誘われたら感激

天気のいい朝、シェアオフィスの受付にいたラガーマンだったTさんに挨拶し、ゲットをしたOBの彼の企業ラグビーチームキーホルダーを見せると、「それ、どうしたんですか?」と驚かれました。「ネットで買ったんです~。」と満面の笑みで伝えるとオンラインショップだということがすぐに分かってもらえて、「ついでに150というサイズの応援Tシャツを買ったらぴったりだったんです!」と追加情報を伝えると、「ちっちゃい!」と言いながら大爆笑。せっかくなので後援会にも入った話をしたら、頭を下げながらお礼を言われました。いえいえ、こちらこそいい出会いだと感じさせてもらっていますよと思いながら一緒に会釈。春に観戦を考えていると伝えると、いい時期ですね~と喜んでくれました。なんだかずっと前から知り合いのような心地のいい会話は、どこかで接骨院の先生を連想させてくれます。二人に共通するのは、お父さんからの影響でそのスポーツを始めたということ。子供の頃から培われた精神は、惹きつけられるものがあって。彼らを通して感じるその競技の良さを体感しに行くことにしよう。

教育実習中、色々な授業を見学させてもらいに行きたかったのですが、自分の授業研究などもあり、思ったよりも行けなかったことが今でも心残り。2年の社会科の女性の先生には一緒に授業をしない?という嬉しいお誘いを頂いたのですが、余裕が無くて断念。そんな姿を見た恩師は、50分の授業に没頭しようとしているのではないかと密かに心配してくれて、実習生控室の私の机上にてんこ盛りのアメを置いておいてくれました。お礼と共にその意図を聞くと、「アメが溶けると同時に、緊張した心も一緒に溶かすといい。ガチガチの授業よりも、リラックスした方が生徒達には伝わるよ。」という恩師らしいアドバイス。それ以来、緊張の場面の時、私のバッグにはアメが入っています。

この間、ふらっと関東に遊びに来た父が、息子と遊んでくれたので夕方母宅まで迎えに行ってきました。母の様子が落ち着いていることに、毎回驚かされます。父の存在はとっても大きかったのだと、それでもどんと寄りかかっている印象もなく、母なりに気を遣っていることが感じられて安堵。やっぱり私に対してだけ何かどっときてしまうのだと、そのことに気づけたことだけでも大きな一歩。

そんな時にふと思い出すのが、中学2年の担任の先生。母と私の関係がおかしいことにいち早く気づき、口頭では言いづらいこともあるだろうからと、交換日記をしてくれました。もちろんそれは私だけでなく、希望のある生徒はみんな。Aサイズのノートになんでもないことを書き、それに答えてくれる先生の優しさに自分の心は凪いでいきました。『先生私ね、どうしようもなく気持ちがもやもやする時があって、そういう時はどうしたらいい?』『Sはテニス部でしょ。ラケットが自宅にあるなら素振りをしなさい。そして陸上部よね。走ってこればいい。頭の中がすっきりするまでね。』そんなやりとりに救われていた夏休みのある登校日。7月中に宿題を全部終わらせてしまった私の日誌を見て先生が笑いながら指摘。「一行日記は8月末まで毎日あるのに、Sには未来が見えているの?」と。ちょっとズルをした私に安心してくれた先生。あなたにはそういう部分が必要、きっとそう感じてくれたのだと思います。
中学を卒業した春休み、その先生が二人目の産休に入り、出産を終えてから自宅に呼んでくれたので、ケーキを持って友達二人と行ってきました。その表情はすっかりママの顔。私もこんなお母さんになりたい、そう思わせてくれた人がここにもいた。強くて温かい人。誘ってくれたのは、私はずっとあなたの担任だというメッセージ。本当に辛い時は、声を上げなさいというメッセージ。