ウルトラCが使えた

良く晴れた日、わざと通院間隔を空けてくれた主治医の病院へ久しぶりに出向くと、コロナの影響で外来が縮小されていることに気づき、複雑な気持ちで診察を待っていました。すると、呼び出し番号が表示され、先生の穏和な顔を見ていつもの3倍ほっとして。「先生、お元気でいてくれて良かったです。」「僕は大丈夫だよ、ありがとう。漢方を変えてみてどう?」「それが、体の方は少し楽になったんですけど、メンタルの落ち込みが酷くて。先生、ダメ元で聞くんですけど、今の漢方を継続して、更年期症状を緩和させてくれていた漢方を頓服で処方してもらうことはできませんか?」そう言うと、うーんと言いながら考え込んでくれました。AかBかではなく、ミックスされたウルトラC。ただ、どちらも色んな生薬が合わさっている為、両方を服用するのはあまり良くないことを説明してもらっていました。そして、更年期症状を抑える方は、強かったため副作用も出ているおまけ付き。それでも、気持ちが少しでも軽くなるならと言うだけ言ってみると、先生らしい言葉を返してくれて。「継続して飲まなければ、副作用は出ないと思うから、頓服として出すよ。元々あった頭痛やめまいだけでなく、手術をしたことや薬物療法により、色んな症状が出てしまっているから、何を優先させるべきかこちらも悩むんだけど、できるだけ辛くないやり方でいこう。」これが、先生にしかできない医療。患者さんを診るということは、その人の中にあるものを見るということ、苦しさを取り除くにはどうしたらいいのか、いつも真剣に向き合ってくれる主治医の優しさに、今回も助けられたようでした。「先生、お気を付けて。ありがとうございました。」そう言って笑顔で会釈して別れようとすると、何とも言えない微笑みで返してくれました。私と同じように先生を必要している患者さんを助けてください、そんな願いを一番温かい所で受け取ってもらえるんだ。

その翌日は、息子の歯医者さんへ。前回定期検診へ行った時、切端咬合の診断を受け、若い男の先生が丁寧に説明をしてくれました。「このままでは、どんどん顎が前に出てしまう可能性があります。寝る時だけシリコンで矯正を行う治療をお勧めしたいのですが、お子さんやお母さんの意向もあると思うので、一旦持ち帰ってもらい、またお返事して頂けたらと思います。」気持ちの面、費用面、色んなことを踏まえた上での先生の気持ちのこもった配慮に救われたようでした。その治療は、私が岐阜の小学校に転校になった3年生に受けたものなんだよ。この巡り合わせは何なんだろうなと思いながら、沢山の思いがこみ上げました。検診を頑張ったご褒美に、毎回先生から息子に渡してくれるガチャガチャのメダルをもらい、なぜかカレーの消しゴムをゲットして、歯医者さんの外に出た時伝えました。「ねえR、今治療をしないと、顎がどうしても前に出てきてしまうこともあるみたい。お母さんもね、同じ治療を同じ年の時にやっていたの。寝苦しいし、辛いこともあると思う。でもね、その辛さ分かるから、一緒にがんばろう。」そう言うと、こちらの言葉が彼の心の芯に届いてくれて、こっくり頷いてくれました。“その辛さ分かるよ”私から息子に届けるこの言葉が、何よりのお薬であることは分かっていて。自分がしてきた経験が息子を助けていく、不思議なものです。
そして、再度診察でもらったシリコン製の矯正器具。色んなことに敏感な息子の寝つきが悪くなっていることに気づいていたので、器具を付けてから違和感の中でも外そうとしない姿を褒め、眠れるまで隣にいるよと伝えると、安心してすっと寝てくれました。不安の中にいる時に必要なのは、それを包むあたたかさ、歩いてきた道のりが険しかったからこそ分かること。

岐阜の小学校にいた時、矯正が必要になり、いやだなと思いながらも通った歯医者さん。姉も矯正を卒業したのを知っていたので、これは大人しくやるしかないと腹を括ると、思いがけず治療に時間がかかってしまい、名古屋に戻る父の転勤が決まってしまいました。すると母から思いがけない提案。「Sの治療も終盤だし、今さら歯医者さんを変える訳にもいかないから、名古屋から通えばいいよ。」と交通費と治療費を渡され、まさかの県越え通院、小学生の旅が待っていました。この際なので開き直って、文通をしていた岐阜の友達に通院日程を知らせ、歯医者さんの後に遊んでもらったことも。定期的に私が通院していることが、小学校で噂になり、一緒に議員をやっていた男子がテントを張るからみんなを呼ぶし、遊びに来ないかと自宅に電話がかかってきた時には本気で驚きました。そして、6年生の夏休みに久しぶりの再会。男女入り混じって、よく遊びに行かせてもらっていたおうちだったので、おばさんも感激してくれて泣きそうになりました。「よく来てくれたわね~。元気だった?」どんな時もウェルカムで、明るいおばさんに助けられていたんだな、懐かしい木の匂い、温もり、弾ける明るさ。本当にテントで一泊させてもらい、みんなでワイワイ。あんなにアウェイだったのに、いつの間にか仲間に入れてくれていてありがとう、そんな気持ちでお別れ。そして、寄りたかった場所へ。それは公共図書館。何度も助けられたこの空間、雰囲気が何一つ変わっていなかったことに安堵し、心の中でお礼を言って、中津川駅へ向かいました。まだ、岐阜の社宅にいた頃、母と夜に名古屋へ帰る電車の中で寝てしまい、急に駅員さんに起こされたこともありました。「すみません、あまりにもお客さんが少ないので、電車を切り離そうと思うんです。前の車両に行ってもらってもいいですか?」そんなことがあるんですね!とボケボケした頭で移動した名古屋―中津川間の急行電車。

甲子園で、県立岐阜商業高校が試合をしていて、岐阜での懐かしい思い出が駆け巡りました。岐阜県から応援団がバスに乗り、甲子園へ。それでも雨の為試合は行われずとんぼ返りをすることに。そして、コロナの影響で人数を減らし別の日に再度向かうと、その日も悪天候。それでも試合は行われ、負けてしまったものの、無事に試合ができたことへの感謝で溢れていました。いやいやだった歯の矯正の日程がずれ込んだことにより、思いがけず通うことになった岐阜への旅。名古屋に戻り、過去になるかと思いきや、その地の仲間はずっと待っていてくれて。だから面白い。終章かと思わせて、本編に戻るなんて最高じゃない。簡単に話は終わらせない。