その後の展開

この間は、学校へ個人面談。息子もついて行きたいとうるさかったので、校内でボランティアの方が見守ってくれている体育館の遊びに参加をさせることにしました。先生からは、分かってはいたのですが、お勉強のことを言われ、自宅でも頑張るしかないなと痛感。それでも、私の気持ちが凹んでしまわないように、伝えてくれました。「○○君、隣の女の子がどれだけちょっかいをかけてきても動じないんです。相当なストレスなんじゃないかなとも思ったのですが、結構平気そうで、普通なら喧嘩になるパターンでもならないんですよね。本当にいつもおっとりしています。」「超平和主義者なんです。」ははっ。とりあえず笑っておこう。

そんな息子はというと、帰ってからは私の話を一切聞かず。外でいい子だった分の反動がとにかく凄まじく、受け止められるだけのレベルではない時もあるので、頭の血管が切れそうなほど怒ってしまい、自己嫌悪。
まだ2歳の時、姉が電話で伝えてくれました。「Sに受け皿があるから、甘えてしまうんだよ。私達なんて甘えられるスペースどこにもなかったでしょ。大変だとは思うけど、子供なりに親の包容力を感じながら、上手に甘えているんだよ。それはね、いいお母さんの証だと思う。」なんだか姉に言われたその言葉が沁みて、とても助けられたような気がしました。私達、いい親になれるのだろうか。お手本がないのに、うまく子育てができるだろうか。そんなことで悩んだ日々。でも、一緒に頑張ろうと励ましてくれる姉がいて、いつもどこかで救われていました。苦しいのは姉も一緒。そう思うと不思議と頑張れて。“私達、自分がしてきた嫌な思いは絶対子供にはさせないよ、だから大丈夫”そんな言葉がふと脳裏をよぎります。

ぼんやりと、息子はどんな道を選ぶのだろうと考えていたら、大学図書館勤務時代、白衣を着た学生さんの姿を思い出しました。カウンターに座っていると、たまにやってきた助教の先生とそのゼミの学生さん達数人。「すみません、実験で新聞紙を使いたいんですけど、もらってもいいものありますか?」と。お待ちくださいねと伝え、倉庫からブックトラックで運ぶと、喜んで持って行ってくれました。またの時、同じように言われると、今度は白衣を着た学生さん達の方から、「僕達が運ぶので鍵だけ開けてもらえたら助かります。」と伝えてくれて、助教に振り向くと微笑みながら頷いてくださり、学生さん達にお願いすることにしました。きっと、前回研究室に戻り、司書の方の手を煩わせないようにと伝えてくれたのだと思います。知恵を出し合い、一つの部屋で研究を続ける彼らの姿が、なんだか逞しく感じ、いい先生に出会えて良かったねって思いました。
せっかくなので、どんな研究をしていたのか聞けば良かったと今さら後悔。新聞紙の用途は、実験の時に汚れないように、だったかな。仲のいい雰囲気がこちらにまで伝わり、息子もいつか、そういった仲間に囲まれて何かを目指せる人になってほしいと願った面談の帰り道でした。

ラグビーワールドカップで優勝した南アフリカ。黒人初の主将となったコリシ選手は、靴もなく、満足な食料もなく、学校にも行けなかった幼少期を過ごしたそう。優勝カップを前に「子供の頃、こんな光景は想像できなかった」という言葉を聞いて、涙が溢れそうでした。一人の少年が、小さく積み上げてきたものは計り知れないのだと胸に迫るものがありました。それは多分、ニュースで取り上げられるよりも、もっとずっと苦しいことの連続だったはず。そういった選手が日本の地で掲げたウェブ・エリス・カップの重みを、私も覚えておこうと思います。
成し得たもの、それでもきっと彼の挑戦はまだ道半ば。諦めない気持ちは、この先も広がっていく。