息子のテスト勉強が常に発生しているここ最近、国語と英語と美術の試験が重なってしまい慌てました。最近は英語が少し分かってきたと言っていたので、安心しながら一緒にテキストを開いてみると、さっぱり分かっていない始末。授業用のノートも見てみると、意味不明なことが書かれていて、まだ授業についていくので精一杯なことが判明しました。短い文章に主語が二つあるわ、動詞が二つあるわで一体どう訳せばいいんだとツッコミどころが満載。それでも一生懸命単語を調べた跡はあったので、その努力を褒めることにして。そして国語は古文や故事成語、懐かしいなと思いながら説明し、美術もかい!と思いながら一緒に教科書や資料集を開きました。勉強は独学でやってきた、それでもなんとかなってきたのは本が好きだったからかな。教科書を読み込んで理解を深める、詰まる所それしかないでしょとそんな夜を沢山過ごしてきたことを思い出しました。自分が納得できるまでは寝ない!こんな究極のやり方を息子に伝える訳にはいかないので、試行錯誤しながらポイントを教えることに。バトルは続くし、大変なのだけど、中学校の教科書をもう一度読む機会を与えてくれている息子にも感謝だなと密かに思ってもいて。アルバイト前、着物を着た状態の中、休憩スペースで学習指導要領に関するレポートを書いていた学生時代の自分が過った。目の前に調理長が座り、ふかしたタバコの匂い。一言二言交わし、「Sちゃん、頑張れよ!」と片手を挙げて調理場に戻っていった後姿は大きな励みに。時を越えてありがとうと伝えたい。
年に一度、ご縁があって仲良くさせてもらっていた方達の演奏会の日がやってきました。去年、娘さんが自殺をし、それでも気丈に舞台に立ち演奏していた友人と久しぶりに再会したのは一年前のこと。息子の試験勉強があったものの、演奏会にだけは行かせてねとお願いし家を出ました。すると、すでに長蛇の列、その人気ぶりに嬉しくなって。そして、前の方の席に座り、両サイドがすぐに埋まってトイレに行くタイミングを逃し困惑していると、右隣のご年配の男性が話しかけてくれました。「今日ね、僕の婿がソロで演奏するんだ。」「それは楽しみですね!」とわいわい。その後、ささっと出ることができたので、再度戻ると自分の席を見失ってしまい、その男性がこっちだよ~と教えてくれました。照れながら戻ると、今度は左隣のご年配の女性が優しく挨拶をしてくれて。楽団の方達が何十年も培ってきた温かい歴史が、ここにあるのだと思いました。そして、演奏会が始まって。クラリネット奏者である彼女はいつもの位置で、いつもの温度でそこにいました。どんな気持ちでこの一年を過ごしてきたのだろう。哀しみを奥にしまい、受け入れ、日々を前向きに生きようとする姿を感じて。やっぱり強い人だな。繊細さも含めて、可憐さがきれいだ。いろんな曲の演奏を聴き、人は生きている間にどれだけのことを経験し、想いに触れ、生を全うするのだろう、そんなことを改めて思いました。祖父はシベリアに抑留されても諦めなかった。自分がどれだけの期間そこにいたかも分からない程壮絶だったと。その後、なんとか帰還し、日本の地へ。反動は大きく、祖父にしか分からない何かを抱え、我が家は混乱の中に。祖母は闘病の末他界、姉は大阪へ就職、父は銀行で苦しい立場に追いやられ私に当たり家を出て、さらに大混乱の三人暮らしが待っていました。自分まで家を出たら、この二人はどうなってしまうのだろう。じゃあ、私がこの二人の人生を背負えるのか?自問自答した長い日々。勇気を出して家を出たいと話すと、これまたとんでもない展開が待っていました。責められ、私はなんなんだろうなと。それでもなんとか二人を宥め、説得し、最低限の荷物を持って家を出ることに。離れても、本当にこれで良かったのだろうかと考え続け、母からの電話は連日あり、苦しさは残ったままでした。そんな数年後、両親がようやく会える状態になった頃、祖父から一本の電話が。「Sちゃん、あのな、この間車庫で野菜を作っていたらお父さんが来たんだよ。家に戻りたいって。その時は返事ができなかったんだけどどう思う?」そこには少し丸くなった祖父がいました。時の流れってすごいなと。「おじいちゃん、返事しないでいてくれてありがとう。お父さん、寂しくなってそんなことを言い出したんだと思う。でもね、お母さん、ようやくこの生活を頑張ろうって一人で立ち始めたの。またお父さんと同居したら精神的に参ってしまうかも。私がいたらなんとかなったかもしれないけど、3人暮らしはきっとうまくいかないから、断ってくれるかな。おじいちゃん、ごめんね。」「うんうん、分かった。それがいいな。」本当は家族みんなで最後は一緒に暮らしたい、それが祖父の夢であることを知っていました。それでも、自分の気持ちを引いた祖父の思いが伝わり、電話を切った後泣けてきて。おじいちゃんのその心は、いつか二人に話すよ。それからさらに数年後、姉にも私にも男の子が生まれ、それを待っていたかのように、祖父は一人静かに早朝の病院で息を引き取りました。棺桶には確か、杖のようなものが入れられて。あの世でも旅をするんだね、と最後のお別れ。そして、一か月後ぐらいの家族会議で彼らに話しました。「お父さんが家に戻りたいと何度かおじいちゃんに言いに来た時、私の方に電話で相談が来ていたの。今の関係が一番いいし同じことを繰り返さないでいてほしいから断った方がいいって。そうしたらね、おじいちゃん、自分の願望を胸に収めて、お父さんとお母さんの幸せを願ったよ。あんなに我が強かったおじいちゃんがみんなのことを思ったの。それって、純粋な愛だと思ったよ。お母さんに内緒で、お父さんが1人で食事に困っていないか見に行ってやってくれって何度も頼まれたりもしていたの。最初は、お父さんに怒っていたけど、途中から心配に変わったの。お母さんのことも傷つけないように、私と二人の夕飯時におじいちゃんに頼まれた。おじいちゃんね、感謝を言葉にする人ではなかったけど、養子に入ってくれたお父さんにも間に入ってくれたお母さんにもありがとうと思っていたよ。私にだけは本心を伝えてくれていた。」涙をぐっと堪えそこまで話すと、父はじっと耳を傾け、母は大泣きし、ネネちゃんは泣きながら私の心のそばにいてくれました。Sちんがいなかったらうちの家族はとっくの昔に崩壊していた、でもSちんがみんなの太陽でいてくれた、だからここまで来られたんだよ。おじいちゃんはSちんがいたから寂しくなかったね。そんなメールが後から届き、涙が溢れました。人はやっぱり旅人なのかもしれない。孤独だけど孤独じゃない。
演奏会が終わり、彼女に挨拶をして帰ろうと思ったものの、せっかく前を向いているのに会ったらまた泣かせてしまいそうで、お菓子の詰め合わせを受付の方にお願いし、そっとその場を離れました。その判断が正解だったのかはまだ分からないのだけど。席の左隣だったご年配の可愛らしい女性が最後にもう一度話しかけてくれました。とてもゆっくり穏やかな口調で。「お近くなの?」「はい。お近くなんですか?」「私ね、同じマンションの住人の方が演奏するから来てって誘われて主人と○○から来たの。また来年お会いしましょうね!」と素敵な笑顔が嬉しくて、隣に視線を走らせるとこれまた優しそうな旦那さんが深々と会釈をしてくれました。一期一会を大切にするあたたかいご夫婦にほっこり。そんな道を私も進みたいと思ったいいひとときでした。祖父は今、どの景色を見ているだろうか。