心地の良い人

ホルモン治療を始めてから、シェアオフィスに行く回数がすっかり減ってしまい、それでも、挨拶をするようになっていた黒人の綺麗な女性の方が、私に気づき、ガラス越しから手を振ってくれました。きれいな人、お会いする度にドキドキしてしまい、洗練された女性ってこういう人のことを言うのかなと毎回嬉しい気持ちになります。この間は、トイレで会い、私の語学力のレベルをなんとなく分かってくれている彼女は、中学英語の会話をしてくれました。頭痛があるから帰るのと伝えると、別れ際言ってくれて。「Take care!ね。」その言葉とトーンがあまりにも優しく、懐かしい記憶を運んできました。ネネちゃんも、カナダ人の元カレに、「It’s up to you!よ。(あなたに任せるわよ!)」と英語の最後に日本語を入れるので、彼はそんな姉の言い方を気に入っていました。「Pumpkin、かわいい!」と私に言ってくるので、姉に、「お姉ちゃんいつからパンプキンになったの?」と質問することに。「相手を甘いものに例えるのは、愛情表現の1つなんだよ。」「へえ~。My chocolate cookie!」「あんたに言われると、なんか腹立つ。」そのやりとりを近くで聞いていた彼も、少し日本語が分かるので、一緒に笑ってくれました。言葉の表現で思い出されたカナダの空気、移民の国に行き、みんなそれぞれ違っていて、それが自然で心地良くて。その時感じたもの、忘れないでいよう。言葉や文化の壁を越えて、ウェルカムな気持ちが嬉しかった。

小学校低学年の頃、とてもやんちゃで先生を困らせる一人の男の子がいました。それでも、どこかで女子に好かれ、みんなのリーダー的存在だった彼。私が岐阜に転校することになり、2年半が経ち、また同じ学校に戻ってくると、その子の存在感はそのままで、たまに話すように。男の子達からは怖がられ、それでも面白く、いつも輪ができるような明るさも持ち合わせていました。その後、卒業式を迎え、その小学校はそのまま中学校にみんなが上がり、入学式がやってくると、異変に気づくことに。彼がいない。名簿を見ても載っておらず、友達に聞いても誰も知りませんでした。どうやら彼はそのタイミングで他の中学校へ行ったそう。理由を誰にも話していなかったということは、ご家庭で何かあったのだろうと思うと胸が痛くなって。振り返ると、卒業式が近くなると切なそうだったな、岐阜の小学校どうだったって色々聞いてくれたな、寂しさを人に見せずに最後まで隠し通して知らない土地で頑張っているんだなと思うと、急に悲しくなりました。それから数年後、ソフトボール部でキャッチャーをしている友達が、彼と連絡が取れて、前に住んでいたマンションに遊びに来いよと誘われたから、一緒に行こうと声をかけてくれて。その展開に頭がまだ追い付いていなかったものの、遊びに行くと、人としてすっかり丸くなった彼がいて、なんだか泣きそうになりました。あんなにいつも強気だったのに、誰も知らない学校で頑張っていたんだなと。ご両親の離婚前は、そのいら立ちを学校の男子に向けていたのではないか、でも今は、どこかで母親を守る一人の少年になっていて、短期間でものすごく大人になったんだなと、いろんな気持ちが流れ込んできました。そのマンションは、お父さんだけ残ったのだろう、彼の中でようやく気持ちの整理がつき、旧友に会いたいと思ってくれたのではないか。「S、元気だったか?」「うん。○○君も元気そうで良かった。」彼の心境が読み取れてしまうだけに、あまり多くを語れませんでした。俺、お前が転校した時の気持ちようやく分かったよ、大変だったな。やんちゃだった彼は、守れる人になっていた。それはきっと、それだけのことがあったから。「会えて嬉しかった。元気でね。また会えたらいいね!」「おう!Sもな。」そう言って笑顔で別れてそれっきり。彼の今が、あたたかく優しいものでありますように。再会できたことにありがとう。

色々思い返してみると、中学の時、いろんな家庭環境の子がいました。髪の毛の色も、服装も態度も、はみ出していても、学年全体の仲が良く、みんながその輪の中に入っていたのではないかと思っていて。陸上部で一緒だった友達と器具を片付ける為、体育倉庫に入ろうとすると、陸上部顧問の体育の先生も手伝ってくれて、三人で中に入りました。すると、茶髪でダボダボの制服を着ている同じ学年の男子に対し、学年主任の先生が胸ぐらをつかんでいて、しまった!とそこにいたみんなが思いました。でも、先生の彼に対する愛情が感じられ、なんだか安心感もあって、何事もなかったかのように三人は器具を置いて退散。先生は、もちろん殴る気なんて全くなくて、行動で本当に心配しているのだと伝えたかったのではないかと感じました。彼のご家庭は父子家庭、耳に入った噂だから本当の所は分からない、ただ歪んでしまいそうな生徒を先生達は必死でそっちにはいくなと抱きしめようとしているようで、なんだか嬉しかった。選択音楽の授業で一緒になった彼。音楽準備室にあったベースギターを私が弾く真似をしたら、弾けると勘違いされ、散々茶化された後、一緒に盛り上がりました。その時の笑顔は、純粋そのもので、この人は大丈夫って何か不思議な安心感をもらえた優しい時間でした。
三年間彼は、学年主任の先生が担任。「僕が責任を持ってみます。」きっとクラス替えの度に先生はそう言ったんだろうなと。卒業式、いつもよりシャキッとした顔で彼は出席。先生が、彼に卒業証書を渡す時、手が震えているように見えて。三年間頑張ったな、その気持ちが紙を通し、彼にも伝わったようで軽く頷いているようにも見えて、堪らないひとときでした。なんでも分かろうとしてくれた、特別な担任の先生だったんだろうなと。義務教育の終わり、大好きな仲間達との別れは、あまりにも寂しく、あたたかくて。心地の良い人達だったから、なおさら。環境が全てではなく、出会った人の深さや優しさに助けられることもあるのではないか。そう思わせてくれたあまりにも大きな三年間、ずっとずっと大切にする。