一対一の会話

姉とタリーズで会話をした時、こちらのなんでもない日常を話すと笑い転げてくれました。「Rが学校で、『鬼滅の刃』を最後まで知っている友達から内容を聞いてきちゃってね。最後はねって話し始めようとするものだから、お母さんまだ見ていないからやめて~って大変なんだよ。iPadで見終わった子がいたらしく、ボクもうどうなるか知ってるよ!って。なんだか今どきだなって笑っちゃってね。Rとテレビで観たいから結末は黙っていてねってなんとか知らずに済んでいるよ。」ネネちゃんが辛かった去年、この漫画に救われたって言っていたから私も辿ってみるよ。

まだ息子が小さかった時に、出会うことになったプログラマーのMさんも所属していたある楽団の方達。そこからスピンオフとしてバンドも組んでいて、ある時彼から東日本大震災の復興支援として、○○大学で演奏をするから、聴きに来ないかと連絡をもらいました。土曜日だったので息子を夫にお願いし、張り切って電車に乗ったものの、表参道駅の乗り換えで軽い迷子状態。それでも、表示を頼りに目的の駅まで到着すると、安心したのかすっかり方向感覚がおかしくなってしまい、スタバの店員さんに泣きつく始末。いつもの優しい温度で丁寧に教えてもらったおかげで、無事に辿り着くことができほっとしました。そして募金をし、客席へ。色んなバンドの演奏を聴いた後、Mさん達の出番がやってきたので、席のど真ん中で手を振ると、メンバーのみんなが気づき、驚かれて。ここまで来たの?!そんな笑顔で手を振り返してくれました。そして、気持ちのいい演奏を聴いた後、帰ろうとする私を呼びに来てくれて、みんなの打ち上げに参加をさせてもらうことに。いいのかなと思いつつも、応援に駆け付けた私を嬉しそうに迎えてくれて、すっかり楽しいひとときを過ごさせてもらいました。中にはお医者さんも看護士さんもいて、彼らが奏でるメロディに酔いしれ、まさか一緒に飲むことになるなんてね。その後、お開きになりまた電車で帰ろうとすると、メンバーの1人にそっち方面で練習するから送っていくよと言われ、大慌て。どうやら、メンバーの3人が他の楽団にも入っていてそちらで練習があるから、同乗していってということ。すっかり甘えさせてもらい、前に男性二人、後ろに女性二人のドライブが待っていました。運転手は、チューバ奏者の寡黙で優しい男性。助手席は、楽団では指揮者でバンドではクラリネットの男性。隣に座ってくれたのは、面倒見のいいクラリネットの女性でした。指揮者の彼はすっかり爆睡、その間に女性の方と色んな話をさせてもらうと、運転手の彼が優しく微笑みずっと頷いてくれていて、なんて温かい空間なのだろうと胸が熱くなって。「色々な職業や年齢の方が、ひとつの楽団で曲を奏でていて、最初は驚きました。」と私。「そうだね、色んな人がいるよ。だからこその難しさもあるし、でも共通して言えるのは演奏が好きで、一緒にいる仲間が好きだから続けられるんだと思う。団員で、あまりにも遠いから基本的には個人練習で、演奏会でぶっつけ本番っていう人もいるよ。一年に一度しか会えないから、久しぶり~って感じでね。たまにしか会えないとその時間を大切にしたくて、でもすぐ解散で、私なんて毎年演奏会が終わると当分放心状態だよ。」なんかいいな。この人達は、自分にとって何が大切か、知っている人達なのかもしれないな。「Sちゃんが、私達のことを応援してくれて嬉しいよ。それはきっとみんな同じ気持ち。」いい夜。高速道路のライトが綺麗で、中にいる方達の雰囲気が優しくて、このドライブを、この時間を忘れないでいたいと思いました。復興支援、様々な形があるのだと教えてもらった大きな一日。

