息子がズーラシアから買ってきたカワウソ親子のカワちゃん(次男)と、箱根から連れて帰ってきたカンちゃん(長男)は、最近プール教室へ行ってきたよう。「カンちゃんがちび教室で、カワちゃんがちびちび教室で優勝したんだよ!」「へえ。そのプール教室ってどこにあるの?」「静岡!」元々ユーラシアカワウソなんだから、教室に行かなくても泳ぎは上手いのでは?!それにしてもなぜ静岡?海沿いだから??とこちらの想像力までフル回転してしまったものの、一人で盛り上がっていたのでとりあえず同じテンションで付き合うことに。「二匹だけで行って偉いね~。」「そうなの。おかあちゃんのワカちゃんがいなくてもしっかりしているんだよ~。」静岡にプール教室があり、鎌倉にはたまご教室があり、旭川には動物幼稚園もあって・・・そのうち海外にも拠点を作るかもしれないなと10歳児ワールドを楽しむことにします。
世界と言えば、この間息子とマリオの映画を観てきました。スーパーマリオブラザーズが配管工であることを知らなかった彼は、映画を観終わった後驚いていて。3D映画を選んだので、二人で3Dメガネを付けるから、ポップコーンは早めに食べた方が集中できるかもと伝えたものの、そんなことはお構いなし。隣で自分の分をあっさり食べ終えた息子は、映画に見入ってほとんど食べていない私の分まで受け取り、終わるまでずっとボリボリしているので、途中で吹き出しそうになりました。そして、マリオとルイージを見ていたら、ネネちゃんと自分が重なり、なんだかぐっときて。ずっと子供時代にやっていたマリオのゲーム。彼女はいつもマリオで、私がルイージでした。自分の失敗を教え、こうやったらクリアできるといつも画面を通して伝えてくれていました。それは、私生活でもそうで、姉はいつも勇敢に妹のことを守ろうとしてくれていたのだと、だから私は息子の手を取りマリオでいられているのかもしれないなと。そんな気持ちの中にいたのに、我が家のルイージは隣でポップコーンをずっと頬張っているので、なんだか微笑ましくなって。そして、いつの日かあなたがマリオになるんだよ、もうなりつつあるのかもしれないね。そんなことを思った優しい映画のひとときでした。
今年の母の日は、息子がプログラマーのMさんと相談して、私が大好きなモンブランのケーキと、仲良しのD君と作った手作りのカーネーションと、プレゼントを渡してくれました。中を見てみると、とても高そうなインクのボールペンで、よく見るとスヌーピーが描かれていて胸がいっぱいに。息子の歯医者に行った時、待合室でスヌーピーの一番最初のアニメがやっていて、二人でくぎ付けになりました。どんなストーリーなのかを初めて知り、その可愛さに二人で大盛り上がり。その日以来、私がスヌーピーを好きになったことを覚えていた息子は、その商品を選んでくれたことが分かり、ひとつひとつの時間を拾っていたのは私だけではないのだと思うと感激の夜でした。そんな彼が、気圧の影響を受ける度、どうしようもない程荒れてしまうので、疲弊する日常もまたそこにはあって。訳が分からなくなるから、全然違う所に自分が飛んでしまい、これでは心身ともに辛いだろうと、こちらも参りながら宥める時間。そんな時、ふとアメリカ育ちの元彼のお父さんを思い出して。彼は、関西出身。私立の高校に進学したものの、そこでうまくいかず退学。初めての挫折でした。彼に会った時、育ちの良さを感じたものの、苦労人のところも見受けられ、後から話を聞いて頭の中で繋がったようでした。高校を退学し、どうしようかと思っている時に、お父さんの姉である伯母さんがアメリカに住んでいて、こちらの高校に通わないかと言われたので、思い切って行くことにしたのだと。その生活が合っていて、そのままアメリカの大学に行った、だからアメリカの友達はみんな一つ下だったと話してくれました。隠そうと思えば隠し通せた話、それを包み隠さず伝えてくれた所に、彼の人柄を感じました。高校を退学した時、本当に苦しかったんだろうなと。だから、私に学びたいことがあるなら応援したいと言い続けてくれたのだと改めて思いました。そして、彼のお父さんは精神科医でした。環境をがらっと変えた方が息子の為になるのではないか、その後押しをしたのだろうと自分が親になってお父さんの気持ちが少しだけ分かった気がしました。そんなお父さんが彼の弟さんと横浜まで遊びに来てくれたことがあり、観光案内をさせてもらって。その時、二人になる機会があり伝えてくれました。「うちの息子が運転する車に乗ったら、前よりも落ち着いていて、これはSさんのおかげだなと思った。いつも支えてくれてありがとう。でもな、息子のことを気にかけてくれるのは嬉しいけど、もっとSさんは自分のことに時間をかけた方がいい。あなたは自分をしっかり持つこと、まずはそこなんじゃないかなって。」寡黙なお父さんが、ゆっくりしたペースでそう伝えてくれた時、何かを見抜かれている気がしました。それが今になり理解できた気がして。お父さんは、私の線の細さを心配してくれていたのではないかと。危うさのようなもの。もっとどしっと構えたら、もう少し生きやすくなるよ、それが難しいのも分かる、それでも覚えておいて。そんなメッセージだったのではないかと思いました。そして、彼がふと伝えてくれた言葉も思い出して。「Sは人を見る力がある。俺には分からないものがSには見えるんだろうな。」と。あなたのお父さん、なかなか痛い所を突いてきたよ。そうやって患者さんが見えていないものをそっと見せようと、ここまですり減らしてきたのかもしれないね。華麗なる一族だったけど、この年になり、お父さんと少しだけ分かり合えた気がしました。20代の頃よりは、線が太くなったと伝えたい。
「ママ、お薬飲んだらちょっと楽になった。」視点を戻すと大きく波打っていた息子の心が落ち着いたのが分かりました。「いきなり辛さが襲ってくるから、その前に飲むのって難しいね。でも、前より短い時間でお薬飲めたよ。お母さんね、母の日のプレゼントとっても嬉しかった。でもね、Rの辛さが解放されてくれることの方がもっと嬉しい。だから、来年の母の日までにぐずらずお薬が飲めるように頑張ろう。目標は目標。だめだったらそれはそれでいいの。お母さんね、Rがこの先心を許せる人に出会って、辛さを爆発させてせっかくのいい関係を壊してほしくないの。あなたの良さを勘違いされたくないんだ。その前に、お薬と仲良くなっておこう。そうしたら、沢山の人とありのままの自分で向き合えるよ。お母さんもまだまだだけど、一緒に越えていこう。」そう伝えると、コクっと頷いてくれました。卵巣腫瘍が見つかり、MRIを受けた病院の中。ヘッドホンを付けられ、機械が動いた。息子との別れは早すぎる、神様どうか良性でありますように、何度も何度も心の中で唱えた自分が蘇ってきました。自分のストーリーが、誰かの何かになってくれるのなら。いつもそんな気持ちでここにいます。抱える辛さが、少しでも小さくなりますように。この記事を閉じた時、笑ってください、自分のために。