今この瞬間

気持ちをゆっくり巡らせたくて、久しぶりに図書館へ行き、ソファに座るとすっと立ち止まれたような気がしました。老後もいろんな図書館でお世話になるんだろうな、そう思うと自分に微笑みたくなって。そして、買い物をして自宅に戻る途中、骨伝導のイヤホンからYouTubeを聴いていると、ぐっとくる曲が流れてきました。それは、GReeeeNの『刹那』(作詞作曲:GReeeeN)。どうしてこのタイミングでこの本に出会うのだろう、なぜこのタイミングでこの人に出会うのだろう、この一行を目にするのだろう、そしてこの曲を聴くことになるのだろう。きっと全て意味がある、そう思うと今この瞬間大きなエールを受け取ったような気がしました。2009年にリリースされた楽曲が、2024年になり心の中に落ちて。自分の終わりが見えた時、何を思うだろう。

息子の繊細さ、それを生きづらさではなく、原石だと思ってくれるにはどうしたらいいだろうと試行錯誤しながら、それでも彼の感情が爆発した時はその辛さに乗っかってしまう時もあって。境界線の薄い自分だからこそ、その感情に翻弄されてしまうんだよなと反省した日は数えきれず。そんな落ち込んでいる時に思い出すのは、ひとつの出来事でした。卵巣がんの疑いが出て、MRIの検査に行った日、待たされた場所は霊安室のそばでした。死というものがこんなに自分のそばにあったのか、病院内の音が遠くに聞こえて、グレーのポケットに入ってしまったかのようなそんな心境でした。その後、MRIの検査を受ける為、台に乗った時、もう少し息子のそばにいさせてくださいと願いました。きっと私が怖いのは、自分が死ぬことではなく、息子が母親の私を失ってしまうことなのだと。まだ小学2年生、早すぎるよ、どうか大事になりませんように。ヘッドホンを付けて、検査をしている最中、こみ上げてきそうな涙を堪え祈りました。息子と一悶着ある度、悲しくなる時もあるのだけど、その時のことを思うと、一緒に喧嘩し笑い合える今が途轍もなく大切だと、ふとした時に感謝の気持ちがこみ上げます。
父の検査入院が明日になりました。がんの可能性が出てから随分間が空き、その間も色々あった訳で。母のメンタルがぐらつき、10件程連続でメッセージが入ってきたことも。それに気づいた息子が聞いてきました。「ママ、スマホが鳴っているよ。」「多分、おばあちゃんから。」「こんなに連続して入ってきたら怖いって。」ママ、ずっとこうだったんだよね。おばあちゃん、自分で堪えられない感情をママにぶつけていたんだよね。それはしんどいよ。「それって読まないといけないの?読まなくていいよ。」行間までも読み取れてしまい、息子の気持ちに助けられました。あんたもそういう所あるやろ!と思いつつ、人のことはよく見えるので慰めてくれて。そして、彼の場合は二歩進んで一歩下がっている状態。ママのこと困らせてごめんね、ボクも頑張るから。そんな気持ちが見え隠れするので、息子は大丈夫だろうと。その経験が誰かの奥深くにきっと届くから。それが、お母さんからのギフト。本当に必要な時、大切な人に届けてあげて。

さてさて、父と直接連絡を取り合った方がいいだろうと思い、エールを送ると、まだ生検の為の入院だと冷静な返信がありました。そして、私も手術をした病院だったので質問を投げかけてきて。『病院の寝間着関係は前からリースだった?』と。どこまでも父らしいなと笑ってしまいました。お父さんはがんかもしれない、どうしようと母はずっと悲観的になりわーわー言っているのに、父はとことん冷静でぶっちゃけどうでもいいことを聞いてくるので、その温度差がツボにはまってしまって。でもね、Sに心配はかけたくないという父の気持ちも知っている。小学校低学年の時、この話をすると意外がられるかもしれないのだけど、読書感想文を書くのが苦手で、父に泣きついたことがありました。その当時『かぎばあさんシリーズ』の本が好きで、読むことは好きなのにそれをいざ感想として書こうとするとうまくいかず、父に相談。「お父さん、全部を読んでとは言わないから、ここからこのページまで読んで感想を伝えて。」「はあ?」と自分の本を渡そうとするそのやりとりを見ていたネネちゃんは大爆笑。いつも推理小説しか読まない父に『かぎばあさん』を渡すその光景がよっぽど滑稽だったよう。しかもリアクションの薄い父は困惑。結局苦戦しながら自分で書くことにしたのだけど、あたたかさもあった大事な幼少期の1ページでした。もっと前、物心ついた時に父が連れて行ってくれたのは名古屋市立図書館。三つ子の魂百までとはこのことで、図書館が大好きになりました。自分の心に残ったのは、お稽古事ではありませんでした。クールな父が連れて行ってくれた、図書館への思い出を持って成長。どこの地域に行っても、どれだけ歳を重ねても安らぐことのできた場所でした。いろんな人が行き交い、みんなが幸せそうに見えて、凍り付いた家に帰るのが嫌だったことも。そんな時、父が読んでくれた『三匹のこぶた』の紙芝居を思い出したこともありました。奥の方にその記憶は残っていて、何度も助けてくれた図書館で働きたいなと思うように。父との思い出は、そんなに沢山ある訳じゃない、むしろ辛い出来事の方が多いのかもしれない、それでも重ねたページがあり、司書になった私は、そこに沢山のものを詰めていたのだと改めて思いました。お父さん、簡単には逝かないで。良性だったと笑い飛ばして。お母さんを置いていったら一生恨んでやる!ここ一番という時に、元気玉をぶつけに行くからそれまで元気でいてよ。言葉にしなくても、父には伝わっている。
この瞬間、過去のトラウマよりも、今をめちゃくちゃ大事にしようよ。そうしたら本当の晴れ間が見えるかも。