雨が降る前に用事を済ませようと思い、自転車で信号待ちをしていると、急に後ろから衝撃があり驚きました。慌てて振り向くと、50代の自転車に乗った男性が、歩行者の方を避けようとしてこちらの車輪に追突してしまったよう。はずみで車道に飛び出しそうになったものの、最近体幹を鍛えていたのでなんとか踏み止まることができ、本気で安堵しました。「すみません。」と何度も謝って頂き、こちらも「大丈夫です。」と返事をすると安心してくれて。自分が気を付けていても、本当に何が起きるか分からないなと痛感しました。信号を待つ時はできるだけ内側にいるんだよとうるさい程息子に伝えているのは、きっと間違いではないんだろうな。マミー陸上部はお休みしているけど、マミー夏期講習は待っているよと話すと、軽く流されて。伴走するよ、参ってしまいそうな時は、声が届く距離にいたいから。
メジャーリーグのオールスターゲームは、新宿の主治医の通院と重なってしまい、それでも大谷選手の第一打席だけは見たいと思い、家を出る準備は万端にして立ちながらテレビで観戦しました。すると、技ありのナイスヒットで歓喜し、急いで家を出ることに。いつもの電車に乗ると、雨予報だったからか急に気分が悪くなってしまい、車内で困惑。急いでいつも持ち歩いている酔い止めのドロップを口の中に入れると、ゆっくり和らいでくれてほっとしました。こんな自分と長年付き合ってきたんだよな、そして、どんな時も諦めないで向き合ってくれる主治医とのこれまでを改めて思い出すことに。漢方内科がご専門なのだけど、元々は総合診療科の医師でした。目の前にいる患者さんの辛さはどこからきているのだろう、いつもあらゆる角度から一緒に考えてくれて、そのまなざしに何度も助けられて。そして、とても大切なことに気づきました。元々、頭痛が酷く来院。先生が出してくれた漢方が緩やかに効き、少しずつ和らぎながら痛みと上手に付き合っていました。病院が変わっても声をかけてくれて、先生に長年診てもらうことに。そんな中、コロナ禍に入り、元々重かった生理はさらに酷くなり、強い痛みの中で吐いてしまったことも。そしてあり得ない程の不正出血もあり、それでも休校などで負荷がかかっているからだと思い込もうとやり過ごしました。そういった最中、主治医の所へ行き、自分の不調を話したものの、先生に対してまでも余計な心配をかけたくないとよく分からない心理が働いてしまい、不正出血の話は避けました。多分、起きている症状の半分ぐらいの内容で伝えていたのだろうと。その後、緊急事態宣言が明け、ようやくまた触診ができるようになった時、腹部にゴリッとした塊を見つけた先生の顔が強張りました。「子宮筋腫かもしれない。うちの病院の婦人科で診てもらってもいいんだけど、そこまで規模が大きくないから、結局またそこから大きな病院に紹介状を書いてもらうことになると、もっと時間がかかってしまう。」そう言って、私が息子を産んだ病院の紹介状を書いてくれました。この判断が、ものすごく大きなことだったのだと。主治医は、最短ルートを選んでくれた、それが運命を分けてくれました。次の日、紹介状を握りしめ、総合病院に予約を入れると翌日ひと枠だけ空いているとのこと。そして、そこの婦人科で診てもらうと、卵巣が腫れ上がり、とんでもないことになっていました。それでも、年末ぎりぎりのところでセンター長の予約を取ってもらい、年明けにたまたま空いていたオペを入れてもらうことに。手術は無事に終わり、退院前の説明で執刀医が伝えてくれました。すでに破裂寸前だった、あと一か月手術が遅れていたら大変なことになっていた、よく痛みに耐えたなと。漢方内科の先生が、最短の道を案内してくれたからこの日が迎えられたんだなと思うと、堪らない気持ちになって。あまりにも大きな分かれ道でした。そして、自宅療養した後、ようやく主治医の元へ行くと、労いの言葉と共にもっと早く見つけてあげられていたらと謝られて、その気持ちに胸がいっぱいだったのだけど、もうひとつ時間が経って気づいたことがありました。主治医は、私が頭痛等で滅入っていた時に、現在と過去の家庭環境を聞いてくれたことがあり、どんな日々を送っていたのか頭の中で繋がったようでした。幼少の頃から母親に理不尽な怒られ方をしてきた、元々の体質もあるけど、長年張り詰めてしまったものを解すにはゆっくり時間が必要かもしれない、よく話してくれたねと。そう、先生は私の性格などもある程度把握してくれていた、でもコロナ禍の時に、相当な痛みに襲われていてもそれを全部話さなかったということまで見抜けなかった。同じ系列の病院だった為、手術の内容をカルテで見ることができ、それこそ先生は総合的に私とのやりとりを思い出し、胸を痛めてくれていたのではないかと思いました。だからこそ、「もっと早く気づいてあげられなくてごめんね。」という深く優しい言葉を伝えてくれたのかなと。あなたは、なんでもないふりをして自分を奮い立たせてここまで歩いてきた、それが生きる術だったから。医師として人として、もっと大きな視点で向き合えたら良かったね。行間からいろんなあたたかさを感じた、術後最初の優しい診察室でした。先生から受け取ったもの、計り知れないな。
さてさて、病院に着き、沢山の気持ちの中でいつもの穏やかな診察が待っていて、異変がないか定期的な血液検査も行うことに。先生にお礼を伝え、看護士さんの前に座り、血管が細いとよく言われる話をすると伝えてくれました。「右手に太いのが一本見つかりました!」と。そんなくだらない話で大盛り上がり。そして、慌ただしくプログラマーのMさんとカフェでミーティングをさせてもらい、急いで帰宅し、壊れた浴室の換気扇をようやく業者さんに直してもらいました。今回は若い男性二人で、お水を渡すと喜んでくれて、あっさり新品に変わりお別れ。そして、バタバタと息子が帰ってきました。夜は、バレーボールのネーションズリーグを観て熱狂。こんな日が送れるのも、全て主治医の最短ルートのおかげなのだと寝る前に思いました。これまでいろんな優しさに触れてきた、知っているから届けられるものがある、きっと枯渇はしない。
さあ、怒涛の夏休みが始まる。太い線、それは目に見えるものではないのだけど、沢山の繋がりをあたたかく感じて移りゆく季節を共に進んでいけたなら。今を生きよう、思いっきり。