岐阜の小学校にいた頃、母が月命日で住職さんがいらっしゃるということで、祖父の様子を見ることも含めて、月に一度一人で名古屋に帰っていました。その時、学校から帰宅すると急に気分が悪くなってしまい、姉が大慌て。自力で起き上がれない妹を心配し、父が帰るとすぐに夜間診療に連れて行ってもらうことに。そこで受けた診断は肩こり。は?と思いながら父におんぶされ、自宅に帰ると状況が分かった姉に笑われてしまいました。「今から凝っていてどうすんのよ。」と安堵と共に言ってくれたのですが、最近になってようやくその時の不調の原因が分かりました。気圧の変動と冷え、それが重なったことにより急な頭痛が発生し、吐き気と共に動けなくなったこと、その頭痛の影響で肩こりと診断されてしまい、姉に笑われる結果が待っていたんだろうなと。4年生になり、息子も似たような症状がよく起きるので、彼が答えを教えてくれました。急に起き上がれなくなり、寝転んで辛さを訴え始める。それは薬を飲んで効くものではなく、メンタルまで引きずられるので、苦しそうにしている息子をなんとかベッドまで連れて行き、添い寝をしたらようやくほっとできたのか、安心して寝てくれました。知識と経験、総動員してあなたの痛みを和らげてみせる。
その翌日、少し落ち着いてくれたものの、気圧の変動が大きかったので、休みの日に自宅で掃除しながら息子とのんびり会話をしていました。するとぽつり。「ボク、ママのような人と結婚したい。」なんだかその言葉を聞いて泣きそうに。「それは嬉しいね。Rの辛さを理解し、どんな姿も見せられる人にきっと出会えるよ。」「うん。ママみたいにぬいぐるみ好きな人がいい。」ってそこかい!!と二人で大笑い。未来の彼女にそっとバトンを渡す日は来るだろうか。格好をつけなくていい相手、手を広げたらきっと思ったより沢山いてくれるよ。
そんな息子の大好きな工作で、不調を吹き飛ばそうと紙粘土で遊ぶことにしました。一緒にこねて、彼は新幹線、私は小さな花瓶を作るつもりが、気が付くとワールドカップのような形になり、大盛り上がり。「サッカーのことが気になって、気が付いたら花瓶じゃなくなっていた!夜はコスタリカ戦を観ようね!」とわいわいしながら約束。その前の試合、ドイツ戦は夜10時キックオフだったので、息子を寝かしつけ、選手達の君が代を聴くと、森保監督の目に溢れそうな涙が溜まっていて、感極まりそうになりました。ここのピッチに立つまでの重みを、監督の涙で感じさせてもらえたようで、堪らない時間でした。試合は、前半0対1で相手にリードされ後半へ。目が回る程の頭痛に襲われ、11時に仕方なく就寝。翌朝、何気なくテレビを点けると、ドイツに歴史的勝利をしたことが分かり、息子と喜びを分かち合いました。「ドイツって優勝したことがあるんでしょ。そこに勝つってすごいよね!」「なんでそんなこと知っているの?」「テレビで言っていた!」情報通だな!と盛り上がった朝の時間。その後、息子を学区内まで送り届けた後、またテレビを点けると、『ドーハの歓喜』と書いてあり、ドーハの悲劇を思い出しました。まだ、中学生の頃、Jリーグがものすごい盛り上がりを見せ、私も名古屋グランパスエイトを応援していました。そんな中、ワールドカップ本選出場をかけたイラク戦を、固唾を飲んで見守ることに。2対1でリードしてそのまま終了かと思っていたロスタイム、ゴールを決められ、まさかの同点で日本のワールドカップ出場は無くなってしまいました。その展開に言葉を失い呆然としていると、選手達は泣き崩れ、ゴン中山さんはグラウンドに寝て天を仰ぎ、その姿が目に焼き付きました。選手達の無念さは計り知れないだろうと。そして翌日、中学校へ行くと、サッカー部顧問で社会科の先生が授業の始まりと共に、大きなため息をつきながらプリントを配るので、みんなで少し笑ってしまって、同じ気持ちだと救われたような思いになりました。「はぁ。あとちょっとだったんだよ~。」と本音を思いっきり吐き出してくれる先生の授業が大好きでした。社会の教科書を使う時間は後半だけ。最初の25分はいつもその時起こったニュースの話で、生きた社会の授業を展開してくれていました。前半が45分、最後の5分だけ教科書を使うなんて日も。誰もそのことに文句を言わず、その時何があったのか、どう感じたのか、先生の思いや仲間の気持ちを知れたこと、それは自分の中で大きく蓄積されていきました。授業で使うプリントを職員室に忘れてくると、サッカー部の男子達が「先生もたまには走って取ってきてよ!僕達いつも走っているんだから。」と笑いながら反撃するので、一緒に笑ってしまって。そんな先生はサッカーを心から愛し、予選敗退がどれだけ衝撃的なものだったのか、痛い程感じさせてもらった中学の教室でした。
それから何十年もの時を経て、『ドーハの歓喜』の瞬間が。調べると、ドーハの悲劇の時、森保監督もその試合に出ていたことが分かりました。君が代の時の溢れそうな涙の意味が分かったような気がして。ピッチに立っていたイラク戦の自分を、心の底から悔しい思いをした自分を、目の前にいる選手達を見て思い出したのではないか、そんな気がしました。そして、コスタリカ戦、息子と応援した中で惜しい敗戦。それでも、試合後にすぐ円陣を組み、選手達に鼓舞する森保監督は常に前を向いていて。一滴の涙、それは喜びの涙であってほしいと願い、スペイン戦も応援しようと思います。社会科の先生もきっとテレビにかじりついて観ているはず。ドーハの悲劇が歓喜に変わった瞬間、先生は何を思っただろう。日本の歴史が変わるその時を見逃すな、恩師の声が今日も聞こえてくる。