プライムビデオで両親が揉め、グループLINEでフォローした後、母から返信がありました。相変わらず父に関する不満を爆発させてきたものの、最後はありがとうと入っていて。そして、グループLINEなので父も読める状態にあり、事の顛末を笑ってしまいました。お父さんが何かをやらかすとこうなるんじゃ!と、見える化できる状態にしたのは正解だったなと。そして、息子がぽつりと聞いてくれて。「そういえば、おじいちゃんとおばあちゃん、その後大丈夫だった?」と。テスト勉強中の孫にまで心配をかけてどうすると思いつつ、その気持ちに嬉しくなりました。「本当にもう、Rにまで心配かけてしまいごめんね。グループLINEで落ち着いてサポートしたら、おばあちゃんが安心して、おじいちゃんへの文句をぶちまけてくるから笑ってしまってね。本人も読めてるわ!って。」そう話すと息子も大爆笑。困った人達だけど、面白いねと二人で盛り上がり、ここまでようやく来たのだと思いました。孫の方が一枚も二枚もうわてだな。
お正月、両親宅へ行った時に、父が外へ出ている間、母が何気なく聞いてきました。「年末にね、お父さんが、Rに勉強でも教えに行ってこようかなって二人で出かけた後にいなくなったんだけど、S達の家に来た?」「ああ、芋けんぴを届けにふらっときて、昼ご飯中だったからすぐに帰っていったよ。ランチに誘われたんだけど、タイミングが悪かったみたい。」「お父さん、やっぱりパチンコだわ。その芋けんぴ、きっとパチンコの景品よ。」そう言われ、息子が、「繋がった!」と言うので余計に爆笑してしまいました。父が勉強を教える訳がないし、どうやらアリバイ工作に使われたらしく、しかもあの芋けんぴは景品だったとは。若干不自然だったと思っていた息子の素直なコメントに母も笑っていて、和やかないい時間でした。その後、母と息子に買い物をお願いしている間、父と二人で話す時間があり、体調のことを聞くことに。甲状腺、心筋梗塞の検査は継続、前立腺がんの手術の影響は落ち着いているよう。お父さん、元気でいてね、そう願い一通り聞いたひととき。そして、さっと自室に行き戻ってくるとハッピーターンとおせんべいを渡されて。「Rにやれ。」パチンコの景品だ!母にバレずに渡すタイミングが絶妙だなと笑いを堪え、ありがとうと受け取りました。あのね、私が子供の時から勉強机にこっそり景品の板チョコを入れてくるから、証拠隠滅のために隠れて食べるの大変だったんだよ。何十年経っても、そんなに変わらないなと可笑しくて。そして、自宅に帰り息子に渡しました。「このお菓子、おじいちゃんからだよ。」「わー、ハッピーターンだ!」どうか景品だとバレないで~。
そんな風に人の気持ちが巡った年明け、一人になった時、何気なく思い出したことにはっとなりました。マブダチK君は、ただなんとなく流れの中で大学受験をして受かった、でもやりたいことじゃないしと本人は葛藤を抱えていたのだけど、今になり頭の中で繋がって。彼は確か、経営学部を選んだ、それは家業を営むお父さんを支えたいと思った気持ちからだったのではないかと。家を継ごうか迷っていた、でもおじさんは時代の流れを見定め、負の遺産になってはいけないと思い、自分の代で終わらせると言った。それでもK君は、本当にそれでいいのかと10代の頃から考え続けていたような気がしました。大学に進学し、何か違うといろんな気持ちの中にいた彼は、2年間迷い、悩んでいて。その2年という月日はおばさんとの絆でもあって。「俺があっさり中退したらおかんが悲しむだろうな。」なんとかエンジンがかからないものかとアクセルをふかすのだけど進めない、そんな姿を私にだけは見せてくれました。そして、いよいよ留年が決まるというタイミングで、これ以上迷惑はかけられないと中退を決意。その時、おじさんに家業を継ぎたいと伝えたんだとか。すると、頑として断られたそう。ご自宅に遊びに行くと、K君が名付けた大型犬の“くま”には毎回吠えられ、他のみんなはウェルカムなのにおじさんはいつも目が鋭く挨拶しかできなくて。そして、「くま~、仲良くしようよ~。」と寄っていっても、「ワンワンワ~ン!」と本気で吠えてくるのでK君は大爆笑。「あのなあ、万人受けしようと思うなよ!」「そんなことは思っていないけど、友好的に近づいてもくまに嫌われるんだよ。」「お前が最初っからビビるからだよ。そういうのって伝わるんだよ。」なるほどなるほど。おじさんとくまとは最後まで仲良くなれなかったのだけど、自分が中学生の親になり気づいたことがありました。大学を中退して、家業を継ぎたいだなんて、長年培ってきた先祖の歴史を逃げ道に使うな!本気で揉まれてこい!!一人前の男になって初めて話は聞いてやる。まあ継がせんがな。突き放したのは、何よりおじさんの愛情だったのではないかと。そういう人だよね、言葉にはしないけど背中がそう言っていた。K君がそれを感じない訳がない、だからこそ、おばさんが他界し、もう一度考え出したんだろうな。親と子の関係ってどこまでも深いね。
大学4年、佐賀の祖父が私や父、そして私達家族を心配し、一緒に新幹線に乗ってくれた日。父宅に着くと、優しく穏やかな説得が待っていました。「不経済やけん、あちらのお義父さんに頭を下げてかえりんしゃい。」愛情のこもったあたたかい温度に、こちらの方が溢れそうでした。黙っていた父、でもその沈黙もまたいいもので。「おじいちゃん、一緒に来てくれてありがとう。お父さんも、いろんな気持ちの中にいるし、今名古屋のおじいちゃんもお母さんも落ち着きを取り戻していて、今はこの関係がいいと思うんだ。私もお父さんのことは気にかけるから。だから、そっと見守ってくれたらと思うよ。」そういったことを伝えると、まだ何か言いたそうだったものの、父の為にも言葉を飲み込んでくれたのが分かりました。名古屋の父のマンションに佐賀の祖父がいる、親ってすごいなと。二人の祖父と約束した、両親を見守る、私なりのやり方で。届いていますか、空を見上げ時々こみ上げそうになる今がある。心が満たされるのはこんな時なのかもしれない。