終業式が終わり、息子が疲れたと言って学校から帰ってきました。その後、友達と遊ぶと言ってきたので通知表を置いていってねと伝え、一緒に昼ご飯を食べてから見送ることに。そして、ダイニングテーブルに置かれていた通知表の表紙を見て、椅子に座り、ひとつ息を吐いた時間。結果が全てではない、社会科のテスト勉強は一緒に頑張ることができた、その過程を褒められる母親でいられるだろうか、自分に問いかけゆっくり開くことに。すると、こちらの想像をはるかに下回る成績で何とも言えない気持ちになりました。やっぱり社会科以外のテストもあったのは一目瞭然、理科についてはあるかもしれないとぼやかされたので、ほんの少しだけ教科書を開いたものの、どの教科もなかったと言われ続け、あまり聞いても鬱陶しいだけだと思い見守っていました。一枚も見せなかった答案用紙が息子のクリアファイルに入っているんだな、彼の性格をある程度は理解しているつもりだった、でもそれはきっと地下一階ぐらいのものだ。一学期間、社会科以外のテストはないと嘘をつき続けてきた、その事実もショックだったけど、私自身そのことに薄々気づいていて、嘘を重ねた彼の心もどこかで痛かったのではないか、そう思いました。この結果は連帯責任、さあどうやってお互いの気持ちを立て直す?と頭の中でぐるぐる。面と向かっても息子が黙り込むのは分かっていたので、敢えてメッセージで聞いてみました。自分の成績を見てどう思った?と。すると時間が経って返信が。『あんまりよくなかった』その文面を読み、思わずふっと力が抜け微笑みたくなって。こちらはいろんな意味で大ダメージを受けているのだけど、彼の言葉は息子そのものだったから。正直で、事の重大さをそれ程よく分かっていなくて、そして相変わらず世界が丸くて。この素直な一面をどう伸ばせば、自信を持って羽ばたいてくれるのかな、いろんな想いがこみ上げた一学期の終わりでした。忘れられない夏になりそうだ。
それから、息子が帰宅し、ゆっくり向き合いました。テスト範囲を言えなかったのは、一緒に勉強して怒られるのが嫌だったからだと。だったら自分一人ですれば良かったのにと思ってしまいそうなのだけど、勉強の仕方さえよく分からなかったのだろうな。こちらはそんなに強い口調で教えているつもりはない、それでも超繊細な息子は、何気ないひと言にどこかで傷ついている時がある。そこまで深く理解が出来たら良かったね。いろんな感情が渦巻く中で、できるだけ怒りを爆発させないように伝え、寝かせた後、うちの両親は子供の成績で悩んだこと、一度もなかったなと改めて思いました。私は誰の為に勉強していた?中学一年生の自分に問いかけてみました。紛れもなく自身の為に。自分の能力は大したことないと俯瞰してみた時によく分かっていて、子供の良さを見つけようとする両親でもなく、どちらかというと母にはけなされて育ってきたので、できないなりに勉強を重ねようと思いました。誰に認められたい訳でもない、ただ一枚でも重ねた分だけささやかな自信になってくれたらと。薄っぺらい紙でも、何枚も綴じたら本になるように。学んだ時間は自分を裏切らない、そう思いました。それでも、三年生の春の陸上大会で散々な結果だった私は、秋の大会に向けてそちらに力を入れ、故障し、ジャージを着て本番の応援に行きました。悲しかったんじゃなくて悔しかった、その気持ちはこの先も絶対に持っていようと。そして、二学期の通知表を開き、国語の担当で担任でもあるベテランの女の先生が、国語と社会科はぎりぎり落ちたと伝えてくれました。その時、先生はその数字を指で消してくれて。あなたの頑張りはそばで見ていた、目を潤ませながら大会を見守っていたことも。国語と社会科は得意な教科だった、それが受験の一番大事な時に落ちたショックは計り知れないと思う、でもここまでの経過を私達は見てきたよ、あなたの走りを見てきた、陸上でも勉強でもね。だからどうか自信を無くさないで。行間から先生のいろんな優しさを感じ、胸が詰まりました。通知表に数字を入れるその時から、届ける言葉を考えてくれていたんだろうなと。先生、今も重ねているよ、そして足を止めない。
息子がまた扇風機を壊してしまった未遂があり、それはなんとか直ったものの、通知表の件といい電化製品を壊す日常といい、全然落ち着かないわ!と思いながらも、夏休みの社会の宿題を手伝うことにしました。それはどこかの国や地域を紹介するというもの。息子は迷わずオーストラリアを選び、一緒に資料を探す中でゴールドコーストの景色が目に留まり、泣きそうに。最初に行ったのは、ブリスベンに短期留学をした帰りでした。1週間、ひとりで綺麗な砂浜を行ったり来たり、いろんな所に行ってのんびり過ごしました。そして、次は母と歩きました。その後は、元夫と新婚旅行で歩いて。そこには自分が歩んだ足跡が確実にあり、何もかもがかけがえのない時間でした。ハネムーンの時、元夫の体調が崩れた時があり、介抱をしていると寝室で伝えてくれました。「せっかくの新婚旅行なのにごめんね。」と。「その気持ちだけで十分だよ。長距離フライトだったし、食生活も変わるから思っている以上に疲れていたりもするんだ。ゆっくり休んでね。私は、またこの場所に戻ってこられただけで嬉しいよ。」そう言って微笑むと、申し訳なさそうに安心して眠ってくれました。その寝顔を見て、この人とおじいちゃんとおばあちゃんになっても添い遂げるのだと。それから子供を授かり、後にお別れが待っていて。その息子が、ゴールドコーストの写真を見て羨ましそうにしていたので、伝えました。「Rが勉強をコツコツ頑張って、行けるいろんな条件が揃ったらいつか行こう!」そう話すと大喜び。4回目の砂浜は、息子と共に。実現できたらいいな、その時は何を感じるのだろう。生きることって切ないなと時々思う。心がきゅっとなることが沢山あって、溢れる涙がこんなにもあって、でもだから、何もかもが愛おしくて。胸の奥に花束を、束じゃなくていい、その一輪を枯らすものか、絶対に。ひとりで泣いた涙、その一滴を大事にしようよ。