カフェにいるだけでは、シェアオフィスにいるだけでは、限界があるかもしれないと感じたここ最近、だったらダブルヘッダーをしてしまえばいいのかと、今朝は電車に乗って上島珈琲へ行ってきました。前回来たのは、まだ息子が年長の頃。卒園までカウントダウンが始まっていたなと、随分懐かしくなって。その時隣に座っていたご年配の夫婦が、魚みたいな不思議な形をした天然記念物ってなんだったっけ?という話で盛り上がり、全然出てこなかったので、思わず「オオサンショウウオです!」と言ってしまいたい衝動に駆られたのですが、その後も一緒に談笑してしまいそうで、おとなしくパソコンをカタカタやっていたことが思い出されました。今日隣にいるのは、男子大学生の二人。論文がどうのこうのと言っているので、卒論にでも追われているのかも。いい感じで吸収できた後、また電車に乗り、シェアオフィスに到着。これで記事が書けたらミッション成功です。
私も姉も、子供が年少に上がった時、少しだけ時間ができたので、車で短時間だけ会いに来てくれたことがありました。姉のバイオリズムはなんとなく感覚で分かり、とても弱っていることを察知したからこそ呼び出した日。母との関わりを姉もまた苦しんでいたことを知っていました。色々な迷いがあった中で、お墓まで持って行こうと思っていた、私の出生の秘密を話しました。母が妊娠中に自転車で転んだこと、その時酷い出血で出産を周りに止められたこと、それでも母は産んでくれたこと。「改めてその理由を聞いた時、お母さんが答えてくれたことを思い出したよ。私はひとりっ子だったから、どうしてもきょうだいを作ってあげたかったって。お母さんの強い意志が無ければ、お姉ちゃんはひとりっ子だったかもしれない。私達さ、両親のことでは本当に悩まされるけど、姉妹だから頑張れたこともあったんじゃない?もうどうしようもないなって同じ親を持つ私達だからこそ感じられる気持ちってあると思う。」そう話すと、ポロポロッと姉の頬に涙が伝い、そしてそっと微笑んでくれました。性格は真逆でも、姉妹で助け合ってきた。そうさせてくれたのは、何よりも母だということ。その涙が姉の氷をそっと溶かしてくれたのは言うまでもありません。
まだ私が年中の時も、母は祖母の看病につきっきりでいつも病院。幼稚園のお友達と近所のコイを見に行く約束をして、幼稚園バスを降りるとバッグを自宅に置き、そのまま出かけてしまいました。小学校から帰った姉は、妹がいないと大騒動。自転車であちこち探し、近くに住んでいた親戚のおばさんちへ。その時私は、友達にすっぽかされたことを知り、そのままトボトボ自宅に帰ると鍵が開いていたので、和室で待っていました。お姉ちゃん、一旦帰って出かけたのかなと悠長なことを思っていたら、姉が凄い勢いで帰ってきて、私に激怒。そして半泣きしながら安心してくれました。親戚のおばさんにもお礼電話をしてくれて、何事かとぽかーん。あ、そうか。心配かけてしまったんだ、そのことにようやく気付いた時、姉の愛を痛い程感じました。誰かを守るってこういうことなのだと。その後、法事がある度に、姉とそのおばさんは私のプチ家出事件で大盛り上がり。「だから、友達とコイを見に行く約束していたんだってば!」「何も言わないでいなくなったら家出と一緒でしょ!!」毎回繰り広げられた姉とのやりとり。姉妹の絆がどれだけ強かったかは、そのおばさんが一番よく感じてくれていたのかも。
祖父の葬儀で久しぶりに会ったおばさん。「最近私も年を取っちゃってね。歩くのが大変で自転車しか乗れないの。」「自転車に乗れたら十分ですよ~。」と笑い転げたのが最後の会話。他界され、また一人私の心の家族がいなくなった。それでも可愛がってくれた温もりは幼稚園の時のまま。
皆に心配をかけたかった、そんな子供心にこっそり気づいてくれていたのはおばさんだけ。