今がチャンス

定期的に通っている婦人科。総合病院なので様々なことが発生し、ついに婦人科の先生に言われてしまいました。「今度の診察は3か月後でいいね。」「は、はい。」通院間隔を空けられるだけ空けて、患者さんを守ろうとしてくれているんだろうな。導入剤は最大の30日処方、痛み止めは60日分、ホルモン剤は90日分、後は自力で頑張って!そんな先生の明るい声が聞こえてきました。「下腹部の痛みは、少しだけ緩和されたような気がするんです。このまま落ち着いてくれたら、1年の治療で終わりますか?」「そうだね。一旦終了してみて、それで少しでも違和感があればすぐに再開しよう。」その言葉を聞き、とりあえずのゴールは見えました。あと半分だと勝手に折り返していたカラーコーン、目標が間違っていなかったことに安堵し、先生に伝えました。「術後は、めちゃくちゃ下腹部が痛かったんです。でも、ズキンズキンがズキズキに変わったので、ちょっとほっとしています。」はははっ。そばにいた看護士さんと一緒に笑ってくれて、歩いてきた道のりを感じました。あと少し。

その後、図書館の閲覧室でパソコンを開くと、母からLINEが入っていることに気づきました。『気温差で頭が痛い時もひとりかと辛い時期もありましたが、あなたとまた連絡を取り合うことができ、誰かがいてくれる幸せを感じています。ありがとう。』父がそばにいる、それでもなんとも言えない母の辛さを理解しているのは私なので、存在を喜んでくれる真っ直ぐな気持ちに嬉しくなりました。ようやくここまで来られたね、色々あったし、まだまだ色々あるんだろうなと自分に微笑んでみる。そして、ふと姉のことを思い、連絡を入れてみるとこれまた嬉しい返信が。『秋晴れのからっとした日、なんか色々思い出してたよ…以心伝心かな。』短歌のような綺麗な文だなとじわっと胸が熱くなりました。姉の痛みの一番奥に触れたから、そこから色んな感情が流れ出しているんだろうな。気持ちの流れのままにいてほしい、辛くなったらまたいつでも聞くから。そんなことを思っていたら、姉が話してくれた意外な内容が再生されました。
「おばあちゃんが亡くなって、中学1年になった時、Sとお母さんはよく週末二人で、岐阜のお父さんの所へ行っていたの。その時おじいちゃんと二人になることもあったから、おじいちゃんに反抗していた。多分、それが私の反抗期。」え~!全然知らなかった!となぜか笑い転げてしまいました。祖父と姉も犬猿の仲、頭のキレる姉がまくしたてたら祖父が勝てる訳もなく、一方的に言われちゃっていたんだろうな。でも両親に言えなかった分、そのはけ口のようになってくれていたおじいちゃんに感謝したくなりました。負の感情を出せる相手がいたんだなと。姉が唯一甘えられた祖母がいなくなり、気持ちのやり場を祖父にぶつけた姉。そんな姿を、そんな気持ちをうちの両親はもっと分かってくれたらと思うのですが、それももう違うのかな。

ずっと大切にしていたバンビちゃんのぬいぐるみ。それは祖父からのプレゼントではなく、父からのプレゼントだったことに気づいた時、もしかしたら記憶違いのことが他にもまだあるのかもしれないと思いました。色んなことがあり過ぎて、その中で記憶がどこかで混ざってしまったこともあるのだと。パッヘルベルの『カノン』、その曲を聴くと何とも言えない淡く懐かしい気持ちがこみ上げて、毎回泣きそうになっても、何があったのか全く思い出せなくて。ホルモン治療をやっている今だからこそ、感覚がより鋭くなっている時に気づけることもある気がして、この際なのでとことん蓋を開けてみようとも思っています。「お父さんとお母さんは最近どう?」と姉。「相変わらずなところもあるけど、私を今度怒らせたら後がないことも分かってくれているからその点では大丈夫。」「そうか、それを聞いて安心したよ。」「手術の日は、有給取るから何でも言えってお父さんに言われた時は嬉しかったよ。」そう話すと、姉が一瞬寂しい表情をするのを見逃しませんでした。私がその立場なら、お父さんは同じことを言ってくれるだろうか?そんな姉の気持ちが伝わり、どうしようもなく胸が痛くなって。持っている球を一気に投げるのではなく、タイミングを見て、緩急をつけて、姉が辛くならない量の球を少しずつ届ける。それには、やっぱり私と二人で過ごす時間を沢山作るのが一番いいのだと思いました。久しぶりの再会は、広いサンマルクカフェ。ふかふかのソファ席で、サンドイッチとチョコクロをお互いに買ったものの、姉は全く手を付けずテイクアウト。そして、別れ際にさりげなく伝えてくれました。「私ね、実は4年半前の家族会議以来、生理が止まっているの。」と。その前夜、母の救急車騒動があり、その時に姉の中でずっと堪えていたものがはち切れてしまったのだと話してくれました。姉の深い闇が、そこまで体に出てしまっていたことに絶句し、どれだけ時間がかかっても助け出すと自分に誓いました。「不妊治療中にやっていたホルモン治療ね、卵巣年齢が高かったから、注射で女性ホルモンを入れて、卵を取り出して、その後卵巣を休ませるために薬を飲んだりしていたの。ホルモンを入れる時より、休ませる時の方が、女性ホルモンを抑えるから気持ちが沈んできつかった。だからSの今の辛さ分かるよ。」そう言われた時、私の治療が終われば、姉の心や体も少しずつ楽になってくれるのではないかと直感で思いました。安心してくれたら、また循環しだしてくれるのではないかと、自分を取り戻してほしいと別れ際の後姿を見て泣きそうになりました。

「S、私ね妊娠したの。赤ちゃんができたの!Sが結婚してほっとしたから、できる気がしていたの。」「おお!お姉ちゃんおめでとう!!不妊治療、本当に頑張っていたから自分のことのように嬉しいよ。体大事にしてね。」この会話が、どれだけの想いの中で届け合ったものなのか、それを思うと、今がチャンスな気がしてきた。そう、自分が辛いからこそ分かること。