今さら感が嬉しい

息子との慌ただしい夕飯時、何を思い出したのか、急に質問を繰り広げてくれました。「ママは、全部左手を使うの?」と。「ううん、はしと鉛筆だけは右だよ。幼稚園の先生に直されたの。まだそんな時代だったんだよ。今はそんなことないけどね。だから、サッカーボールも左で蹴るよ。」ええ~!と7年もあなたのお母さんをやってきて、そんなに驚かれてしまうの?!と笑ってしまいました。「じゃあ、スプーンもフォークも右手?」「そうだよ。カチカチのアイスをスプーンで食べる時は力がいるから左手を使うよ。」「なんか、すごいね。」と妙に感心されてしまい、少数派の苦悩を伝えることで、そういった方達に優しさを向けられるようになってくれたらいいなと思いました。「お母さんね、左手で、はしや鉛筆を持ちたかったから、幼稚園行くのが嫌だったの。」「大変だったね。」と本気で慰めてくれて、笑えるし、もう人の悩みをすっと感じられる年齢になったんだなと嬉しくなりました。

アレルギーを持っている友達と、そうじゃない友達と3人で遊ぶ時、お菓子は持って行かないと自分から伝えてくれました。「だって、○○くんだけ食べられないのは悲しいから。お茶だけ持っていくよ。」偉いぞ。そして、後日そのお母さんから息子を通してお手紙を頂きました。『急なお誘いだったのにも関わらず、一緒に遊んでくれてありがとうございました。息子がとっても喜んでいました。』そして、電話番号が書かれてあったので、お礼のショートメールを送信。温かさの交流。挨拶しかしたことのなかったお母さんと繋がったよ。あなたが広げてくれた縁、大切にする。

両親宅に遊びに行く度に、最近よく言われるようになった貴重品の在り処。ここにジュエリーボックスがあるから、もし何かあればこれを持って逃げなさい!何かってなんだ?!「もうね、何が起きてもおかしくない時代だから、娘のあなたには全てのことを知っておいてもらいたいの。ゆっくり時間がある時に改めて話すから。」と言われてしまい、なんだか大ごとだなと気合いがいる為か、まだ行けていない状態。大判小判でも出てきたらどうしましょう。息子に絵本を描いてもらうしかないな。名古屋に両親が帰省した際、郵便ポストが溜まってしまうから一度自宅を見に来てほしいと頼まれ、鍵を預かり部屋に入ってきました。シンクには食器も無く、乾燥機には洗濯物も無く、部屋がすっきり片付けられていて、本気で驚き、父の存在の大きさを痛感。娘が来るならやってもらえばいいという甘えはどこへやら。息子のお菓子まで買ってあり、母の心のホールを見せてもらえたようで嬉しくなった帰り道。人は変われるんだな、愛の力って本気で凄いなと色々な気持ちがこみ上げました。以前、カウンセリングを受けた時、恐る恐る聞いた内容が蘇ってきて。「これまで言われた母からの暴言って、本人は覚えているものなんでしょうか?」「半分は覚えていることもあると思います。半分は無意識かもしれませんね。」と。さあ、どうやって消化しようかと困惑した時間。また本人に会えば、嫌という程思い出すこともあるのかな、それは痛いな、でも娘だしなとぐるぐる色んなことを考えて、今ここにいるのだと思いました。長かった、でもまだ道は続いていくんだよね、どこが分岐点なのだろう。その時見上げた景色は綺麗だといいな。

岐阜にいた小学3年生の時。転校生ということで一目置かれてしまい、上手く馴染めなかった悔しさから、学年や担任の先生が変わるタイミングで一気に自分を変えようとギアを上げました。明るくなり、よく笑うようになり、頑張ってその土地の方言で話すようになると、自然と受け入れられ、お友達が沢山できるように。その時、担任になってくれたのは熱狂的な巨人ファンの30代の男の先生でした。家庭訪問の時、途中までお迎えに行こうと200メートル程歩くと、先生の車を発見。私に気づき、停車をして乗せてもらいました。とっても短いドライブ、でもそれが嬉しくて。そして、社宅に先生を招き入れ、母との会話をこっそり廊下で聞いていました。「最初はおとなしかったのに、180度変わりましたよ。僕もとても驚いています。自分を変えようと頑張ったんだなと思いました。」穏やかに話してくれる先生の口調が、なんだか嬉しくて、自分の努力を認めてくれる人は一人いてくれたら十分なのかもしれないと、頑張って良かったなと胸が熱くなったことを覚えています。

別れの時。5年生も担任になり、2月に名古屋に戻ることになった私のことをとっても心配してくれた先生。「中途半端な時期にまた転校になって、地元に戻るとはいえ、勉強のことも心配している。せっかく馴染んでくれたから先生も寂しいよ。Sちゃん、持ち前の明るさで頑張れよ。2年半、慣れない土地で本当によくやったな。」そう言われて握手。皆の前で泣きながら挨拶した私を見て、優しく微笑んでくれました。巨人の桑田投手が好きすぎて、話しだすと止まらなくなった先生。桑田投手をテレビで見かける度に思い出す恩師の笑顔。圧倒的に少数派だった転校生を、みんな同じだと受け入れてくれた先生の器に助られていたのだと改めて思いました。「Sちゃんも転校で大変だと思うけど、お父さんもまた新しい支店になって大変になる。家族で支え合っていくんだよ。」3年に一度転勤になる銀行員の父を、男性の視点で応援してくれていた先生。大変なのは自分だけじゃない、そんな気持ちが原動力になる時もある、それを伝えようとしてくれていたのかも。