痩せる前に気づいたこと

誰も信じてくれないのですが、二十歳の頃は今よりも十キロ位太っていました。もっとかな。
その当時は、実家が最悪な時期で、一人で沢山のことを引き受けていたので、食べることでなんとか自分を保とうとしていたのだと思います。

張り詰めた自宅で、朝ご飯を食べ、通学の電車に乗り、講義が二限目からの時は名古屋駅のパン屋さんでイートイン。一人になって、ほっとできた解放感といら立ちを抑えるための甘いパンが、何かを埋めてくれるような気がしていて。
その後、大学でおにぎりとパン、やっぱり炭水化物。講義を終え、日本料理店でアルバイトをし、先輩に飲みに誘われ、終電で帰り、寝る前になかなか寝付けないことが分かっていて、そこでもストックしておいた菓子パンを食べていたような気がします。

父が家を出た時、もうこの冷戦状態から解放されるのだと思ったら、安堵もして、祖父や母からの攻撃も一時的なものだと耐え、そこから痩せようと決めました。
私の過食は、ただのストレス。それを自覚していたので、他で気を紛らわせればいいのだと思ったら、前向きにもなれて。

まず何をしたか。間食は止めるということ。三食は和食を意識して、おやつも夜食も禁止。お腹がすいたら、どうしていたのだろう。多分、小魚やパンの耳など、固いものを噛んで、満腹中枢を働かせていたんだろうな。なんとなく気まぐれでスポーツジムに行って、緩やかに活動をしていたら、小さな自信にもなっていて。

日本料理店では、着物を着ていたので、少しずつ太っていっても自分でウエストの調節ができてしまい、自覚症状があるようで無かった。あの頃は、太ってしまうことよりも、自分が崩れないでいることの方が重要だったこと、今でもはっきり覚えています。
そんな時、個室の接待で、ある会社の社長さんに目を見つめられ、言われました。「あなたは苦労をしてきた子だね。そして、それを乗り越えたんじゃないかな。芯の通った中に優しさを感じる、綺麗な目をしているよ。」と。
父が出て、ようやく自分を取り戻しつつある時期だったので、本当に驚きました。体は、まだまだ元に戻っておらず、ややふっくらしていたと思います。
そんな自分の姿が、コンプレックスだと感じた時もありました。好きで太ったんじゃない。こんな家庭環境の中にいたから、こうなったのだと卑屈になったことも。

ようやく冷静に自分を見始めていた頃に、出会った社長さんの言葉。外見じゃなくて中身だ。心までぜい肉がついてしまったのかなと思っていた時だったからこそ、内面を見てくれたお気持ちに救われ、帰りにテレビ塔を見ながら、一人で泣きました。
見てくれている人はちゃんといる。

そこの会社の社員さんは幸せな方達だなと。表面だけを見ない。一体どれだけの目を社長さんは見てきたのだろう。少しぐらい太っている姿も、少しは認めてあげよう。
ようやく自分のことが好きになれた夜。その人の生きざまを見るということ。

内面の美しさとは何かを教えてもらった、忘れられない一日。