息子の久しぶりの分散登校日、生憎の雨だったのですが、お道具箱などもあったので途中まで見送ることにしました。レインコートを着て、自転車のかごに荷物を乗せ、いざ久しぶりの学校へ。三か月というロングの休校だったので、もう少し行くことに抵抗があるかなとも予想していたのですが、意外とスイッチが入ったらしく、週末にランドセルを引っ張り出してきた頃にはすっかり学校モードになっていました。本来なら、四月の最初に出すはずの提出書類もあり、ようやくこの日が来たのだとほっとしました。「このノート、使い方を先生が丁寧に説明してくれたんだけど、忘れてしまってよく分からない。」とまさかの漢字ドリル用ノートを発見。今さら感が拭えなかったものの、こんな時期にやり方を間違えて怒ることもしないだろうと思い、もう一度先生に聞いてきてね~と笑いながら準備完了。いよいよだね。
そんななんとも言えない気持ちで迎えた朝、思ったよりも寝起きの良かった息子が一旦起きてからもう一度ベッドへ行ってしまったので、二度寝か?!と慌ててついていくと、ガサゴソと取り出したのはくみちゃん!ああ、相方を忘れていたのね。その後も、ぐずりもせず、言われたとおりに身支度をし、忘れてはいけない検温とマスクをして、これが新しいスタイルなのだと思いました。マスクを忘れた時用にランドセル手前のポケットへ。「自分の体は自分で守るんだよ。そして、自分がもしかしたら菌を持っているかもしれないという気持ちで誰かと接すること。」これを休校中、徹底的に伝えてきたので、息子なりにその意味を理解してくれたようでした。
別れ際、お道具箱の入ったバッグを渡すと、「ママ、おうちにいてね。」といういつものセリフ。「必ずいるから安心していってらっしゃい。」いつものやりとりが今日はなんだか沁みました。始まったね、変化があっても変わらない学校生活が。その後雨だというのにどうしても行きたくて、半分濡れながらスタバへ。ようやく来られたよ。見慣れた景色に包まれて、スタバの音楽を聴いた時、やっと立ち止まれたような気がしました。この三か月を乗り切れたことは大きいなとご褒美のチョコチャンクスコーン。君に会いたかったよ。
休校になった直後ぐらいだったかな。対面で会話をしない方がいいと話すと、だったら糸電話にしよう!と息子が言い出し、紙袋に捨てたじゃがりこのカップとしょうがチューブのケースに穴を開け、私が糸を通し、まさかのなんちゃって糸電話が完成。何でもプラスに変換してくれる7歳児の発想に元気をもらいました。今回誰に助けられたのだろうと考えてみると、一番はもしかしたら息子だったのかも。一番長い時を過ごし、いいことも大変なことも共有できた気がしました。一緒の勉強はまだ続くのだろうけど、なんだか楽しかったな。長さの単位の説明をした後、自前の定規を紙で作り、くみちゃんの身長を計っていた時には一緒に大爆笑。彼の世界には、いつも夢がありました。
「もう、“名古屋のおじいちゃん”じゃなくなったね。いつでも会えるんだね。」そう言われた時、慌ただしくて真剣に考えていなかったけど、父が近くにいるのだと、母の隣にいるのだとようやく少しずつ実感が湧いてきました。父が見てきた銀行という世界を息子にも語ってくれる日がきたらいいなと。大変だったんだろうけど、その中で起きた沢山の出会いや喜びを、もしかしたらどこかの会社を救った話を聞かせてあげてほしいと思いました。
祖父と父と私の三人で食卓を囲んだある日、祖父がせっかくの父との機会だからと一生懸命質問をするのに、ぶっきらぼうにしか言葉を交わさなかった父。その間に入った私は冷や汗をかきながらその場を取り繕うことに必死でした。「不良債権は結構あるのかい。」と祖父。「焦げ付いている。」と父。焦げ付いたフライパンを勝手に想像しながらも、この二人の溝は埋まらないのだと痛感しました。なぜこうなってしまったのだろう。
父が実家を出た後、佐賀の祖母に色々言われた時、何も言い返さない方がいいと思い黙っていたのですが、言葉をかみ砕き私なりに消化できたと思ったタイミングで父に話しました。「佐賀のおばあちゃんにね、お父さんが銀行で大変な時に、お母さんはきらびやかな格好でダンスに行って、それがお父さんは気に入らなかったらしいと言われたんだ。お父さんの置かれている立場も分かる。でもね、お母さん、男性二人の間に入ってそれこそもうこの世の終わりのような心理状態だったの。だから私が、趣味でも見つけて楽しみなよ、家のことは私がやるからって外に出したの。お母さんがお父さんの苦悩を分からなかったように、お父さんもお母さんの苦悩を知らなかったのは一緒じゃない?」冷静に話した時、父が一瞬はっとなった顔を見逃しませんでした。自分が大変だと自分のことしか見えなくなる、それは仕方がないこと。それでも、ほんの少しでも思いやりの気持ちを持っていたら、もう少し踏み込んで相手を見ることもできたのではないか、少なくとも娘はそうしてくれていた、父の表情はそう言ってくれていました。
「私はお母さんの味方でもないし、お父さんの味方でもない。ただ苦しそうにしていたら寄り添いたいと思っているし、でも一歩引いて全体を見たいと思っているよ。」焦げ付いたどころか、お腹の中が煮えくり返ってそれが冷めて、落ち着いたところで父に伝えた言葉。
自分の考え方が必ずしも正解じゃない。でも、ニュートラルでいろと父に言われたから、そのスタンスはそのままでいる。偏りそうになった時、それを修正してくれるのはもしかしたら息子なのかもしれない。子供から教わることは、どんな時も盛りだくさん。