ゆっくり広げる円形

退院後1か月は自転車にも乗れず、重たいものもダメと言われて、大人しく自宅でカタカタやっていたものの、さすがに限界だと思い、頭をフル回転させ、思いついた一つの作戦。なんだ、自転車のかごにパソコンを乗せて、歩いてスタバに行けばいいんだ。そして、早めにやっつけパスタを食べ、気持ちのいい晴れた空の中を歩いて目的地に到着。看護士さんとの約束は守っているよ。体を守りながら自分を大切にすること。

病室は窓側で、いつも四角い空を眺めていたのに、歩いてきた道にはどこまでも続く空が広がっていて嬉しくなりました。そして、その窓からはまだ咲かない桜の木があり、沢山の患者さんを励ますために植えられたものなのだろうと、色々な気持ちがこみ上げたベッドの上。一つ一つの時間が、今の自分にもたらしてくれたものはやっぱり大きいようです。
そして、夕飯後のデザートタイムで、息子に改めて聞いてみました。「まだお腹の中にいた頃の記憶は残っているの?」と。「少し忘れちゃったんだけど、赤い色が見えたの。」「それって、お母さんの血や筋肉だったのかなあ。」「そうそう。柔らかそうだったから、パンチしたりキックしても大丈夫だと思って、壁にぶつけていたの。」「大丈夫じゃなかったよ。本当に痛かったんだから。」「だって、どんどんお部屋が狭くなって、遊べなくなっていったんだもん。ゲームなんてないし。」「ある訳ないでしょ!大きくなっていくんだから、狭くなるのは自然なことだよ。」「そうだね。ボク、生まれた後、ママのお部屋に行ったでしょ。窓があったよね。なんかね、ちょっと寒かったの。」「あ~!お母さんも寒かった!だって冬に生まれたんだもん。」そしてね、今回その理由が分かったんだ。初日、産科に入院したらやたらと寒かったのに、婦人科のベッドに移ったら南向きでお日さまの光が暖かくて、産科は西向きだとようやく気付いたんだよ。8年後にそんな答えが見つかるなんてね。
「ママのお腹から出たら、ボク本当に寒かったんだよ。」まだ言うか!お腹の中は快適なんだよ。手術の説明を改めてすると、ちゃんと聞いてくれていた息子。あなたが生まれた時とは全然意味が違うものだったけど、お母さん、自分の体を守ったよ。それはね、沢山の人達が助けてくれたから。その気持ちを忘れてしまったら、きっと再発する。だから、忘れる訳にはいかないんだ。

大学時代、アルバイト先の日本料理店でお世話になった先輩が営む名古屋の小料理屋が、20周年の節目でお店を閉じるという連絡をもらいました。行きたいな。もっと元気になって新幹線に乗れるだろうか。そこで、どれだけのビジネスマンの方達の癒しになっただろうと思うと、ママにお疲れさまでしたとひとこと言いに行きたくなりました。オープン当初、こんなにもお店を切り盛りすることが大変だとは思わなかったと弱音を吐いてくれたことがありました。それでも、沢山の人達の協力があって、開店までこぎつけることができたから、その人達の為にも頑張らないとねって笑ってくれて。カウンター越しで色んなお客様の話を聞いていると、男の人ってあまり弱音を吐くところがないんだなって、そういった場所になれたら、また明日頑張ろうって思ってもらえたらって、そんな話をしてくれたことがありました。そこには、転勤や、昇進、転職、ご結婚など、本当に色んな人間模様があり、来てくださる方の人生を応援していたのだと思うと、心からの拍手を送りたいです。20年か。さくらdeカフェも、そんな年月を重ねられるかな。その秘訣を、教えてもらいにいかなければ。キープしたままのボトルで乾杯しよう。

去年の3.11は、休校中の息子とまだ咲かない桜並木の川で、カモさん親子を見ていました。その時、消防署の方から、大きなサイレンが聞こえ、震災の起きた時間なのだと分かりました。目を瞑り、黙とう。隣にいた息子にも、東日本大震災の説明をしました。とっても大きな災害で、沢山の方が亡くなったのだと。その方達を想い、その震災を忘れない為にも、毎年その時間になるとサイレンが鳴る、だから一緒に祈りを捧げよう。すると一緒に立ち止まり、彼なりに何かを考えてくれているようでした。サイレンが終わり、改めて伝えました。「お母さんね、その時たまたまおばあちゃんとオーストラリアに行っていて、その国で被害の状況を知ったの。とてもショックだった。飛行機も飛ばなくて、それだけ大きな災害だったの。忘れないでいることが、とても大切なのだと思う。」そう話すと、ただじっと聞いてくれていました。

仙台。今の体ではとても遠くに感じてしまうけど、必ず行く。ゴールドコーストにいたその時、被害を知った日本人の店員さん達が、口々に伝えてくれました。「飛行機が飛んだら、本当に気を付けて帰ってくださいね。私達、何にもできないけど、同じ日本人としてとっても被害地域の方達のことを心配しているし、胸が痛いです。」南半球で、母国を想う気持ちは皆同じなのだと思いました。そんな言葉をかけてもらう度に、泣きたくなりました。ようやく辿り着いた関西国際空港。そこから、新大阪駅まで行き、新幹線の中のニュースで少しずつ被害状況が分かる度に、胸が潰されそうでした。そんな全ての時間は、思い出す度に昨日のことのようです。
頑張ろう、東北。今年も、オーストラリアで出会った沢山の人達の想いと共に、手を合わせます。