週末、いつものように息子を寝かしつけ、自分も眠りの中に落ちると、朝になり慌てて飛び起き、時計を見ると7時半。どうしよう!とバタバタ息子を起こしに行くと、寝ぼけながらもかなり冷静に伝えてくれました。「ママ、今日は土曜日だよ~。」「ええっ?!ああ!ごめんね。勝手に勘違いして起こしてしまった。どうりで目覚ましが鳴らないはずだ。」とこちらも落ち着きを取り戻し、まだ寝ていたいんだよ~とぶつくさ言われたので、その場を後にしました。それからも朝の準備をしていると、くまのぬいぐるみを抱えてひと言。「今日、週末なのに、ママに7時半に起こされちゃったんだよね~。」「ね~。」とくまと会話をしているので、吹き出してしまいました。そのくまは、タリーズと小田急がコラボした限定品で、クリスマスにプレゼントをすると本気で喜んでくれました。そのタリーちゃんと一緒に寝ていたので、一人と一匹からブーイングが待っていた訳で。「タリーちゃんね、今日は午後から小田急線のお仕事なんだよ~。もっと寝ていたかったって。」はいはい、それは悪かったな!
そんないつものような日常を送っていると、一通のメッセージが入っていました。それは、名古屋の小料理屋のママからのもので、なんだか胸がいっぱいに。よく読んでみると、腰の手術をしてまだ当分は入院、そこでテレビを見ていたら、1人の女優さんに私が似ていると伝えたくなったらしく、とても嬉しそうに連絡をくれたことが分かりました。その手術日は、離婚が成立した日と同じでした。別の場所で、違う戦いをしていたのだと思うと、感極まりそうに。ママにだから感じられるセンサーがあるのか、連絡をくれたタイミングに不思議なものを感じました。出会ったのは二十歳の時、私が一番苦しい時期でした。姉が大阪に行ったのは、高校3年の時。地元に大学を決め通い出した1年の時には、父のリストラの危機がやってきました。家の中に荒んだ空気が漂い始め、両親と祖父の三人の溝は深まり、通学も難しいかもしれないと思い始めた頃、できるだけ時給のいいバイトをしてやれるだけやってみようとドアを叩いたのが、日本料理店でした。着物を着て、まだ仕事にも慣れていない頃、昼間は別の仕事をして夜に少しだけお店に入る、素敵な女性がいると先輩が教えてくれました。初めてご挨拶をした時、隠せないオーラがあって、温かさがあって、優しい笑顔を向けてくれて、なんて深みのある方なんだろうと感激してしまって。その後、色々と気にかけてくれたママと、たまに出かけるように。かさついていた私の心に、そっと水をかけてくれた人でした。その出会いがなければ、だめな自分がもっと顔を出し、今の自分はいなかったかもしれません。彼女は、いつだって自分のことで精一杯だったはず。それでも、そんな姿を出そうとせず、黒さを感じたことはありませんでした。そこに人がいてくれることに感謝し、その人達に恩返しをといつも願い、笑っていたらきっとうまくいく、だから諦めないと、そんな背中を見せてくれた人でした。その努力の結晶がママのお店であり、淡い花の着物が彼女の心そのものだと思っていて、そんな育ての母親のような人が腰の手術をしたと伝えてくれたので、色々な気持ちが駆け巡りました。今年いっぱいで閉じる予定のお店、沢山のお客様に囲まれて、有終の美を飾ってほしいと思っていても、途中で断念することにならなければいいなと。そういった弱気なことをこちらが思っていたら、いつもの笑顔で伝えてくれるだろう。「何言ってるのよ!心配している暇があったら、リハビリに専念するわ。このお店を長年愛してくれたお客様がいる。だから、何があっても元気な姿でお店を終わらせたいの。それが、来てくれるお客様のこれからを応援することにも繋がると思うから。」私の心の母はこういう人。聞かなくても分かる。こうやって道を切り拓き、通ってきた道にはいつも優しい花があった。美しい人、どうか最後に大きな花を咲かせてください。
高校3年、志望校をいくつか絞ると、その当時の姉の男友達(今の義兄)が、自分の大学のパンフレットを私の元へ送ってくれました。お礼の電話を入れると、なかなかいい大学だよと伝えてくれて。パンフレットに載っている学生さん達の表情が生き生きとしていて、行ってみたいなと思いました。その後、正門で義兄と待ち合わせ、キャンパス内でキャッチボールが待っていて。私が野球好きな情報は姉を通して入っていたものの、サウスポーであることまでは知らなかったよう。笑いながら、右利き用のグローブをはめ、気持ちのいい秋晴れの中で爽やかなキャッチボールが始まりました。「私、この大学にします!ここにまた来たいです。」そう伝えると笑ってくれて。その後、入学が決まったお礼の報告をすると、一緒に喜び、自分が使っていた山のような教材を送ってくれました。その中には、大量の出席カードも入っていて大爆笑。これがあったら結構サボれるからというおまけ付き。義兄は法学部出身、文学部の次に希望していた学部でもあり、目の前にある法律関係の本になんだか嬉しくなって。とてもじゃないけど、忙しすぎて読むことができなかった教材。それが長い時を経て、弁護士の先生に出会い、思いがけずご自身の学生時代の話をしてくれて、待合室で堪らない気持ちになりました。「私ね、大学時代に両親が離婚しているの。途中で名字が変わったんだけど、みんなには知られなくて、卒業アルバムを見てびっくりだったかもね~。」と笑って話してくれました。その行間が読み取れてしまう。先生、その時めちゃくちゃ苦労していますよね、私には分かるんです。だから、先生にしか届けられない言葉がある、気持ちがあることを知っています。心の中で届けると、法学部出身の義兄が送ってくれた教材と、その後のぎゅっと詰まった4年間と先生が最後の最後まで、私の想いを守り抜いてくれたその気持ちで、泣きそうになりました。法律ってなんだ?と考え続けたこの1年、人の気持ちが染み入るから、そこに救いがあるのかな。先生と話している時、法学部の男友達が誘ってくれて法学部の授業を潜った時のことが蘇ってきて。六法全書を枕に寝ている学生さんもいて、笑いを堪えるのに一苦労。こっそり抜け出し、廊下で一緒に笑った時間。そんな全ての時を今でも大切にしていると感じてくれた彼女、待合室でタイムスリップしたかのような学生に戻れたような、ガールズトークはいつも不思議な感覚でした。法律の教材、義理の兄と二人で飲んだママのお店のカウンター、出会った格好いい女性弁護士、その先生がまた学生時代を思い出させてくれて、この循環ならいつまでも思い出していたいと思いました。沢山助けられてきたんだな。だから、今日もその気持ちを伝えるためにここにいる。