息子の寝かしつけのある夜、ぽつりと伝えてきました。「ママは、図書館で働いていたよね。また戻ることはできないの?」と。思いがけない話をされて驚きました。「どうしてそんなことを聞くの?」と動揺を隠しながら聞き返すと、彼なりに言葉を選びながら話してくれて。「図書館で前に働いていたってママから聞いたことがあって、今のお仕事と二つできないかなと思ったの。」なんだろうな、この違和感。これは本当に息子の言葉なのだろうか。その真意を探りたくて、別の視点から聞き返してみました。「今ね、文章を書いているお仕事をしているの。毎日どんなことがあって、その時何を思い、心の中でどう感じているのか。今の仕事をお母さんはとっても大切にしたいと思っているよ。でも、Rは図書館に戻ってほしい?」「・・・ママが、やりたい方でいいよ。」そう言ってやや困惑しているようでした。曲がった見方かもしれない、それでも感じてしまったのは、夫が何か言ったのではないかということ。生きていたら色んなことがありますね。自分の中に残ってしまったわだかまり、何度も考え、このままではいけないと思い、もう一度息子と二人で話しました。すると自分の胸の内を話してくれて。「ママがこのお仕事を始めた時、ボクを寝かしつけてからパソコンに向かう日もあったり、スマホで昼間に確認をしている時もあったりして気になっていたの。図書館なら決まった時間に働くでしょ。」色々なことに敏感な息子はどこかで寂しい思いをしていたのね。「Rが気になってしまうぐらいパソコンを開いてしまってごめんね。でも、どうして二つの仕事ができないかって聞いたの?」「どちらかの仕事がうまくいかなくなった時、もう一つあれば安心でしょ。」危機管理能力が高いなとここはもう笑い話にした方がいいのかもしれないなと、少し笑ってしまいました。

卵巣がんの疑いが出て、気づいた時には末期のケースもあることを知った日。本当にもしものことがあったら、息子は私がいなくなった後、大切に読んでくれるのではないかと思うと、余計に泣きたくなり、同時にこのサイトがあの時の自分を支えてくれていました。まだ、何も知らされていなかった去年の秋、夫と息子と三人でみかん狩りに行くと、私はベンチに座り、二人がみかんを取りに行った後、男性の怒鳴り声が。交代でまたみかんを取りに行き、車に乗り込んで帰ろうとした時、「そういえば、誰かが怒られていたね。」と私が言うと、「実はそれRだったんだよ。ふざけてみかんを投げたらたまたま男の人に当たっちゃったんだ。謝ったよ。」と思いがけない話を聞き、車の中で本気で叱りました。「お母さんの前では、どれだけふざけたりわがままを言ってもいい。でも、他の人は絶対に傷つけたらだめ!絶対なの。農家の人達が大事に育てた食べ物を投げて人に当てるなんてとんでもないことなんだよ。食べ物も作ってくれた人達も大切なの。R、いい。これだけは約束して。お母さんのことは傷つけてもいい。でも他の人はどんなことがあっても傷つけないで。」そう言って声を震わせて伝えると、半泣きしながら頷き、疲れ切って寝てしまいました。自宅に着き、キッチンにいた私に駆け寄り、大粒の涙をポロポロ流し、「ママ、ごめんなさい。」と一生懸命に謝ってくれて、泣きそうになりました。「お母さんが伝えたこと、分かってくれてありがとう。今の気持ちを忘れないでいてね。」そう言ってハグをすると、声を上げて泣いてくれました。その数週間後に発覚した、卵巣腫瘍。息子との時間に本当にもしかしたら限りがあるかもしれない、そう思った時、みかんを投げ本気で反省し、私の胸の中で泣いてくれた時のことが蘇ってきました。産声を上げ、ここまで歩いてきた沢山の出来事が思い出され、毎日が尊く手術日まで不安との戦いでした。退院後、息子とハグをした時に戻ってこられた喜びを忘れることはありません。そんな日々を綴っていること、いつか彼が気づいてくれた時、初めて本当の理解が得られるのかも。お母さん、大した人間じゃないよ、でも一つだけ誇りに思っていることがある。それは、人の痛みに気づくということ、その痛みにぬくもりを届けたい、だからここにいるんだ。家族の理解が得られなくてもやり遂げたいことがある。未来の息子へ、届くといいなこの気持ち。