途切れないもの

二か月に一度通っている漢方内科の主治医の元へ、今回も行ってきました。待合室からドアを開けるとぱっと明るくなり、先生が醸し出す光がどんな時も明るいことに感服してしまいました。ご挨拶をし、前回処方された漢方に副作用が出ていないこと、そして最近の様子を話し、なんとなく雑談へ。「私自身、色々言われてしまいやすい方なんですけど、それって先生もそうですよね。」と断定的に伝えると、「シュンとしちゃう。」と即答されたので、一緒に笑ってしまって。これが主治医と築いてきた絆。先生があまり人には見せない素直な一面を見せてくれて、なんだかほっこりしました。抱えてきた痛み、理不尽さ、言いやすいから言われてしまう数々の傷を隠し、患者さん一人一人と向き合う先生の心を知っていました。その姿を見る度、私も頑張ろうと思わせてくれて。「先生、週7日で働いていると聞いているので、お体大事にしてくださいね。」「ありがとう。もっと昔は48時間連続勤務なんてこともあったけど、もうそういったことはしていないから。あなたも、もっと落ち着ける時がきたらいいね。」優しいエール交換、お互いが相手を思いやる時、気持ちが温かくコーティングされるような感覚になるのかな。だからまた歩き出せる。

日曜日、雨が降ってしまい、頭痛いねと息子と言いながらのんびり過ごしていたリビング。ピンポンと音が鳴ったので、玄関に出ると荷物が届きました。誰だろうと見ると、大学図書館で働いていた時の女性の上司からのもので泣きそうに。息子と開けると、老舗の高級海苔と和菓子とお手紙が入っていて胸がいっぱいでした。今年の年賀状は大変な時期で誰にも送らず、送ってくれた方にはメッセージで新年のご挨拶と近況を伝えていました。その中には上司からのものもあり、卵巣が破裂寸前で摘出したことを送りました。すると、ITにあまり強くない彼女からの返信はなく、それが11か月も経って届けてくれた気持ちに色々な思いが一気に押し寄せた午後。『昨年はご病気で辛かったですね。その後、体調は如何かしら、大丈夫?私も41歳の時、子宮内膜症で卵巣と子宮の摘出手術を受けました。その時後遺症をとても心配していましたが、幸いに更年期などの症状もありませんでした。Sさんものんびり無理せず、楽しく暮らしてほしいと願っております。海苔と和菓子でやすらぎのひとときを。どうぞお身体大切になさってください。ではまたね!!』その文面を読み、温かさが驚く程届き、そして勤務中に交わした沢山の会話を運んで来てくれました。二人きりになった時、さりげなく伝えてくれて。「私ね、家庭の宗教上の理由で結婚していないの。それがいいと思って自分でその道を選んだ。だからね、あなたに会って、自分がもし結婚していたらあなたのような娘がいたのかなって思って、なんだか本当にかわいいの。」人にはその人の事情がある、表面では分からないもの、苦悩、葛藤、もっと沢山のもの。上司には後悔が全くなく、それでも私にだから話せた気持ちをとても自然に伝えてくれて、感無量でした。気圧が低下し、土砂降りだった日、重たい体を引きずって大学図書館へ行くと、こちらの顔色が悪いことに気づき、応接セットで寝かせてくれました。私はそうじゃないけど、気圧の変動で頭痛の酷い友達がいるから、大変さが分かるからいいのよと。またある時は、アメリカから美味しいグレープフルーツを取り寄せたの~と言って、図書館のみんなに配ってくれました。そして、2011年3月、図書館の総務もやっていたので、10日締めの仕事をやって経理に出してから11日から有給をもらいたいと上司に伝えました。すると、いつもよくやってくれているからその時は9日で締めてくれていい、以前経理で働いていたから私から伝えておくわと。その気持ちが本当に有難く、10日に母と成田空港で待ち合わせをし、オーストラリアへ。上司のその言葉がなければ、11日に成田空港で地震に遭い、飛ぶことはできませんでした。その旅行は、祖父の介護で疲れている母を励ます意味もあり、上司のひと言が運んでくれたあまりにも大きな旅でした。

3月11日の東日本大震災、翌12日の姉との国際電話でようやく状況が分かり、愕然。大学図書館に何度電話をかけても繋がらず、何も情報が得られず、泣きそうになりました。名古屋にいる姉に電話を入れ、職場に電話をしてもらうようにお願いすると、女性の先輩が取って私がオーストラリアにいることに安心し、笑ってくれたそう。その言葉を聞き、みんなが無事であることが分かり、安堵して泣けてきました。その後、予定よりも一日遅れでようやく関空行きに乗れて、名古屋に一泊していきなさい!と姉がうるさいので、そこで心を少し落ち着かせ、朝一で新幹線に飛び乗りました。あまりにも辛い時間で。どれだけ図書館のみんなにお世話になっただろう、それなのにこんな一大事で自分がいないなんて。いろんな気持ちが駆け巡り、運休の電車が多い中で遠回りしてようやく自宅のアパートに着きました。翌日、まともに寝られない中で図書館に行くと、驚く程本が倒れ、みんなに謝ると女性の上司が笑って伝えてくれました。「○○さんが製本雑誌を確認している時間帯だったから、オーストラリアに行ってくれていて良かった!あなたがいたら怪我をしていたかもしれないよ。職員も利用者の方もみんな無事。ただ、本はこんな状態だけど。予算がある時に高い書架を買っておいたから、書架まで倒れなくて本当に良かった!」そう言って笑ってくれました。彼女の優しさがあまりにも大きく、そして深くあたたかくて。その時感じた沢山の想いを忘れることはありません。

そんな感慨にふけっていると、高級海苔が食べたいと言い出し、バリバリ食べ始めた息子。ママも食べる?と口の中に押し込んでくれたので、食べながらあまりの美味しさに一緒に笑ってしまって。図書館のお母さんでいてくれた上司、退職してもう10年以上経つのに、途切れないのはあなたが愛情深い人だから。その深さが底なしだから、こちらは溢れそうになる。夏休み期間中にたまたまその上司と私の二人だった時、ITトラブルが発生。二人で慌てふためき、色々な所へ電話をかけ、どうにもならないのでIT担当部署に泣きつき、あっさりトラブルは去って行き、二人で大爆笑。彼女が定年退職する時、私と過ごしたそんな図書館での時間がとても楽しかったと涙を溜めて伝えてくれました。きっと今でもそんな時間を思い出し、ふと笑ってくれているのではないかと、その時間を幸せと呼ぶのだと知っている人なのだと思いました。淡いピンクが似合う人、彼女との繋がりもまた春を連想させてくれるのかもしれない。人が人を想う、なんてやわらかいひとときなのだろう。