害物をやりたいと思ったんだろうね。走っている途中に水たまりがあったら、怪我のリスクも高まると思うのに、敢えて選んだのは理由があるんだろうね。」と私。「そうだよね。見ていて面白いよ。グラウンドに水たまりがあるんだから。」と二人でわいわい。そう言えば、高校で同じクラスのとってもかわいい女の子が、陸上部のやり投げをやっていて、素朴な質問を投げかけてみたことがありました。「陸上って沢山の競技があるのに、どうしてやり投げを選んだの?すごい華奢だし、そのギャップに驚いたよ。」「あまりみんながやらない競技をやってみたかったの。ちょっと変わっていていいなって。」「そうなんだ~。グラウンドで練習する時、サッカー部とかにやりが刺さっちゃったりしないの?」そう伝えると、笑いながら教えてくれて。「練習の時は先端を丸くして、当たっても痛くないようにしているの。グラウンドの端でやっているから、大丈夫だよ~。」「へえ。○○ちゃん、本当にかわいいからその意外性がいいね!K君もサッカー部だから、ちょっとぐらい当てに行ってもいいかも。あ、でも帰宅部だった!」そう話すと一緒に笑ってくれました。なぜその道を選んだのか、聞くことってとっても興味深い。

そんな仲のいい高校一年のクラスの時、校内放送で職員室に呼び出しがかかりました。待っていたのは他のクラスの男の先生。「先程お母さんがみえて、お父さんが交通事故に遭ったらしい。」・・・お父さん?外回りはしていないはずだから銀行内だよねと思っていると、先生が付け足してくれました。「多分、お母さんのお父さんだと思う。動揺されていたからはっきり分からないけど、そのまま病院に駆けつけるから娘に家の鍵を渡してほしいと頼まれてな。」「ああ、きっとおじいちゃんです。一緒に住んでいて、仕事でよく車を使うからそこで事故に遭ったのかも。ありがとうございます。」と動揺を抑えながら鍵を受け取り、慌てて帰宅し、母の連絡を待ちました。その後、祖父は見通しのいい交差点でダンプトラックとぶつかったことが判明。その時、仕事で水質汚濁の調査をしていた祖父は、次の場所に向かう為、何を思ったか、助手席にあった資料を少し見ようと信号のない交差点で一瞬確認し、左右も見ずに進んだ為、優先道路だったトラックと思いっきりぶつかってしまったよう。急いでいたのか、シートベルトをしていなかった祖父はそのまま車外へ弾き飛ばされ、電柱と電柱の合間を抜けて、田んぼに落ちたそう。そのおかげで一命を取り留めたと警察の方が話してくれました。不幸中の幸いと言うべきか、奇跡が重なったと言うべきか。母は、混乱した状態で話していたものの、おじいちゃんは大丈夫と確信した言い方をすると、母も少し落ち着いてくれました。意識が戻るかどうかの混沌とした中で、おじいちゃんは聞いたはず。「生きろ、生きろ。」という声を。それは、戦友だけでなく、様々な形で他界されたご兄弟の声も聞こえていただろうなと改めて思いました。祖父の生命力を誰よりも知っている私の言葉に、母は落ち着き、おじいちゃんのケアを私も引き受けることに。それを知った姉は、私が高校から帰ると、ポテトサラダとオムライスを頑張って作ってくれていました。一緒に食べると、ポテトが固いと二人で大爆笑。「あれ?時間をかけて作った割には大したことないな~。」と姉の反省会が始まって。お互いが沈みそうな気持ちを上げてくれたネネちゃん、家族っていいね。

その後、退職し、何度も手術を繰り返し、脳梗塞のリハビリを頑張ってくれて、家庭菜園ができるまでになりました。男の子をお腹に授かり、祖父に電話で報告。「そうか、赤ちゃんか。」感慨深げに言われ、泣きそうに。里帰り出産ができない程悪阻が酷く、関東で産むことを決め、陣痛がやってきました。陣痛室で見てもらうと、元気が良すぎてへその緒を首に息子が巻き付けてしまっていることが分かり、みんなが大慌て。痛みと戦いながら、医療関係者の方達が出たり入ったりする中で、一人の時間がやってきて、祖父の言葉を思い出しました。「Sちゃんの子どもを見るまでは、わしゃ死ねん。」何度言われたことか。それを最後の目標にしてくれていた祖父。裏を返せば、私のひ孫に会えば、祖父は逝ってしまうとどこかで分かっていて、陣痛室で急に寂しくなってそっと泣きました。それから、人情の厚い主治医が手の空いているスタッフさん達をみんな連れてきてくれて、チームプレーで無事出産。息子の産声を聞きながら、生後一週間で亡くなった祖父母の男の子、その命の重みを改めて感じ、そして、祖父の命が薄れていくことが分かり、分娩台の上で涙が止まりませんでした。

抱っこしないと寝てくれない甘えん坊、妊娠高血圧症候群が酷く血圧の下がらない娘を心配して、母が駆けつけてくれました。その数日後、預けていた施設で、祖父の容体が悪くなり、予感は的中してしまったことに胸が痛くなりました。それでも、祖父はひ孫に会うまでは絶対に逝かないという確信もあって。それから、私の調子も回復し、息子もすくすく育った3か月後、ようやく名古屋の祖父の病院へ行くことができました。もう寝たきりに近い状態、それでも、ひ孫の顔を見て微笑んでくれた祖父。Sちゃんの子供か、そんな言葉を呟き、「世代交代だ。」と言われて。渡されたバトン、その数週間後に祖父は他界しました。祖父の命は、戦地でも交通事故でも尽きることなく、ひ孫を見た後、安らかに眠りました。生命力、それを孫の私に見せ続けてくれて。繋げてくれたその尊さを忘れないでいようと思います。
卵巣がんの疑いで卵巣を摘出することになった手術当日の朝、ネネちゃんが『Sちんは大丈夫』と入れてくれたメッセージ。姉はいつも伝えてくれていました。Sちんはおじいちゃんとおばあちゃんが守ってくれているから大丈夫なのと。姉にしか分からない確信のようなものがいつもそこにはあって。その“大丈夫”は、祖父の交通事故で動揺する母に伝えた言葉と重なりました。近しい人だからこそ、感じるものがあるのだと。おじいちゃんおばあちゃん、私とひ孫を守ってくれてありがとう。いつも包まれていると感じるから、私と息子は空が好き。