ようやく秋らしい空気になってきたここ最近、少し遠回りをしてから買い物へ行こうと思い、気持ちよく自転車を走らせると、仲良しのKちゃんと初めて行った公園を通り、なんだかぐっときました。出会ったのは公共施設のキッズルーム、何度か顔を合わせた後、同じ幼稚園に入ることが分かり、控えめな彼女と連絡先を交換できた時は本当に嬉しくて。そして、子供達と一緒に外で遊ぶようになりました。大きな桜の木がある公園、そこを横切った時まだ小さかった頃を思い出し、優しい春の風を感じて。会う回数は、その時に比べたらぐっと減ってしまったのだけど、気持ちの近さはなんにも変わっていなくて。カフェも公園も、Kちゃんと過ごしたいくつもの時間がそのまま残っていて、いいサイクリングでした。たまには違う道を使うのも大事なことだな。
そんなふわっとした時の中で、高校時代の友達を思い出しました。8月に地震があり、夜息子とリビングにいると、緊急地震速報がスマホから鳴り、テレビからも音がしたと思ったら、どんと突き上げるような揺れを感じ大慌て。息子がこちらに駆け寄り、何も倒れてこない場所に身を寄せると地震は落ち着いてくれました。その後、震度4だと分かり、本当に何が起きてもおかしくないなと痛感。息子と避難場所や自宅にある避難グッズを確認し、急なことでも慌てないように二人で備えました。その後、スマホを確認すると、地震速報の他に一件のメッセージに気づいて。よく見ると、それは高校時代の女友達で、『S、地震大丈夫だった?』と心配の連絡が入っていて、嬉しさと共に懐かしい匂いがしました。全然連絡を取っていなかったのに、こういう時に優しさを向けてくれるのは昔のまま。彼女は、高校2年の時に同じクラスになり、明るく一緒にいると居心地がよくすっかり仲良しに。お互いの失恋を慰め合い、共に高め合い、3年になってクラスが離れてもいい距離感でいてくれました。ご自宅にお邪魔すると、彼女を上回る天真爛漫なお母さんが迎えてくれて、お兄ちゃんも妹ちゃんも仲良くしてくれて、胸がいっぱいに。そして、進学。彼女は保育士を目指し山梨へ、私は地元に残りました。その後、とんでもなく悲しいことがあり、夜に泣きながら車を走らせていたら、友達の自宅が近いことを思い出して、迷惑だと分かっていても鳴らしたピンポン。すると、お母さんが私に気づき開けてくれました。その顔を見た途端、涙腺が崩壊し、大泣きしながら、「おばさん、こんな時間にごめんなさい。」と言うと、「うちはいいのよ。」と微笑み、それ以上言葉の出てこなかった私の手を握り、涙が止まるまでもう片方の手で背中をさすってくれました。なんだかもうどうしようもなく悲しくて、めちゃくちゃ迷惑な時間に来てしまったのに、こんなにあたたかく迎えてくれる人がいるんだと思ったら、余計に泣けてきて。そして、ようやく落ち着いて事情を話すと、状況を理解したおばさんは伝えてくれました。「Sちゃん、今日はうちに泊まっていって。」と。辛い思いをする自宅に今日は帰さない方がいい、そう判断したおばさんは、大きな包容力で包み込んでくれました。「山梨で、一人で頑張っている○○になんだか申し訳ないな。」そう話すと笑って返事が。「Sちゃんが頑張っていると分かれば、○○も頑張ろうってきっと思うから。あの子が置いていったパジャマとか一式あるから使ってね~。」と洗顔グッズまで借りてしまい、あたたかい湯船に浸かるとほっとしました。悲しかったことより、受け止めてくれた優しさ、絶対に忘れないでおこうと思いました。友達から地震の心配の連絡が入った時、おばさんの手のぬくもりを思い出して。あなたのお母さんに包んでもらったから大丈夫よ、親子で沢山の愛と優しさをありがとう、いろんな気持ちの中でお礼の返信をしました。たった一行が時を越えるなんてね。
行きたい大学があったのに、地元の大学を選び、それは自己犠牲だったのではないかと、ネネちゃんが今でも気にしてくれていた夏の会話。何度思い返しても、1%もそんなことは思っていなくて、むしろいい選択をしたと心から思えて。アルバイト先の日本料理店の若い店長は、こちらの家庭環境をなんとなく理解し気にかけてくれていました。関西の有名大学を出て、また名古屋に戻ってきた店長、試験前には学業に集中できるように勤務日数を減らしてくれて。仕事が終わり、へとへとで着替え、打刻し忘れた~と慌ててお店へ戻ろうとすると、エレベーターに乗り込もうとする店長が見えたので、慌てて相乗りし事情を話して謝りました。すると、ふふっと笑いながらひと言。「いいよ、30分ぐらいでしょ。」頭ボサボサで汗だくの私を見て、ものすごい勢いで走ってきたのが分かったよう。「すみません。ありがとうございます。」と伝え、よく見ると店長の格好がハーフパンツで笑ってしまって。「本社から、私服でいる時も常連さんに会ったりするから、もう少しきちっと決めるように言われてるんだけど、ハーフパンツが楽なんだよ~。」と砕けた笑顔で説明してくれるので、なんだかほっとしました。ご年配の女性に人気の店長、お店ではきちんとしているのに、店を出たらオフモードでスーツは戦闘服なのかもしれないなと。「僕の大学4年間そこそこ楽しかったから、Sちゃんも楽しみなよ。」行間から滲み出る店長の想い、いいエレベーターの時間でした。本筋ではないのかもしれない、何でもないひとコマ、でもその短いエピソードに何度も何度も救われてきた。そう、付録が沢山の束になり今がある。
今年の誕生日前日、母のことでダメージを受けた私を知った息子は、USJでゲットしたはてはブロックの中に入っていた、キノコと1UPキノコとスターを貸してくれました。「ママ、今日はこの子達と一緒に寝てね!」「嬉しいのだけど、でかいし、1個でいいよ。」「だめなの!」そう言って、3つを抱え、枕元に置いてくれて。ママが受けたダメージ知ってるよ、ボク何回も目の前で見てきた、だから1個じゃ足りないの。ママがまた走り出せることを応援してるよ。そこに沢山のメッセージを感じ、その気持ちで十分だと思いました。私のルイージ、大きく羽ばたけ。そんなことを思った44歳最後の夜。読んでくださる方の心がふんわりするように、そんな願いを込めて、45歳も走り続けることにする。